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20/09/23
イスラーム映画祭 50films
『鶴見良行私論 私の「マラッカ物語」(庄野護)』第5回をアップしました。
●今月19日から25日まで神戸・元町映画館では「イスラーム映画祭5」が開催されている。もともとは5月の連休に計画されていたもので、このたびのコロナ禍で延期となっていた。初日(19日)夕方5時からの上映作品、西サハラのドキュメンタリー映画「銃か、落書きか」を観る。午前11時前にチケットを買っておいたのだが、整理券番号が33番。全席66席のミニシアターだから半分がすでに売れている計算。ところが入館して気づいたのだが、左右1席ごと空けてあったので収容人数は半分となり、ひょっとしたら最後の1枚だったのかもしれない。6時間前にほぼ完売!? 自粛ムードにうんざりしてしまった人たちが一気に動き出したか、それとも、コロナ禍によるミニシアターの経営的苦境がニュースになっており、ここ元町映画館もメディアにしばしば取り上げられていたので多くの人の関心を引いていたか。といっても演目は「イスラーム」である。それほどに人気があるとは思えない。しかも典型的な3密ゆえに敬遠されがちな映画鑑賞である。清々しい秋晴れの4連休初日にふつう目指すべきところではなさそうに思える……。たまたま出会った知人も、お昼からの「アル・リサーラ」を観る予定だったのがチケットは売り切れであったという。預言者ムハンマド時代を描いた3時間半にもおよぶ長尺もの。これが売り切れだなんて、ちょっと信じられない。翌20日は、新開地の神戸アートビレッジセンターでこれまた中東映画「シリアにて」を観た。念のため開場2時間前にチケットを買った。整理券番号は1番。なーんだ、焦ることはなかったか。ちょっと肩すかしではある。上映が始まって観客数をカウントすると、私をいれて8人であった。岩波ホール改装前の最後の上映作品に選ばれたのがこの「シリアにて」。作品そのものに「岩波」の権威づけがなされた新聞報道を目にしていたので、もうすこし入っていてもよさそうに思ったけれど、とっくの昔にそんな時代じゃなくなっている……。冷静に考えればこれが中東映画の相場なのだ。ところが、見終わって元町映画館へとって返して「ガザ」を観ようと駆けつけたら開場1時間前ではあったがこちらのほうは案の定完売であった。イスラーム映画祭も第5回目となりお客さんのほうも定着してきたのだろうか、あるいはミニシアター支援の輪が広がってきたのか、ともあれ例年にない盛況ぶり。驚きました。
●左欄の書影は、これまでのイスラーム映画祭(2015年第1回〜2020年第5回)で上映された全作品を紹介・解説したカタログ。1500円。

20/09/05
深夜特急
沢木耕太郎著旅する力 深夜特急ノート
沢木耕太郎著
インドの大魔王「お笑い神話(9月号)」をアップしました。
●コロナ禍に見舞われてほぼ半年。日常を送りながらも非日常なムードに包まれて、日常と非日常を行ったり来たり、そのうちにその境界がぼんやりとしてきて、生活感が希薄になってきた。心ここにあらず。リズムが刻めない……。なんだか居心地の悪い毎日になってしまった。
●この夏は、沢木耕太郎『深夜特急』(新潮社、1986-92)を30数年ぶりに再読した。「ステイ・ホーム」の反動か、はたまた「GoToキャンペーン」とやらの毒気にあてられてしまったか、いやネットニュースで見た沢木氏へのインタビュー記事「『旅なき日々に』思うこと」(Yahoo!ニュースJAPAN、2020.8.2)に触発されたか。単行本の第一便から第三便、プラス『旅の力 深夜特急ノート』(新潮社、2008)の計4冊を寝間に持ち込んで堪能した。ほとんど内容は忘却していたので、旅の途上に偶発する様々な出会いが初読のように楽しめた。そして旅の後半で著者が苦悩する「旅の終え方」に、今のコロナ禍の日々を重ね合わせることになった。ほんらい非日常を本性とする旅が久しくなるにつれ日常に変容してくる。非日常と日常のあわいを旅心は揺れ動き、旅をどう切り上げればいいのか、決断が下せず、宙ぶらりんの状態が続く。「旅の終わりを求めて旅をする」というヘンなことになってしまう。それでも旅のばあいは「こちらから求めた、開放系の非日常」ゆえに、その「求める」ことをやめれば、少なくとも旅を打ち切ることはできる。その選択は論理的には可能だ(実際はその非日常が日常化して腑分け不能になってしまっているので困難を極めるわけだけど)。しかしながら、このたびのコロナは「向こうから押しかけてきた、閉塞系の非日常」だ。こっちが選んだものじゃない。私たちの側からこの「非日常」に終止符をうつことは、かなり厄介である。しかも戻るべき日常そのものがかつてなじんでいたものではなくなってしまっている。「コロナ生活の終え方」。それは感染の終息とか、ワクチンの誕生などを意味するのではない。擬似的日常のなかから、揺ぎない、新しい日常を創造する。最近よく耳にするようになった「新しい生活様式」とか、「ニューノーマル」ということになるのだろうか。もちろん、そんな面倒はうっちゃっておいて、文字通り見境なく、そのあわいに耽溺してしまってもいいはずだ。沢木流にいえば「Being on the road」の境地。ワタシ、こっちでいきますワ。

20/08/22
女帝 小池百合子
石井妙子著

ロレンスになれなかった男
小倉孝保著
『鶴見良行私論 私の「マラッカ物語」(庄野護)』第4回をアップしました。
インドの大魔王「お笑い神話(8月号)」をアップしました。
●ようやく真っ当な書評に出合えたように思えた。石井妙子『女帝 小池百合子』(文藝春秋)について評した斎藤美奈子氏による「小池百合子はモンスター?」と題する一文である(筑摩書房PR誌「ちくま」2020年8月号掲載)。「ネガティブな証言だけを集めてモンスターのような小池百合子像を仕立て上げていく『女帝』の手法はフェアとはいえず、ノンフィクションとしての質が高いとも思えない」。全く同感だ。イエローな雑誌記事のようなノリの話を400頁以上の本に一方的にまとめました、といった感じ。一般に「リベラル」と目される識者たちが『女帝』を絶賛しているのを目にしてヘンな気持ちにさせられていたのだ。ほんらい取材すべきキーパーソンへのインタビューもせず(小池本人には無理としてもそれ以外のおもだった政治家に話を聞くことぐらい可能であったろう)、ほとんど匿名の、裏取りのないような証言だけから著者の予断を事実のように語りつくす作品がはたしてノンフィクションといえるのかどうか。都知事選を前にしたネガティブキャンペーンの一環じゃないの?と思えるほどだった。今年の「本屋大賞ノンフィクション本大賞」の候補作になっていると聞くが、はたして。
●小倉孝保『ロレンスになれなかった男』(角川書店・2020)は、小池百合子のカイロ時代とほぼ同時代のシリア、エジプト、レバノン、イラクなどを舞台にした日本人空手家の物語。中東の警察や治安部隊、諜報部員、政府要人、パレスティナ秘密組織の幹部などを相手に空手を指導していた岡本秀樹という男を描いたノンフィクション作品である。空手指導者という表の顔と、政府中枢にまで知己を広げ、闇商売にまで手を染めながら裏の世界をも生き抜いた、一筋縄ではいかない破天荒な生涯。劇画タッチのおもしろさである。『女帝 小池百合子』に朝堂院大覚氏の証言で「百合子からは、ある男を紹介された。(略)カイロで空手を教えているヤツやった。その男と一緒に空手の雑誌を作りたいから金を出して欲しいと頼んできよった。(略)数百万、出してやった」(98頁)。1975-76年頃の話として紹介されている。「その男」というのはひょっとしたら「岡本秀樹」でなかったか。岡本がエジプトに入ったのが1976年1月。第四次中東戦争でイスラエルと戦ったエジプト軍の特殊部隊「サーカ」の最強ユニットのメンバーを相手に空手を指導していた。

20/08/07 ●元・名物書店員、現在は名物牧師として活躍中の元正章氏による「高橋和巳と70年代パリ」をアップいたしました。写真は、写真家・松元省平氏より1970年代に撮影されたパリ作品をお借りしました。
大阪自由大学通信8月号が届きました。新型コロナの感染拡大防止のため長らく休講中でしたが、今月下旬から再スタートの予定です。

20/07/29 『鶴見良行私論 私の「マラッカ物語」(庄野護)』第3回をアップしました。

20/07/16

ブッツァーティ著
脇 功 訳
●カミュやデフォーの『ペスト』がこのコロナ禍のさなか、よく読まれているというニュースはもう旧聞に属するが、「自動車のペスト」というもう一つの「ペスト」作品はこれまでだれも話題にしていなかったはず。エヘン。ブッツァーティというイタリア人作家の作品である。なんて、知ったふうな口を利いてしまったが、じつは旧著探訪(第37回)で取り上げた『タタール人の砂漠』があまりに衝撃的だったのでこの作家のほかの作品へと食指が動いて……、つい最近出合ったものだ。『七人の使者・神を見た犬』(岩波文庫・2013年)という短編集のなかの一編。本書は、合計15本の小品が収録されているが、『タタール人』同様に、晩秋を迎え老域に踏み込んでしまっているおっさんにはちょっと毒が強すぎるんだけれど、怖いもの見たさからやめられない。やっぱりすごい、ブッツァーティ。ただ唯一、よくわからなかった作品がじつはこの「自動車のペスト」であった。疫病に襲われたときの人々のふるまいやら心理、規範の変容など、書き込まれているディテールは、今まさに私たちが目にしている現象そのものを見事に先取りしていて納得させられるのだが、ただその寓意するところがピンと来ない。ストーリーはいたってシンプルである。ある公爵夫人のお抱え運転手が主人公。彼が運転するロールスロイスが流行りの「ペスト」にかかってしまう。エンジン音に混じる、まるで気管支炎のようなうつろな異音にその症状がうかがえるのだ。市当局に感染が知られると、郊外に設営された「隔離病院」と呼ばれる、広い囲いの中に収容され、のちにその車は焼却処分となるのだった。年式は古いが、貴族的な上品さをまとった、愛着のある自慢の車である。友人のベテラン修理工にこっそりと治療してもらおうとするが、その友人は当局の検査員に密告してしまうのであった。役人(罹病死体処理人足)たちがやって来て、抵抗する主人公を椅子に縛り付け、有無を言わせずロールスロイスを差し押さえて強制執行する。主人公がいましめを解いて、「隔離病院」へと駆けつけたときには、板囲いの中で車たちが火あぶりに遭っていた。燃えさかる劫火の中から、あの懐かしい声が、引き裂くような叫び声となって聞こえたように思えたのだった──。
 巻末に付された「訳者解説」によると、「行政組織の非人間性」「都会の人間の薄情さ」を言おうとしているのだろうかとあるが、うーん、どうだろう? 平時であればその理解もありかなと思えるが、災禍の真っ直中にある私たちからすれば、単純に「非人間性」や「薄情さ」に収斂させてしまうことにはすこし違和を覚える。感染症が猖獗を極めた社会での「私たち・あなたたちのあり方」に関して侃々諤々のあれやこれやを日々目の当たりにしていて、みんなそこそこの「事情通」になっている。幸か不幸か一筋縄じゃなくなっているのだ。どういう読み解き方があるのか、それぞれの「通」の立場からいろいろな意見を聞いてみたいものだ。

20/07/02 『鶴見良行私論 私の「マラッカ物語」(庄野護)』第2回をアップしました。
インドの大魔王「お笑い神話(7月号)」をアップしました。

20/06/14

小池百合子著
●来月7月に実施される東京都知事選を前にして再び小池百合子氏の「学歴詐称疑惑」騒動が持ち上がっている。この「疑惑」は2018年7月3日にもこのコーナーで一度取り上げたことがあるが、今回の炎上度合いは当時とは比較にならないほどの激しさである。その急先鋒となるのが、先月(5月)発行され、爆発的に売れている、石井妙子『女帝 小池百合子』(文藝春秋)である。本書によれば、小池氏はアラビア語の読み書きがほとんどできず、「カイロ大学卒業」は詐称であると断じている。その援護射撃か、都議会においては、著者石井氏の大学の後輩にあたる上田令子都議が小池知事に答弁を「フスハー(文語アラビア語)でお答えいただきたい」などと知事を揶揄するかのような発言もなされた。SNS上では知事のアラビア語能力を「お使い」レベルであるとか、日本で6か月程度やったレベルなどといった批判的な言辞がかまびすしい。こうした事態の深刻化を受けて、過日カイロ大学からは、小池氏が1976年10月に卒業したことを証明する旨の発表があらためてなされた(過去にも日本の大手メディアから事実確認の問い合わせが大学当局に何度もあった模様でその都度同様の回答を一貫して繰り返してきた。だからか、大手一般紙はこの騒動には一定の距離を置いているようでほとんど報道していない)。
 さてほんとうに小池氏の語学レベルはいわれるようにお粗末なものなのか。YouTubeで検索をかければたちどころに中東のメディアからアラビア語でインタビューを受けている小池氏の動画が何本もヒットする。この一連の動画からうける印象は、アラビア語初学者(2年)の私からすれば、ただただ凄い!のひと言につきる。これがお使いレベルだなんて……、わかってゆうてるんかいっ!と声を荒らげたいくらい。しかも小池氏がエジプトを離れて40年以上たっているという条件を加味すればちょっと信じられないほど達者ではないか。初学者ゆえのリアクションなのかもしれない……と思いネット上を調べていたら「小池都知事のアラビア語力をどう評価していいのかわかならい方へ」という、まことに時宜を得た記事に出会った。書き手はプロのアラビア語会議通訳者。キャリア35年のベテランの方である。曰く、「知事の発音、イントネーションは極めて正しく、非常に聞きやすい」「『アラビア語を話せる』というレベルを遙かに超えている」と高評価されている。ゆえに「アラブ人は感動するし」「メディアも引用するし」「会った人が直接話したいと思う」と。最新号の「週刊ポスト」(6月26日)には小池氏の「カイロ大学卒業証明書」の拡大写真が、「最大の証拠がこれだ!」と題して掲載された。『女帝』で「写真が小さくて不鮮明で証拠になっていない」と書かれていた写真である。とまれ、文藝春秋VS小学館のメディア合戦をも巻き込んで泥仕合の様相を呈してきたが、当の小池氏はどこか高みの見物を決め込んでいるようにも見受けられる。しかし、そこに何らかの策略がありはしまいか。声高に小池批判に浮かれていると、最後の最後には反転攻勢とあいなり、批判者たちは一網打尽にされちゃうんじゃないか、そんな気がしてならない。そのくらいのことは朝飯前の、したたかな勝負師であるはずだ。
●ところで小池百合子氏には『3日でおぼえるアラビア語』(1200円、学生社、1983年)という著作がある。中味はフスハーではなくアーンミーヤ(エジプト口語)の入門書。さてさてこの本、この「小池騒動」の最中、amazonの古書でコンディション「可」でなんと344,183円で出品されていた。どういう仕組みでこの値段になるのか、なんだかわかんないが、私の手持ちのは、コンディション「非常によい」で帯付き美本。お安くしておきます! 20万円でどうだっ!?

20/06/06 『鶴見良行私論 私の「マラッカ物語」(庄野護)』の連載が始まります。第1回目をアップします。ご愛読のほどを。月1回程度の頻度で更新してまいります。
インドの大魔王「お笑い神話(6月号)」をアップしました。

20/05/23 旧著探訪第37回『タタール人の砂漠』をアップしました。

20/05/10

2019年度版
インドの大魔王「お笑い神話(5月号)」をアップしました。
●「自粛生活」もこう長引いてくると、もともと出不精の私ではあるけれどさすがに飽きてきた。一昨年から始めたアラビア語のレッスンも残念ながらここ2か月ほどお休み状態。やっぱりこれも「不要不急」ってもんになるのかなあとゴチてると、「それこそ不要不急以外のなにものでもないワ」とヨメさん。たしかに還暦過ぎたおっさんの語学ってもんはそういう位置づけですわね。復習をかねてNHKラジオの榮谷温子先生の「アラビア語講座」をこの4月から聴取している。じつはCDを持っているのだけれど、ここは気合いを入れて日曜朝9時半にラジオの前で居住まいを正すことにしている。旺文社の「大学受験ラジオ講座」で育ってきた人間にはラジオで学ぶというのもノスタルジーを感じさせてくれるのだ。この榮谷先生の講座は2005年収録のもの。なんと15年にわたって繰り返し放送されている。もう無限ループの域に入っている。7世紀の「正則アラビア語」だから内容的にアップトゥデートなことを気にすることはほとんどないのだろうけれど。ただ制作費とやらはすっかり償却してしまっているんのだからテキストぐらい割引価格にすればいいのに。

20/04/21 ●1918年3月に始まった、100年前のパンデミック「スペイン風邪」について、興味深い記事が日経紙上で3回にわたって掲載された(「忘れられたパンデミック」2020.4.15〜17)。世界人口の半数近くが感染し、死者は5000万人から1億人ともいわれ、正確なところはわかっていない。第一次世界大戦真っ只中でのことであり、「欧州戦線では対峙していた全兵士の半数以上が感染」という有様であったらしい。いわゆる「三密」(密閉・密集・密接)を本性的に旨とする軍隊ゆえのこと、激しいオーバーシュートに見舞われた。戦争どころじゃなくなっていたはず。実際このインフルエンザが「戦争の終結を早めた」ともいわれている。日本での流行は、欧米の感染爆発から遅れることおよそ半年、内務省衛生局の記録によると「本流行の端を開きたるは大正七年八月下旬にして九月上旬には漸く其の勢を増し、十月上旬病勢頓に熾烈となり、数旬を出でずして全国に蔓延し、十一月最も猖獗を極めたり、十二月下旬に於いて稍々下火となりしも翌八年初春酷寒の候に入り再び流行を逞うせり」(『流行性感冒「スペイン風邪」大流行の記録』内務省衛生局編・平凡社・2008年)とある。これが第1回目の流行で感染者数約2100万人、死者25万7千人である。皇太子だった昭和天皇も罹患している。その後、第2波、第3波と流行が続き、完全に終息したのは1921年7月のことであったらしい。総感染者数は2380万人、死者は約39万人と記録されている。当時の人口5500万人からすると感染率は43%になる。終息の要因は、多くの人が一定程度の免疫を獲得したこと(集団免疫)といわれている。ところで日経記事によると、これほどの災禍であったにもかかわらずこのパンデミックを主題的に取り扱った書物は、なんと日本では歴史人口学者・速水融氏による『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』(藤原書店・2006年)、この一冊だけであるらしい。著者の速水氏も先行する研究がほとんどなかったことに「驚くべきこと」だったと話されている。理由は致死率が低かった(約1.6%)ということと、1923年に発生した関東大震災がパンデミックの記憶を片隅に追いやってしまったということらしい。amazonでは当該書籍はながらく品切れになっていたが増刷に入った模様。なお引用した『流行性感冒』も現在重版中のようであるが、4月30日までの期間限定で平凡社のホームページから全文を無料でダウンロードできる(私も利用させていただきました)。レーベルは東洋文庫。太っ腹ですね。

20/04/04 インドの大魔王「お笑い神話(4月号)」をアップしました。
大阪自由大学通信4月号をアップしました。新型コロナウィルスの感染拡大防止対策として4月以降8月まですべての講座がお休みとなっております。9月の再開予定です。ご注意ください。

20/03/28 近著探訪第51回『イスラム2.0』『ジハードと死』をアップしました。

20/03/14

福岡伸一著
講談社現代新書
●まったくもって世界は一変してしまった。毎日が「コロナ」一色に塗り替えられてしまった。いたるところでマスク争奪戦が繰り広げられている。2月26日に管義偉官房長官は「24時間の生産態勢で月産6億枚」と発表し、早晩ゆきわたるのかなと思っていたが、いつになっても店頭は空っぽだ。高値転売の連中が跋扈して世情は殺伐としたものになっている。
 ところで、そもそもマスクは必要なのか!? 生物学者の福岡伸一『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書、2007年)に19世紀末、ロシア人研究者・イワノフスキーによるウィルス発見(タバコモザイクウィルス)のエピソードが紹介されている。素焼きの陶板を使って病原体を含む液体を濾過すれば、大腸菌のような単細胞生物は除去される。現代もこの原理は水質の悪い途上国なので応用されている。イワノフスキーは、タバコモザイク病にかかった病葉(わくらば)の抽出液を陶板を使って濾過してみたのだ。陶板の反対側から染み出てきた液体はほんらいであれば浄化されているはずのものである。しかし、濾過液にはタバコモザイク病を引き起こす病原体が残っていた。陶板を通り抜けるほどの、細菌よりもずっと微小な感染粒子の存在が理論的に確認された。ウィルスの発見である。しかしウィルスの存在そのものを視認できるようになるには、1930年代に入ってからの電子顕微鏡の登場まで待たねばならなかった。光学式では像を結ばなかったのである。「大腸菌をラグビーボールとすれば、ウィルスはピンポン玉かパチンコ玉程度」ということである。であればウィルス対策にマスクはほとんど効果なしと言わざるを得ないだろう。「天網恢々疎にして漏らしまくる」というわけだ。いわれるように、咳き込んだりしている人が他人にウィルス混在の飛沫をとばす危険を回避することはできる。たしかにこれは有効である。が、健康体であれば不要のはずである。げんにWHOも米国のCDC(疾病予防管理センター)も科学的見地から「症状のない人はマスク不要」をアナウンスしている。が、政府は相変わらず「増産態勢にある」やら「政府備蓄分を放出する」などと、非科学的なマスク必要論に立脚して、結局不安を煽るようなことばかりやらかしている。いまの政権に知性的科学的対応を求めても詮ないことではあるがほどほどにしてほしい。 国民病の花粉症のシーズンでもあるからコロナ対策ばかりではないかもしれないが、電車などに乗ると装着率は90%を超える。「効果云々よりエチケットだ」などと強調する輩がいるが、エチケットを大切にする人がマスクをめぐって路上で取っ組み合いをしたり、電車内で言い争ったり……、なんてことはないだろう。ともあれ、弊害ある同調圧力の典型である。

20/03/03 大阪自由大学通信3月号をアップしました。3月、4月に予定されていました講座がこのたびのコロナウィルスの影響で中止となっております。ご注意ください。

20/02/28 インドの大魔王「お笑い神話(1月号)」「2月号」「3月号」、一挙アップです。
●明日(29日)でジュンク堂京都店が閉店するという。出店当時(1988年)オフィス街(阪急河原町駅周辺)の立地イメージであったのが、外国人観光客の増加によって町並みや客層が大きく変化したことがその背景にあるという(朝日新聞、2020.2.20)。1990年前後、納本作業でこのあたりの書店めぐりをしていたことをいま懐かしく思い起こしている。京都の中心的な書店街であって有名どころの新刊書店がしのぎを削っていた。当時ジュンク堂書店の数軒となりにはブックストア談という書店があったし、京都を代表する大型書店であった駸々堂に、京都書院やら丸善も、それぞれ数百メートル圏内にあった。すこし離れて規模は小さかったが海南堂というキャラのたった書店もあった。どこもそれなりに活気があった。それが今では京都書院も駸々堂もとっくの昔に消えてしまっている。海南堂も2000年に閉店だったようだ。あの時代、この四条河原町の、駸々堂のお膝元にジュンク堂京都店が出店したことは大きなニュースであった。その意趣返し(?)に阪神淡路大震災の1995年、その年の9月にジュンク堂の本拠地・三宮店の真正面に駸々堂三宮店(国内最大の床面積3000平方メートル)がオープンしたのもセンセーショナルな出来事であった。ジュンク堂の京都進出は洛中人にとってそれほどに苦々しいことだったのか。「書店戦争勃発」と話題になったが、2000年に駸々堂は倒産してしまった。ジュンク堂の福嶋聡氏によるコラム「本屋とコンピュータ」(人文書院ホームページ)に当時のことが書かれていた。その年(1988年)の年末に「駸々堂の人たちが(ジュンク堂の)主要メンバーを自店の忘年会に呼んでくれ」「ぼくたちを暖かく迎えてくれた」。へぇー、殺伐としたものではなかったんだ。バブル景気真っ只中という時代でもあった。福嶋さんが書くように「懐が深かったし」「多くの書店がそれぞれ特色を出して共存」できていた。今は昔の物語である。

20/02/03 大阪自由大学通信2月号をアップしました。
●プルースト「失われた時を求めて」の新訳がこのたび10年の時をかけて完成されたという記事があった(朝日新聞、2020.1.21)。400字詰原稿用紙で約1万枚、登場人物2641人、岩波文庫で全14巻という、超長大な文学作品である。研究者ならともかく、これを通読した一般読者ってはたして全国で何人くらいいるのだろう。年間100人ほどはいるのだろうか。おそらくは睡魔と戦いながらの苦行の読書となって、大半は途中で挫折。日を改めて再び取りかかるもまたまた挫折。一進一退を繰り返したのちいつしか本の存在そのものが忘却されてゆく……。訳者である吉川一義氏(京大教授)によると「全巻読破をめざす読者の多くが挫折する難所」と指摘するのが5〜8巻で、ここを乗り越えるとゴールまで一直線に進めるらしい。うーむ、しかし。実は先日電車でその「年間100人」のうちの1人と思われる読者に遭遇した一件を思い出すのだ。ボックス席の私の正面に座った、年のころ60歳前後のおっちゃん。私と同年輩のサラリーマン風情である。席に着くなり、素早くかばんから取り出したるは、なんと『失われた時を求めて』岩波文庫第12巻。ほーぉ、やるなあ! 記事で取り上げられている吉川氏による新訳バージョンである。ここまでくれば難所は乗り切ったはず。それなりにリズムもつかめて、巻を措く能わずの域に達しておられるかもしれない。そう推察したのだが、どうも様子がちがう。半ページほど読むとうつらうつら、数分後にはカッと目を開いて活字を追おうとされるが、またしても数分後にはうつらうつら、と再び目を覚まされ、視線はページへ向かおうとするが、みたびうつらうつら。40分ほど観察していたけれど、最初に開かれた見開きのページにスタックしたままついぞ新たなページに移られることはなかった。やっぱりそうだよなあ。わかるなあと大いに共感を覚えたのだが、でも、この調子でどうやって、ここまでたどり着いたんだ!?

20/01/13 大阪自由大学通信1月号をアップしました。
近著探訪第50回『もうひとつの「異邦人」』ほかをアップしました。
●オマーンのカーブース国王死去のニュースがあった(2020.1.11)。「中東のスイス」と呼ばれるオマーンは、シーア派イランとの関係も良好で、欧米やスンナ派アラブ諸国との間に入ってこれまで積極的な橋渡しを果たしてきた。一昨年にはイスラエルのネタニヤフ首相がオマーンを訪れたというニュースもあった。中東諸国の中では抜群の安定感を誇る。内政においては、国王自らが車を運転し、キャンプ生活をしながら全国を巡回して民衆のニーズを直にヒアリングしていく「ミート・ザ・ピープル」と呼ばれる活動が毎年恒例となっており、国民の熱狂的な支持を得ている。国民の多くがイバード派ムスリムであるが、この宗派の源流はハワーリジュ派。もっとも古い、初期の宗派(7世紀)である。カリフを僭称する、ウマイヤ朝のムアーウィアに妥協的な態度をとった4代目カリフ・アリーに失望・憤慨してアリーの陣営から「出て行く者(ハワーリジュ)」に由来する呼称。最終的にはアリーを殺害してしまうほどに道徳的リゴリズムを貫く。イバード派はその流れをくむので急進的かと思いきや、いたって穏健で合理的な考え方をとり、他宗教・他宗派には寛容であるといわれる。指導者であるイマームがスンナ派のようにクライシュ族出身者に限定すべきであるという考えはなく、シーア派のようにアリーの血縁を重視することもない。スンナ派でもなく、シーア派でもない独自路線である。このあたりが、全方位外交を展開していく現実主義者のバックボーンになっているのかもしれない。

20/01/02

じゃこの恩返し
●あけましておめでとうございます。本年もご愛顧のほどどうぞよろしくお願いいたします。
『じゃこの恩返し 甚松誕生秘話』(井上太市郎著)という本をつくりました。「甚松」という奄美の黒糖焼酎を訳あって京都から売り出そうと奮闘する、I T会社社長の物語です。
●年末、映画「男はつらいよ お帰り 寅さん」(山田洋次監督)を観た。寅さんシリーズ50周年を記念してつくられた、22年ぶりの第50作。満男(吉岡秀隆)と、かつての初恋の相手・泉(後藤久美子)の再会物語を軸に、過去の作品から寅さんの懐かしい登場場面をフラッシュバックさせつつストーリーがすすむ。それにしても、俳優たち全員が等しく50年という同じ時間を経なくては決して生まれることのない不思議な作品である(と同時に観客も同じ50年を生きてきたことが求められるのかもしれない)。「製作期間」からすればギネスものの最長記録になるはず。見終わったあと、まさにすべては過去にあるのだという思いに強く打たれた。「現在というものは、過去のすべての生きた集大成である」と言ったのは、トーマス・カーライルという19世紀、英国の歴史家であるそうだが、その名言を地で行く名作。あらためてもう一度過去49作品を振り返って、再びこの50作品目に戻ってきたい、そんな気にさせられる。

19/12/26 ●中村哲医師が亡くなられたあとの現地事業についてペシャワール会は変更なく従前どおりに継続していく旨を発表している。「事件の経緯とペシャワール会の今後の方針」(会長・村上優氏)と題してホームページに掲載されている。「中村先生が実践してきた事業は全て継続し、彼が望んだ希望は全て引き継ぐ」。一点の留保もない、截然たる言明である。こうした心意気というのはどこから来るのか。恥ずかしながらわれわれ関西人にはこうした気概は希薄やねえと自嘲気味にそんなことを話していたら、「やっぱりそこが福岡人なんだろうな」という意見があった。かつて福岡は、大アジア主義を構想・実践し、錚々たる人物を排出してきた玄洋社やら黒龍会を生み出してきた土地である。そこには地下深く脈々と流れる、気宇壮大なものを命がけで引き受けてしまうマグマのような熱い「何か」があるにちがいない。その遺伝子(ミーム)が今も福岡人に流れているのだろうという結論に至った。かつての歴史的な右翼結社とペシャワール会とはイデオロギーもその目指すところもまったく重なり合わないけれど、メンバーたちが抱える情熱であったり使命感であったり、「血気」といったものに共通のエートスがうかがえるように思えたのだった。2008年、会員の伊藤和也さんが現地の武装集団に拉致・殺害された事件があった。そのときの記者会見で記者から「命の危険があるのになぜ活動を続けたのか」という質問がなされたのだが、当時事務局長であった福元満治氏は「あなたには命をかけても成し遂げたいことはありませんか」と静かに問い返した。まさに気骨ある福岡人の口吻である。

19/12/09 インドの大魔王「お笑い神話(12月号)」をアップしました。
大阪自由大学通信12月号をアップしました。

19/11/17
戦場から女優へ サヘル・ローズ
『戦場から女優へ』
サヘル・ローズ
インドの大魔王「お笑い神話(11月号)」をアップしました。
●過日NHK-BSで「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」と題するドキュメンタリー番組があった。井筒博士の天才ぶりが余すところなく描かれた興味深い内容だった。番組の案内役としてイラン出身のサヘル・ローズさんが起用されていたのも、個人的にはこれまた興味がひかれるところであった。サヘルさんの著書『戦場から女優へ』(文藝春秋・2009年)を読んで以来、私はサヘルさんのファンである。というか、じつはサヘルさんというよりも、多くの方がそうであろうと思うが、サヘルさんの養母フローラさんの生き方に打ちのめされた一人である。その翌日、NHK教育「こころの時代」という番組で再びサヘルさんを見ることになった。「砂浜に咲く薔薇のように」と題するサへルさん自身を取り上げたドキュメンタリーであった。イラン・イラク戦争時の空爆跡から奇跡的に助け出され、戦争孤児となり、当時ボランティア活動をしていたテヘラン大学の女子大生(今の養母)に引き取られて日本へ移住する。日本での壮絶な貧困といじめに苦しめられながらも、今日に至る人生を切り開いてきたこれまでを振り返る内容である。彼女の紡ぎ出す一つ一つの言葉の重量感に圧倒されてしまった。お母さん同様、この人もほんとにすごいな。

19/11/03

『クレオール物語』
小泉八雲
大阪自由大学通信11月号をアップしました。
●2019年版「神戸書店マップ」が先月出た。古書店(新刊書店も含む)の所在をプロットしたイラストマップ。以前から古書店巡りに重宝している。震災以降ずいぶんとなくなってしまったという印象があったのだけれど、あらためて地図を眺めると、けっこうあるのだ、これが。旧来の古本屋さんといった店構えのものはたしかに減ってしまったが、アニメ、コミック、ゲームなどを扱うオタク系新古書店やら、30代あたりの若い店主が切り盛りする、一見カフェのようなたたずまいの、おしゃれな古書店(個性的な版元のとんがった新刊や、リトルマガジンなども扱う)がいくつも生まれている。過日、そんなこじゃれた古書店で発見した一冊が『クレオール物語』(小泉八雲・講談社学術文庫・1991)。明治期の日本を舞台にしたハーンの作品はおなじみであるが、本書は来日する前の作品群を収めたもの。イスラームのアザーンを題材にした「最初の礼拝呼び掛け人」やら「バラモンとバラモンの妻」など興味深いタイトルが並ぶ。へーっ、こんなのがあったのか。裏表紙をめくって値段を確認すると「3000円」。そのこころは、鉛筆書きの「絶版」という大きな文字にあるようだ。うーむ。講談社学術文庫での20年以上前のラインナップのものはおそらくすべて絶版(正確にいえば「品切」?)だろう。現在の書籍市場からすればほとんどの本が初版1刷で終わってそのまま「絶版・品切」になるのであるから、希少性をとりたてて標榜する「絶版」の値打ちも下降気味である。とはいえ、この学術文庫しかり、ほかでは、ちくま文庫(特に「学芸」バージョン)やら、中公文庫などは「絶版」を楯に強気の値付けがなされやすいレーベルではある。
 ……さて、この一件にかんしましては、残念ながらしぶちんの私は3000円を目にして静かに棚に戻し、静かに店を出ることになりました。
 しかし、捨てる神あれば拾う神あり、であります。最近新しく出店した、こちらは昔ながらの古本屋風情。講談社学術文庫が10冊ほど申し訳程度に並べられた棚に、その文庫たちの天の小口に横向きに差し込まれた1冊。「ここですよ!」と呼びかけられたように手を伸ばしたら、なんと『クレオール物語』。震える手ですかさず裏表紙をめくると「200円」の文字が。ああなんという天の差配か! ……てなことを知人に自慢たらしく話していたわけであるが、還暦を過ぎたおっさんのなんとも貧相なふるまいにかすかに自己嫌悪した。こんなご時世に本の世界へと果敢に乗り出して頑張っている若い人のお店で、3000円払って買うべき年齢域に私は入っていたのではなかったか!?

19/10/01 インドの大魔王「お笑い神話(10月号)」をアップしました。
大阪自由大学通信10月号をアップしました。
旧著探訪第36回『大統領(フセイン)の客人』ほかをアップしました。

19/09/07
インドの大魔王「お笑い神話(9月号)」をアップしました。
大阪自由大学通信9月号をアップしました。
●6月から9月10日にかけて民族学博物館(みんぱく)で「サウジアラビア、オアシスに生きる女性たちの50年」という企画展が催されている。2013年に亡くなった人類学者の片倉もとこ氏のフィールドワークの足跡をたどる内容である。サブタイトルに「『みられる私』より『みる私』」とあるが、これは片倉氏の著書『イスラームの日常世界』(岩波新書)での有名な一節。イスラーム社会の女性たちがヒジャーブなどのベールで顔を覆うことについて、欧米からは女性抑圧の象徴として否定的に取り上げられるのが一般的であるが、実際はこのベール1枚で女性たちは「容姿の美醜が女性の価値基準といった、男性側の眼からの自由」を獲得したと読み解く。そして「見られる」側から「見る」側へと立ち位置を変えた女性たちは、抑圧どころか、知力体力ともにじゅうぶんにして、きっぱりと自立した実力本位の世界を颯爽と生きている──というのが著者の見立てであった(旧著探訪第16回)。これは、ほんとに眼から鱗であった。
「片倉もとこが見たサウジアラビア」という演題で「みんぱくゼミナール」(8/17)が開催されたが、一会場には収めきれず、複数の会場にテレビ中継していたほど大勢の来場者で賑わった。さすがに片倉もとこの人気はすごいわい!と思ったのだが、会場で司会者が片倉氏の一般向けの代表的著作である『アラビア・ノート』『イスラームの日常世界』を読んだことのある人を挙手で確認すると、その数意外にも3分の1にも満たなかった。となると、何人の人が「『みられる私』より『みる私』」のフレーズを理解できたか。なんのこっちゃ?という反応もあったのではないか。ちょっと言葉足らずの印象である。

19/08/15 大阪自由大学通信8月号をアップしました。
旧著探訪第35回『どの宗教が役に立つか』をアップしました。

19/08/01 インドの大魔王「お笑い神話(8月号)」をアップしました。
近著探訪第49回『正義の教室 善く生きるための哲学入門』をアップしました。

19/07/08
「反緊縮!」宣言
「反緊縮!」宣言
インドの大魔王「お笑い神話(7月号)」をアップしました。
大阪自由大学通信7月号をアップしました。
●立命館大の松尾匡先生より『「反緊縮!」宣言』(亜紀書房)をご恵送いただいた。いつもありがとうございます。近年上梓される著作群は、「反緊縮」「大規模な財政出動」といった「気前のよい態度」が現下のデフレ経済ではいちばんに求められると主張する内容である。本書はそうした「反緊縮」の提唱者が一堂に会して、様々な立場からその主張を展開した「反緊縮」入門書になっている。
 さて、松尾先生ご自身は、活字の世界だけでなく、街頭に立ってマイク片手に道行く人に肉声での訴えかけもなされているようである。さらには、国政選挙において、「反緊縮」の経済政策を掲げる候補者には党派に関係なく「薔薇マーク」で認定するというキャンペーンの発起人でもある。アカデミズムの世界から一歩も二歩も踏み出されて、八面六臂のご活躍ぶりである。このたびの参院選(21日投票日)で山本太郎議員の「消費税廃止」などの一連の主張を耳にしているとなんだか松尾先生みたいだなと思ったのだけれど、それもそのはず、「サンデー毎日」6/30号のインタビュー記事(山本太郎「私の倒閣宣言」)に「松尾匡教授の本を読んで」云々という下りがあった。やっぱり。世界経済を語るにキーワードとなっている「反緊縮」がようやく日本でも大きなうねりとなっていくのだろうか。プライマリーバランスやら財政規律重視、財政危機論などといった、与党、野党、右も左も関係なく、ひろく日本社会に受け入れられてしまった感のあるこうした言説が、このデフレ下でいかに有害で「合理的根拠がない」ものであるかを腑に落とすためにも、ともあれ、みなさん!急いでこの2週間で本書を読まなければならない。

19/06/29

中世ヨーロッパの説話
●松原秀一『中世の説話』(東京書籍・1979年)という本を探していた。3月31日付け日経新聞「半歩遅れの読書術」コーナーで日文研の井上章一氏が紹介していた本である。洋の東西の説話を読み解くと、意外な共通点が浮かび上がり、そこからダイナミックな東西交流の足跡が見えてくるといった比較文学エッセイ。記事では「かつてブッダは、カトリックの聖者になったことがある」というエピソードが紹介されていた。92年に中公文庫にもなっている(『中世ヨーロッパの説話』と改題)。amazonで検索すると、古本扱いで文庫本が何点か出品されていたが、その値付けに驚いた。最安値で12,547円。最高値は39,349円。いくら絶版とはいえ、文庫本が、なんとまあ! 井上氏の記事が火をつけたのだろうか? いまもって新聞がそれほど影響力をもっているとはとても信じられないんだけれど。で、入手はあきらめていたのだったが、先週神戸元町商店街の古本屋さんで発見した。税込200円。なんとまあ…。(さっきamazonを調べたら最安値が2995円に。最高値はそのまま。どういう仕組みでこうした値付けがなされていくのだろう? なんらかのアルゴリズムのようなものがあって、そこから自動的にはじきだすシステムになっているのだろうか)

19/06/04 インドの大魔王「お笑い神話(6月号)」をアップしました。
大阪自由大学通信6月号をアップしました。
●前回消費税を3%に戻したら…と冗談っぽく書いたのだけれど、マレーシアのマハティール首相が6月1日付けで6%の消費税を廃止したというニュースを知った。御年92歳であるけれど、さすがマハティール、ダイナミックです。
●スリランカでは先月21日の凄惨な爆破テロ以来、民族対立が激しくなっている。タミル人の反政府組織(LTTE)と政府軍との間で30年近く繰り広げられた内戦が2009年に収束して以来、観光立国への道をひた走りに走って(8つの世界遺産)、その成果も目に見えるかたちで十分にあらわれてきていた。私は内戦時の90年代には何度も訪れたことがあるのだけれど、近年、とんとご無沙汰してしまっている。旅行者の写真から最近の街の様子を見ると、そのおしゃれな店舗の数々はこれほんまにスリランカ?と思ってしまうほど。このあいだの大型連休にはかの地でゆるりとアーユルベーダの施術を楽しみにしていた女性たちも多かったのではないだろうか。残念なことである。ウチから2002年に刊行した『蓮の道』というスリランカの小説が、今年の初めあたりからにわかに注文が舞い込むようになった。ここ10年以上ほとんど動きがなかった書籍である。調べてみると、JALのカード会員向け情報誌『AGORA(アゴラ)』2018年12月号に「蓮の道」というタイトルで、その作家マーティン・ウイクラマシンハを特集した記事がどかーんと掲載されていた。日本でいえば夏目漱石並みの、スリランカを代表する国民的作家である。といってJALの雑誌で取り上げるにはかなりマイナーな存在。時代はスリランカ! ようやく日の目を見る気運になってきたかと思っていたのにこれまた残念なことである。

19/05/21 インドの大魔王「お笑い神話(5月号)」をアップしました。
近著探訪第48回『イスラムが効く!』をアップしました。
●「財政規律よりも金融緩和による財政出動を!」。松尾匡先生が数々の著作で主張されていた流れが少しずつ大きくなってきているような印象を最近、報道の端々で感じている。「トンデモ理論」なんていわれていたMMT(Modern Monetary Theory)という新経済理論も最近ではまじめに議論されだした。「政府は自国通貨建ての借金で破綻することはないのだから、借金が増えることを心配して政府支出を抑えるなんてナンセンス」というもので、インフレ率(2〜3%)にのみ注意して政府支出をコントロールしながら政策を実行すればいいという。「もう一つの財政規律」の提案だ。私はおおいに賛成だ。消費税の増税もストップすべきと思う(たぶん凍結か?)。たとえば消費税を、30年前の3%にまで戻してしまったとしたら、一気に消費が喚起されてかなりの問題が解決してしまうと思うんだけど、これは無茶な話ですね。

19/05/11 大阪自由大学通信5月号をアップしました。
●この連休を利用してオマーンに行ってきた。初めてのアラビアの地。和辻哲郎が『風土』の中でアラビアの南端アデンの景観を前にすればという前提で「彼の前に立つのは、漢語の〈突兀〉(とっこつ)をそのまま具象化したような、尖った、荒々しい、赤黒い岩山である」としるした〈突兀〉たる山容がなんとも異様で威容であった。いくら見続けていてもあきない…。

19/04/07 ●すっかり春の陽気ですね。インドの大魔王「お笑い神話(4月号)」大阪自由大学通信4月号をアップします。
●「スリランカ料理を楽しむ会 in 徳島」が今年も開催されます。
 事前のお申込は不要です。自由にご参加ください。
・日 時 5月12日(日)12:00〜13:30
・ところ スリランカレストラン「マータラ」 徳島市住吉6-2-3 電話088-676-3511
・予 算 1500円程度

19/03/17 ●遅ればせながらインドの大魔王「お笑い神話(2月号)」インドの大魔王「お笑い神話(3月号)」をアップしました。
旧著探訪第34回『幸福のアラビア探険記』をアップしました。

19/03/03

『泥河の果てまで』


『熱帯』
大阪自由大学通信3月号をアップしました。
●久しぶりに「岡村隆」さんのお名前を拝見した。「植村直己冒険賞」受賞の記事だった(神戸新聞、2019.2.13)。法政大学探検部出身。スリランカの密林での仏教遺跡調査を半世紀にわたって継続されてきた。その功績が認められた。私にとっての「岡村隆」さんは、1989年発行の『泥河(でいが)の果てまで』(講談社)という小説の作者としての知識しかないのが、当時のスリランカの内戦事情をふんだんに織り込んで仕立て上げられたエンターテイメント作品に堪能した記憶が、読後30年近くたっても、いまも鮮明に残っている。今回の受賞記事ではこの作品にはまったく言及されていないが、スリランカを舞台にしたさまざまな小説があるなかで、私にとってはいまもダントツのスリランカ本である。
●『熱帯』(森見登美彦著、文藝春秋)を入手した。物語の登場する人物がさらにもう一つの物語を語りだし、また新たな物語が始まる。物語のマトリョーシカ構造で、そのモチーフは「千夜一夜物語」。「アラビアンナイト」研究の第一人者である民族学博物館の西尾哲夫教授と著者との対談イベントが企画されたり(気づいたときは申し込みが締め切られていた)、本屋大賞候補の話題の書。「我ながら呆れるような怪作である」とは著者の弁。たぶんそうであろうとの期待じゅうぶんにして読み始めた。ただ一抹の不安があった。この著者のデビュー作『太陽の塔』(新潮文庫、2003年)のとき、すごく面白いのだけど、途中で読むのが面倒くさくなってしまったというようなことがあった。その二の舞にならなければいいのだが。出だしは前評判通りいい感じ。面白い! 快調に読み進んでいく。しかし。なんと8割方読んだところで突然に面倒くさくなってしまったのだ。面白いのにページを繰る手が止まってしまうのはどういうことなのだろう。作風との相性が悪いのだろうか。う〜ん。

19/02/09

『孤愁 サウダーデ』
大阪自由大学通信2月号をアップしました。
●今月の新潮社PR誌『波』2月号の表紙に新田次郎と藤原正彦氏(青年時)の親子写真(ちょっとピントの甘いモノクロ)が載っていた。へぇーと興味を引いたのは、ちょうど新田・藤原父子によって書き継がれて完結した『孤愁サウダーデ』(文藝春秋・2012年)という本を読んでいたところだったからだ。明治の半ばに来日したポルトガル人モラエスの後半生を描いた伝記小説。軍人として1889年初来日。1899年ポルトガル領事館勤務の外交官として神戸に赴任し、のちに一目惚れした芸者およねを妻に迎える。そのおよねが病で亡くなると、すべての職を辞し、おヨネの故郷徳島に居を移す。もともと文人でもあったモラエスは、日本をルポルタージュした数々の作品を故国で発表し名声を得る。タイトルとなっている「サウダーデ」とは、ポルトガル人のメンタリティを象徴する言葉のようで、著者は「孤愁」と表現した。「愛するものの不在により胸の疼くような思いや懐かしさ」と説明される。恋人であったり、家族であったり、故郷であったり、そうした愛する対象を遠く離れて懐かしく思い出し、センチメンタルな思いに身を焦がしながらふかく沈潜する。そこに心の支えを求める。年老いて足腰が思うに任せなくなったモラエスが、遠く故郷を思い、家族を思い、およねとの時間を繰り返し追想する日々をおくる。他者から見れば寂しいかぎりの毎日に思えるのだが、そうしたサウダーデに浸ることで生きる原動力を得る。「希望がなくても人はサウダーデによって生きていけるのだよ。(略)追慕で生きているんだ」(657頁)。同時期のラフカディオ・ハーンと比較されることが多いが、ハーンが松江に滞在したのは1年ほど。モラエスの滞在は30年間に及び、最期は徳島に骨を埋めた。

19/01/08 インドの大魔王「お笑い神話(1月号)」をアップしました。
大阪自由大学通信1月号をアップしました。
●昨年亡くなられた大櫛克之氏の思い出「大櫛克之さんを憶う」(庄野護)を掲載します。

19/01/03 ●あけましておめでとうございます。本年もご愛顧のほどどうぞよろしくお願いいたします。
●このたびの紅白歌合戦は例年になく充実していたとか。仄聞するところ、サザンやユーミンやらが登場し、TVには出ないと言われている若い歌手が大塚美術館のシスティーナ・ホールから中継で歌ったり。見てみたかったな…。年のせいか、大晦日だからといって夜更かしもせず、いつもどおりに9時過ぎからお風呂に入り、10時には床に就いていた。もうすこし頑張って起きておくべきであった。なにかと「平成最後の」と冠されて、それはそれで鬱陶しいのだが、やはりそこんところはいつもとはちがって気合いは入っているわけだから、やはりそれをやり過ごしてしまうというのは得策じゃないのかもしれない。

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前世紀のWhat's NEW! はWhat's OLD!まで。

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