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日 付 更新履歴・お知らせ・独り言・ぶつぶつ…のようなもの
22/08/14
吉村昭『海も暮れきる』
『海も暮れきる』
●小豆島へ行った。始発のフェリーで渡り、最終便で帰ってきた。瀬戸内海で淡路島に次いで2番目に大きな島とはこのたび初めて知ったぐらいで特別に関心のある島ではなかった。家人の興味に唆されての行楽というわけであります。日本アカデミー賞を受賞した映画『八日目の蝉』(成島出監督、2011)のロケ地であったことを事前に知らされて、あわててAmazonでチェックした。素敵な映画で、これは観ておいてよかった。虫送り行事の千枚田の光景、寒霞渓(かんかけい)の山頂からの眺望、そうめんづくり……。印象的なシーンがいくつも記憶に残った。同じく小豆島を舞台にした名作『二十四の瞳』(木下惠介監督、1954)。私の出生前の製作でストーリはおぼろげながらも想像できるのだが、観たことがあったのかなかったのかそのへんの記憶もあやふやで、とりあえずこちらも仕込んでおいてから出かけた。おかげで撮影時に使われた国民学校の校舎などが残されている「映画村」を楽しめた。もう一つ、今回確認したかったところに、自由律俳句の尾崎放哉が暮らしていた庵がある。コロナ禍に見舞われ始めた20年春、放哉の「咳をしても一人」の一句が隔離を強いられた感染者の療養生活そのものじゃないかと話題になった。そんなニュースを目にして、放哉の最晩年を描いた小説、吉村昭『海も暮れきる』(新装版、講談社文庫、2011)を読んだ。その舞台が小豆島であった(死を迎えるまでの8カ月間を過ごした)。プライドばかり高く、自身にすこしでも批判めいた言辞を弄する人間には容赦なく罵詈雑言を投げかける、酒乱癖で皮肉屋でジコチュー、それでいて寂しがり屋の放哉。おおよそいやなタイプなんだけど、でも最期は可哀想だった。享年42歳。放哉の庵(南郷庵・みなんごあん。小説では「みなんごう」とルビがふられている)は記念館となって現存する。想像していたものよりしっかりした建物であった。近在の名刹西光寺の別院にあたり墓守が役目であった。小説のタイトルは「障子あけて置く 海も暮れ切る」の一句から。慌ただしく島内を駆けめぐった一日でした。

22/07/30 インドの大魔王「お笑い神話(8月号)」をアップしました。
鶴見良行私論第Ⅲ部「『フィールドノート』を読む」(5)をアップしました。

22/07/19

『街道をゆく 43』
インドの大魔王「お笑い神話(7月号)」をアップしました。
●東海地区在住の同窓が集まるというので久しぶりの旅行気分で名古屋と岐阜へ行った。旅のお供はやはり司馬遼太郎の「街道をゆく」。その第43巻『濃尾参州記』(新装版、朝日文庫、2009)。信長の桶狭間の戦い、三河時代の家康などを描く。この作品の連載中(『週刊朝日』1996年1月〜3月)、96年2月に司馬氏は動脈瘤破裂で急逝したのだった。第43巻がシリーズ最終巻で絶筆・未完となっている。戦国時代の英雄たちが割拠するこの地域(美濃、尾張、三河)が浩瀚なシリーズ中これまで取り上げられていなかったことに不思議な気がした。本文中に「名古屋は江戸時代から医者どころ」というフレーズが何カ所か繰り返され、しかも取材同行者に(歴史好きの)土地の医博が案内役となって複数参加されており、「医」がらみの話題がけっこうな紙幅を占める。桶狭間に建てられた藤田保健衛生大学(現・藤田医科大学)のことや、本居宣長の長男で盲目の国語学者・春庭を診察したという名古屋の馬島眼科のことなどがしるされている。医の声を司馬さんに懸命に届けようと天が差配していたんじゃないか、そんな印象を持った。

22/07/06
ハイファに戻って 太陽の男たち
G.Kanafany
鶴見良行私論第Ⅲ部「『フィールドノート』を読む」(4)をアップしました。
●アラビア語のレッスンを受けるようになってまる4年が経過した。最低限の文法事項を学んで、先生からは「免許皆伝!」なんて威勢よく言ってもらえたのだが、実際はネット上でたまに目にするアラビア語のヘッドライン一つとってもなんのこっちゃ?という有様である。決定的に語彙力がない。しかもアラビア文字がまだまだ目になじんでおらず簡単な既知の単語でも初見のように感じてしまう。とほほ。とりあえず次のステージへということで、これからのレッスンは、パレスチナの著名な作家ガッサーン・カナファーニー(1936-72)の作品を読んでいくことになった。幸い日本語に翻訳されているし、10年ほど前に読んでいたので手元にある。『ハイファに戻って 太陽の男たち』(河出書房新社、1978)だ。イラクのバスラからクウェートへ給水車のタンクに隠れて密入国を図った3人のパレスチナ難民の悲劇を描いた「太陽の男たち」は今も強烈な印象が残っている。つい最近も作品と同じような話が現実のニュースになっていて驚いた。中南米からアメリカへトラックに隠れて密入国を図った移民者たち53人が熱中症や脱水症で死亡するという悲惨な事件であった。さてレッスンで取り上げるのは、本書にも収められている「悲しいオレンジの実る土地」という小品(日本語版で8頁)。予習に取りかかったのだが1ページ分を訳出するのに数時間かかってしまうほどの難行に前途の多難を思う。しかも日本語文を眺めてもどういう理路でこの訳文になるのか、文法的な構造がすっきりとつかめないことがある。とほほのとほほである。語学の天才、希代のゲルマニストと評される関口存男氏(1894-1958)という方の著作集につぎのような言葉があるらしい。「辞典と首っ引きでポツポツ読む外国語には、その遅々たるところに、普通人の気のつかない値打ちがあります。それは“考える”暇が生ずるということです。否でも応でも吾人を“考える”人間にしてくれるという点です」。ふだんほとんどぼんやりと日々を送っている私にはちょうどいいクスリになるかもしれない。「考える人」をめざしてひたすら今日も辞書を引くのであります。

22/06/28 近著探訪第54回『言語が違えば、世界も違ってみえるわけ』をアップしました。

22/06/16 鶴見良行私論第Ⅲ部「『フィールドノート』を読む」(3)をアップしました。

22/06/10

「ワーニャ叔父さん」
インドの大魔王「お笑い神話(6月号)おっさんたちの旅|鎌倉1」をアップしました。
●第94回アカデミー賞国際長編映画賞受賞の『ドライブ・マイ・カー』(濱口竜介監督、2021)を遅ればせながら観た。およそ3時間の長尺もの。「つまらない」「たいくつ」という評価が少なくない。ほんとにそうであったら3時間は拷問になってしまう。以前にもこのコーナーで記したが、観る前にはしっかりと仕込みを済ませてから準備万端にして臨むべく心がけた。一つは原作となっている村上春樹『女のいない男たち』(文春文庫、2016)に目を通しておく。本書は短編集なので、映画に関係しているといわれる「ドライブ・マイ・カー」「シェエラザード」「木野」の3本を丁寧に読み込んだ。そしてもう一つ、映画の中に組み込まれた舞台劇「ワーニャ伯父さん」。ロシアを代表する劇作家チェーホフの戯曲だ。有名な「桜の園」といったようなタイトルはなんとなく耳にしたことはあるが、読んだこともないし、そもそも戯曲を好んで読む習慣がない。こんな機会でもないかぎり一生読むことはなかっただろう。『かもめ・ワーニャ伯父さん』(神西清訳、新潮文庫、1967)をこれまた丁寧に読む。若い頃だったらなんて退屈なストーリーなんだと思ったにちがいない。巻末の「解説」で池田健太郎(ロシア文学者)という方が「ゴーリキイはこの戯曲に感動して女のように泣いたと書いている」と紹介している。「女のように」という記述が時代がかっていてポリコレ的に大丈夫かいなとは思うのだが、ともあれゴーリキイ自身の表現でもあり、また本書発行年が1967年という時代であることに留意しておきたい。私は「女のように」は泣かなかったが、年の功なのか、しんみりと琴線に触れるところ数多であった。思っていた以上によかった。映画『ドライブ・マイ・カー』は、原作・村上春樹となっており、たしかにいくつかのエピソードはそこからかなり忠実に再現されているのだけれど、映画の骨格は「ワーニャ伯父さん」そのものにあると思う。悔悟に満ちた自身の過去とどう折り合いをつけてこれからの未来を生きていくか。「絶望から忍耐へ」、そしてその後の「確信する未来」へと切り拓いていく──これがたぶんテーマだと思う。だから不可逆な時間の非情さをしばしば意識させられるほどにある程度年齢を重ねていたほうが、映画の主人公・家福(=ワーニャ伯父さん)に感情移入しやすい。最後にはゴーリキイほどではないがすこしうるうるしてしまった。「ワーニャ伯父さん」は必読の書だ。読まずして観るなかれ。不用意に観てしまうと、「3時間の拷問」に苦しむことになるよ、たぶん。

22/05/24 鶴見良行私論第Ⅲ部「『フィールドノート』を読む」(2)をアップしました。

22/05/16

岡田晴恵著
インドの大魔王「お笑い神話(5月号)」をアップしました。
●ゼロコロナ政策のもと、コロナウィルスの完全封じ込めを貫徹すべく有無を言わさぬ強烈な都市封鎖が人口2400万人の上海市で1カ月半以上続いている。ニュース映像をみると、厳しい外出制限が課せられ、買い物にも行けず冷蔵庫はからっぽで日々の食料もままならない。外に出られるのはPCR検査の時ぐらい。近隣に感染者が出ると、その周辺の住民は数百キロ離れた隔離施設へ大型バスで強制的に集団移送される。これでは民衆の不満がたまりにたまっていつ暴動が起こってもおかしくない。過日読んだ、岡田晴恵『秘闘 私の「コロナ戦争」全記録』(新潮社、2022)では、感染症専門の立場から、PCR検査の拡充と、感染者の早期発見と隔離・保護をひたすら徹底していくことが「サイエンス」に基づく、絶対的解であると述べる。日本政府が採ってきた一連の感染症対策はまったくもって「サイエンスが破綻」していると。その観点からすれば、現下上海で進行中の取り組みが、著者岡田氏のめざす「サイエンス」主義にとっての究極の解ということになってしまうのかもしれない。うーん。岡田氏のいう「サイエンス」はウイルス学、感染症学という学問分野に限定された狭義のものなのだろう。中国の奮闘ぶりは、圧倒的な自然の猛威をまえに、まるで風車に突撃していくドンキホーテよろしくどこか滑稽さが漂う。ともあれ本書は、首相をはじめ政権中枢の大臣の面々、厚労省の役人たち、専門家会議(分科会)の学者たち、医師会、地方自治体、マスコミなどの様々な思惑に翻弄され、忖度、保身、不作為に右往左往する舞台裏を生々しく批判的に伝える。誰があのときどういった発言し、どうふるまったかを、私は
興味本位に、覗き見的に楽しく読めた。本書について「自画自賛する「コロナの女王」」と題された書評(『NEWSWEEK』石戸諭、2022.3.15)を目にしたが、私の印象はちょっと違う。岡田のよき理解者でもあり同志ともいえる、当時厚労大臣の田村憲久氏へのオマージュ本ではないかしら。そんな印象を受けた。つい最近、コロナがらみでもう一冊、コロナ担当大臣であった西村康稔氏による『コロナとの死闘』(幻冬舎)という本が出た。こちらのほうは真正「自画自賛」本に堕してしまっているようだ。Amazonでは300以上のレビューがつきながら圧倒的に「星1つ」(珍しい現象だ。批判のために多数が読んだとしかいいようがない)という惨憺たる酷評の集中砲火を浴びている。むべなるかな。

22/05/06 お知らせとお詫び:4月30日頃から5月6日午前8時までのあいだに私ども(個人及び舎宛)へメール送信された方へご連絡いたします。当方のメールの受信設定に誤りがあり、お送りいただいたほとんどのメールが、POPサーバー段階で消去されてしまうという事態に陥っていたことが判明いたしました。申し訳ありません。この期間に送信された可能性のある方は、ご面倒をおかけしますが、再度お送りいただきたくお願い申し上げます。不手際の段、重ねてお詫び申し上げます。

22/04/27 ●「インドの大魔王」こと大麻豊氏より、スリランカ・キャンディ在住の写真家廣津秋義氏が亡くなったとの電話を昨日もらった。1か月ほど前に廣津氏と話されたそうだが、すでに体調はかなりよろしくなかったようだ。私の場合ここ数年メールのやりとりも途絶えていた。2017年から18年にかけて当ホームページにて「スリランカ点描」というタイトルで写真とエッセイの連載をご協力願ったのが最後だったか。6-7年前にシンハラ人の奥様とスリランカへ移住されていた。そのころから長年フィルムで撮影されていた写真をデジタルに移行された。メールの利用も始まった。おかげで原稿や写真の受け渡しも遠くスリランカからでもネット経由で便利だった。2010年小舎刊行の『スリランカ古都の群像』の制作では、大判の大学ノート3冊分にびっしりと書き込まれた筆圧の強い手書き原稿と、写真はポジフィルムで1コマごとスリーブに入っていた。もちろん当時であっても文字原稿はテキストファイル、写真はデジタルが世間では一般的になっていたのだが、オールドスタイルであった。あるとき近くのインド料理店へお昼ごはんをお誘いしたとき、そこのカレーの味付けに砂糖が使われていること(私には感じ取れなかった)に嫌悪され、ひとくち口にされただけであとは苦々しげな面持ちでナンだけで済まされた。ふつうはホストの手前、無理にでも食べるもんだろなんて思ったものだが、妥協は一切なかった。廣津さんらしい、懐かしい思い出である。ご冥福をお祈りします。合掌。

22/04/18

女のいない男たち
鶴見良行私論第Ⅲ部として「『フィールドノート』を読む」が始まります。引き続きご愛顧くださいますようご案内申し上げます。なお「鶴見良行私論【総合目次】」をつくりましたのであわせてご利用ください。
●JR恵比寿駅内に設置されている地下鉄日比谷線への案内板は、日本語、英語、韓国語、ロシア語で表記されているそうだ。ロシア語とは珍しい。日比谷線沿線にロシア大使館があるらしくロシア人の利用も多いゆえのことらしい。そのロシア語表記の道案内が利用客からのクレームを受け、白い紙で覆い隠されて「調整中」となったらしい。のちに「対応が不適切だ」とSNS上で批判が続発し、再び表示されることになった。JR東は「戻すことが妥当と判断した」(朝日新聞朝刊、2022.4.15)ということらしいが、ロシアのウクライナ侵攻以来、なんでもありのロシア叩きが、なんとも短慮で見苦しい。戦中の「敵性言語」とやらを思い起こさせる。今春からEテレのロシア語講座(「ロシアゴスキー」)が放送終了となったのも一連の流れか!?と騒がれたが、こちらは2月には既定路線であった模様で、ウクライナ侵攻とは無関係らしい(ラジオ版は継続)。ちなみにアラビア語のEテレ番組も終了となった。モロッコ方言を学ぶという、かなり特殊な内容であったゆえ、影響はあまりなさそうである(映像は楽しかった)。米アカデミー賞受賞の映画「ドライブ・マイ・カー」の原作となる短編集、村上春樹『女のいない男たち』(文春文庫、2016)を読んだ。ロシアを代表する作家の一人、チェーホフの戯曲『ワーニャ伯父さん』が小説の中にすこし登場するが、映画のほうはこの戯曲が入れ子構造に埋め込まれていて、かなり重要度の高い位置づけになっていると聞く。映画鑑賞前には一読しておきたい。もちろん日本語訳だけど。

22/04/03 インドの大魔王「お笑い神話(4月号)」をアップしました。
近著探訪第53回『象の旅』(ジョゼ・サラマーゴ著)をアップしました。

22/03/27

吉永邦治展


岸 惠子著
岩波書店
鶴見良行私論第Ⅱ部「炉辺追憶」アヘンの耳(6)をアップしました。
●シルクロードの世界を描き続けている画家吉永邦治氏による「異境への旅」展(PDF)が4月2日から6月30日のあいだ大阪大谷大学博物館で開催されます。
●机の上に両脚を投げ出して足首のところで左右の脚を交差させて、行儀悪く小一時間本を読んでいたら下側になっていたほうの右足首あたりから痛みが走り出し、その翌日から3日間激痛に襲われ歩行に難儀した。サロメチール・ゾルというスプレー式の鎮痛消炎剤を患部にたっぷりふりかけたことが最終的には奏功した。以前であれば、姿勢を正しい位置に戻せばものの数分もすれば痛みは消え去ったもんだ。これが年ということか、腹立たしい。その時読んでいたのが『岸惠子自伝』(岩波書店・2021)という本であった。そこに書かれていたエピソードのいくつもに既視感があって、どこかで読んだことがあったのだろうか……と不思議な思いのまま巻末の「終わりに」にいたって、ようやく腑に落ちた。2020年5月に日経で「私の履歴書」を連載したことが本書の出版につながったという記述に出くわしたのだ。当時のスクラップブックを取り出したらご丁寧にもすべての記事を切り抜いていた。なーんだ。と同時に、すでに読んで保存していたものを新たに買って再び読んで(もちろん本書のほうが新聞記事よりずっと内容豊富なんだけど)、足首を損傷するなんて割が合わないではないか。腹立たしい(しかもたった2年ほど前のことなのにすっかり忘れてしまっている!)。なんとも手前勝手な理屈ではあるが、老境に入るとわずかな身体の不調に恐れおののき、その不調を引き起こすこととなった「原因」そのものに許し難き感情がわき起こってしまう。この場合、行儀の悪い自分自身に対してではなく、『岸惠子自伝』に当たってしまわざるを得ないのだ。お恥ずかしい。本に怒ったってしょうがないのは承知の上ではある。さてさて、「岸惠子」について書こうと思う。じつはいま「鶴見良行私論」を連載してもらっている庄野護氏からずいぶん昔に預かっていた草稿に「岸惠子」が登場する。小田実が徳島の病院(小田の実兄が医者として勤めていた病院)に入院していた1971年のこと。当時若かりし庄野氏が転がり込んでいた、A新聞の徳島支局に所属する記者M氏のアパートで焼き肉パーティが催される。その2DKに小田実、岸惠子、映画配給会社の秦早穂子、徳島在住の若者たちが集う。そこで「女優から主婦への変わり身の早さ」を自負する岸惠子の、料理の手際の良さを目の当たりにするのだった。70年代初頭の時代臭がそこかしこに充満した内容である。岸惠子の女優としてだけではない、多様な「表現者」として一途に「現場」へと突っ走る、彼女の行動的な一面も伝わってくる。いつか当ホームページで紹介したいと思っている。このときの岸惠子の徳島行は、私は未見だけれど、秦早穂子との共著『パリ・東京井戸端会議』(読売新聞社・1973、のちに新潮文庫・1984)に触れられているらしい。

22/03/18 ●16日深夜、福島県沖を震源とする、東北・関東一円を襲った地震の直後から、当ホームページを運用しているレンタルサーバー(東京)において障害が発生し、WEB表示、及びメールの送受信ができない状態が続いた。メール関連は17日夕刻には復旧したが、WEB関連は本日午前9時段階でとりあえず「仮復旧」という状態のようだ。20年以上お世話になっているレンタルサーバーであるけれど復旧にこれほどの時間を要したのははじめて。この間当方へアクセスを試みられていた方には大変ご不便をおかけいたしました。
●虫歯でもないのに歯が痛む。知覚過敏か、神経が損傷しているのか、加齢による歯列環境の劣化か。冷たいものではなくなぜか熱いものがじわりと沁みる。歯医者さんに痛む箇所を明確に特定して伝えられず漠然と数本をチェックしてもらう。レントゲンを撮ってもらったが異常なし。とりあえず歯の掃除をしてもらって薬を塗布してもらった。「これで様子を見て」といわれて帰途に着いたのだが、あれっ?痛んでいたのは左側ではなくて右側だったぞ! あわてて医院に取って返す。医院のみなさんにはあきれられてしまった。大丈夫か?じぶん! コロナ禍に見舞われてあしかけ3年、すっかりからだも頭もよどんでしまっている。
●というわけで、過日久しぶりに山歩きにでかけた。六甲山系の西の端、栂尾山(つがおやま)から横尾山を経て東山までの、「須磨アルプス」と呼ばれる人気のコース。神戸女子大の北側の登山口からスタート。ここに設けられた400段ほどのコンクリートの階段を上ると栂尾山の頂上付近(標高274m)にまで一気に進む。これまで何度も経験してきた階段ではあったが、なまったからだには相当にこたえ、息も絶え絶えに。何度休憩をはさんだことやら。3月にしては気温は20度を超え、快晴の一日。コロナもようやくピークアウトの兆しもうかがわれ、ハイカーの数もこれまで見たことのないほどに多かった。賑わいが戻りつつあることがうれしい。これを機にすこしずつ運動するからだにもっていきたい。

22/03/05 インドの大魔王「お笑い神話(3月号)」をアップしました。
鶴見良行私論第Ⅱ部「炉辺追憶」アヘンの耳(5)をアップしました。

22/02/25 鶴見良行私論第Ⅱ部「炉辺追憶」アヘンの耳(4)をアップしました。

22/02/19 ●かねてより気になっていた、兵庫県三木市に一昨年誕生したモスク併設のレストラン「アルマイダ」へ嫁サンと行ってきた。「アルマイダ」はアラビア語で「食卓」(al-maaidah、アル・マーイダ)の意。三木市内には70人を超えるシリア人が住んでいることもあり、近くで集団礼拝用の施設(マスジド)が求められていたようだ。2階を礼拝場にして、1階部分に食堂とハラール食材の店が併設されている。ムスリムだけでなく一般の日本人客をも対象にして営業している。金曜は集団礼拝の日にあたるので、混雑を避けて土曜のお昼を目指した。40〜50人ほどが収容可能ではあるが、はたして客は奥のテーブルに日本人のカップルひと組のみ。がらんとしている。厨房には誰もいない。ん、営業終了か。……と、われわれの後ろから入ってきた南アジア系の常連客っぽい男性2人組から日本語で「お祈りに行ってるから座って待ってたらいい」と声をかけられた。食堂の壁に電光掲示板があってそこにお祈りのタイムスケジュール(1日5回の礼拝と、金曜の特別礼拝の時間)が灯っていた。「12:30」はズフル(正午)礼拝。10分ほど待っていると料理人が戻ってきた。ランチメニューは1000円から(金曜は1500円でブッフェ形式)。料理は中東風ではなくパキスタン風。カレーとサラダ、ナン、ごはん(バースマティ米)にドリンク。カレーはチキン、ダル、野菜、魚から一択。「チキンと野菜」を所望すると、すこし思案したのち「ひよこ豆はどうか」との返答。「野菜」のほうは品切れだったのか用意してなかったのか。「んじゃあ、ひよこ豆で」と応えるとにっこり。ドリンクは2リットル入りのペットボトルのジュースが紙カップとともにテーブルへ。なんぼでも飲んでちょうだい!っていう感じ。夜は10時まで営業と記してあったが、さすがにモスク附属ゆえに完全ハラールでお酒の提供はなし。私的にはちょっときつい。でもカレーはしっかりとスパイシーで現地風。おいしかった。

22/02/06
「ショートショートランド」1983年3月号
1983年3月号

最相葉月「星新一 一〇〇一話をつくった人」
最相葉月・著
鶴見良行私論第Ⅱ部「炉辺追憶」アヘンの耳(3)をアップしました。
インドの大魔王「お笑い神話(2月号)」をアップしました。
●「ショートショート」(掌編小説)が注目されているらしい。〈「ショートショート」小説 再び脚光〉という記事があった(日経夕刊、2022.1.24)。愛媛県松山市が主催する「坊ちゃん文学賞」では、2019年募集作品の対象を青春文学からショートショートへ変えたところ、応募が急増したと伝えている(20年は9318点、21年は6952点)。記事では「再び」と紹介しながら「最初」への言及がないが、おそらく「最初」のブームは1980年前後になると思う。1978年に講談社文庫の特別企画としてショーショートのコンクールが実施されている。選者は当時斯界の第一人者であった星新一。応募数は5433通にのぼった。さらに数年後の81年にはショートショートの専門誌『ショートショートランド』(講談社)が季刊(のちに隔月刊)で刊行されている。創刊号は初版7万部を一瞬にして売り切った。さきのコンクールも第3回目からはこちらの誌上に移され、創刊号において「星新一ショートショート・コンテスト'81」として引き継がれる。応募数は5225通。原稿用紙数百枚を要する中・長編の作品からすれば、長くても10枚程度の作品で読み切るショートショートは敷居が低く見えるのだろうか。参加型にすると80年代も今もその人気に変わりはなさそうだ。昨今の文学雑誌の部数低迷からすれば、「ショートショート」ジャンルにかぎれば、読み手の数より書き手の数が凌駕してしまっているんじゃないかと思えるほどだ。記事は「短さ自体に価値」としるし、たとえばユーチューブの動画が数分足らずで完結することを求める社会がこうしたブームの背景にあると解く。80年代当時はTV番組のCMが15分ごとに挿入される時間感覚に慣らされてしまったゆえに15分以内で読み切れる作品としてもてはやされたといわれたものだ。その意味では現在のほうがコンテンツの短さはより際だっている。学研プラスから刊行されて人気を博しているシリーズは、題して『5分後に意外な結末』。さらには『5秒後』なんていうシリーズも生まれている。さいごは禅にある「公案問答」のようになってしまうのか……。(ショーショートの歴史は、最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮社、2007年)を参考にしました)

22/01/23 旧著探訪第40回『村田エフェンディ滞土録』をアップしました。

22/01/10 鶴見良行私論第Ⅱ部「炉辺追憶」アヘンの耳(2)をアップしました。
インドの大魔王「お笑い神話(1月号)」をアップしました。
●オミクロン株が猛威を振るっている。ただ感染力は強いが重篤性は極めて低いようだ。感染しても喉の痛み、微熱などの症状にとどまり、肺炎に至るケースはほぼゼロに近いと聞く。100年前のスペイン風邪では足掛け3年にわたって流行の大きな波が3回あった。その後ほぼ収束に向かっていった。当時の内務省衛生局がまとめた調査報告書(『流行性感冒』平凡社、2008年)の「第三回流行状況」と題する項目に次のように記されている。「本流行は大正九年八月上旬福岡、高知に同下旬兵庫に初発したるを破格とし、(略)其症状は普通の感冒と区別する能はざる程度のもの多く」「気候の変遷に従ひ患者漸次増加の傾向を示し」たが「其症状も亦悪性を帯びず肺炎を併発するもの殆ど稀にして大正十年一月に入り患者発生数は稍々増加したるも四、五月より漸次其数を減じ六、七月全く終熄せり」。History repeats itself はたいていの場合ネガティブな文脈で使われるけれど、こればかりはその「歴史」を繰り返してほしいものだ。

22/01/01 ●あけましておめでとうございます。本年もご愛顧のほどどうぞよろしくお願いいたします。
●鶴見良行私論第Ⅱ部(庄野護)として「炉辺追憶」の連載が始まります。鶴見良行をめぐる「こぼれ話」を中心にした内容です。月に1〜2回程度の更新ペースですすめてまいります。

21/12/30
井筒俊彦『「コーラン」を読む』
岩波現代文庫
●服喪につき年賀の欠礼を知らせる書状が今年も何通か届いた。父上や母上が亡くなったというお知らせだが、ほとんどの方が享年90歳以上であることに「今」を感じる。そんななかにS部長の訃報(享年80歳)があった。1980年に新卒入社した会社でお世話になった上司である。差出人はおそらくご子息にあたられる方であろう。私にとって80年代前半は、会社組織というものに所属して、社会人としての一歩を踏み出した、何もかもが新鮮に捉えられた時期にあたる。事情あって私はその会社を退社してしまったのだが、その後も部長が関西出張時には何度か連絡をもらった。が、そのうちお会いすることもなく年賀状の交換だけで30年以上の時が流れてしまった。S部長はその後関連会社の社長もされたと仄聞するから、しかもずいぶん前にリタイアされているわけだから、当然「部長」という呼称はヘンなのけれど、私にとってはやはり部長だ。
 その部長が「あの人はすごいよ。知らないことは知らないって正直にいうんだぜ」と、学歴学識ともに申し分ないある役員をさして言ったことを思い出す。「へー、それがそれほどに賞賛されることなのか」とあまりピンとこなかったのだけれど、なぜかそのときの部長の口吻や周辺の景色を今も鮮明に覚えている。20歳代の青年にとって、知らないことであっても知ったかぶりに虚勢を張らなくてはならず、読んでいない本だって読んだことにして強弁をふるわなければならなかった。そんな空疎な青年時代を送ってしまったという後悔ゆえに今なおその言葉が強く印象に残っているということだろうか。
 ──読んだ本の奥付に記載されている初版の発行年を見てしばし感慨にふけることが、最近多くなった……。
 就寝時のお供となっている、お気に入りの本に井筒俊彦『「コーラン」を読む』(岩波現代文庫、2013年)がある。ここ何年かは年に一回ほどは繰り返し読んでいる。20回シリーズの講座を活字に起こした内容である。コーランを学ぶことがこの読書の目的ではない。高名な学者による、高度に知的な哲学的内容でありながら、一般聴衆が腑に落とすまで面倒がらずに繰り返し繰り返し言葉を重ねてかみ砕いてゆく、言い換えれば、教えるのが楽しくって楽しくってしょうがないという著者のフレンドリーな姿勢に身を委ねていることがとても心地いいのだ。一連の講座を著者自身が振り返って「自由気儘なお喋りをする楽しさ」を満喫したと「あとがき」にしるしている。
 さてこの講座は「岩波市民セミナー」開講の記念すべき第1回として1982年1月から3月にかけて催された。岩波書店から単行本になったのが1983年。私が社会人デビューし部長と出会った頃のことだ。当時、井筒の「い」も知らず、コーランの「コ」の字も知らない。こんな世界があるとは思いも至らなかったあの時代。40年近く経って遅ればせながら縁あって愛読書となった。このじゅうぶんすぎるほどの時間が不覚にも過ぎ去っていたことにめまいを覚えてしまいそうだ。
「不知為不知、是知也」(知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり)。鷲田清一「折々のことば」(朝日新聞、12月18日)で過日紹介された、孔子『論語』からのフレーズである。「自分はこういう世界、このような問題があることをこれまでずっと知らなかったのかと、愕然とすることがある」と続けて記している。奥付の「発行年」にめまいを覚え、まさに「愕然」を繰り返している、最近の私である。私のジャーヒリーヤ(無明時代)はまだまだ根が深い。あのとき部長の言葉を真摯に受け止めるべきであったのだろう。合掌。

21/12/05

『青桐の秘密』
『鶴見良行私論 私の「マラッカ物語」(庄野護)』第20回をアップしました。
インドの大魔王「お笑い神話(12月号)」をアップしました。
●中部大学の小島亮先生からご著書『青桐の秘密』(風媒社)をご恵送賜わった。ありがとうございます。「自己と家族をテーマにした渾身の『微視の史学』」は本書帯文から。後藤又兵衛の研究家であられた父上と、ちぎり絵などの美術活動に専念されていた母上。「いわゆる物心ついて以降、戦前世代の父には反発をし続け、母を慣習的な人間として不愉快に感じるばかりで」「『家族』というコトバに強い拒否感を覚えていた」。そんな著者がご両親と、その似姿である自身を発見してゆくクロニクル
。極私的「微視」に徹することで、私たち他者の「時代」をも語れてしまうんですね。発見でした。
●昨日は徳島のスリランカ料理「マータラ」へ。『鶴見良行私論』連載中の庄野護氏との打ち合わせで2年ぶりに訪れた。バナナの葉っぱに包まれたカレーに大満足。やっぱりここのスリランカカレーが一番だ! ところで『鶴見良行私論 私の「マラッカ物語」』は今回の第20回で本シリーズはいったん終了となります。後日第2弾をスタートします。引き続きご愛顧賜わりますよう!

21/11/13 『鶴見良行私論 私の「マラッカ物語」(庄野護)』第19回をアップしました。
インドの大魔王「お笑い神話(11月号)」をアップしました。
●昨晩は元(はじめ)正章牧師が神戸へ帰省中ということで開催された会食に参加した。参加者のなかに松下昇の弟子という方がおられた。ただ私はその「松下昇」なる人物を存じあげず、元牧師からは「えっ、知らんのん?」とびっくりされもしたのだが、ググると、1960年代の全共闘時代、学生たちの行動を擁護し「造反教官」として神戸大学を懲戒免職された人物であった。当時メディアでさかんに取り上げられたそうであるが、私は小6であったのだ。参加者の大半が私より一回り上だったので、そのあたりの方には一般常識だったのだろうか。全共闘時代の人たちと話していると、60年代、70年代、80年代それぞれの時代カラーがくっきりと色分けできることに気づかされる。その弟子筋の方が「松下昇」との出会いから別れ(死別)までを掌編小説仕立てにまとめられた冊子をいただいた。題して『松下損塾』(夢野中也著、2021年)。なんだか、すごいタイトルだ!

21/11/02 ●インドの大魔王こと大麻豊氏より「ヨガ展:インドから日本へ」の案内が届きましたのでアップします。インド独立75周年記念行事の一環で、11月6日から27日のあいだ大阪府立中之島図書館を会場にして開催されます。ワークショップもあります。受講料は無料、事前予約要です。大麻氏ご自身も6日(土)10時〜12時の第一回講座(ヨガの歴史)を担当される予定です。詳しくはこちらのフライヤー(PDF)をご参照ください。

21/10/28 ●久しぶりに安村俊文氏より「大阪自由大学通信11月号」が届きましたのでアップします。コロナ禍もようやく収束方向に向かってくれているのか、すこしずつかつての日常に戻りつつあることが感じられる今日この頃です。

21/10/14 ●今月発売の『文藝春秋11月号』で「財務次官、モノ申す」と題して、最近の与野党の経済政策を「バラマキ合戦」と断じ、「このままでは国家財政が破綻する」と指摘する、現職財務次官の手になる記事が波紋を広げている。コロナ禍で疲弊した経済に向けて、数十兆円規模の財政出動を求める経済対策や、プライマリーバランス(PB)の黒字化目標を当面棚上げするといった反緊縮的な流れに対して、「タイタニック号が氷山に突進しているようなもの」と警鐘を鳴らした内容だ。1100兆円超の借金大国ニッポンとか、対GDPの債務残高比率が250%超であるとか、国民一人当たりにすると1000万円弱の借金を背負っているなどなどは、耳タコ状態であるが、私はしかしながら「反緊縮」派である。デフレ経済真っ只中の経済対策は需要の創造しかない。財源がなければ国債を発行して躊躇なく大規模に財政支出を実行する。むかしからケインズ先生がそうおっしゃっている。なのに四半世紀にわたるデフレ下で「兵力の逐次投入」的しょぼい財政出動と、需要をひたすら冷え込ませる消費税率のアップを繰り返して完全に負のスパイラルに入ってしまった。しかもこのコロナ禍で止めを刺されてしまった。しかし悔やんでもしようがない。まずは「経済」の名目成長率をプラス数%に持ってくることに注力すべきだ。然すれば自ずと「財政」はバランスしてくる。この順序を逆にしては地獄である。PBは黒字化し借金も減ったが、国民経済は干からびて「そして誰もいなくなった(And Then There Were None)」ってなことになりかねない。ところでたいてい破綻論者は、特に財務官僚は、貸借対照表(BS)の右側(貸方)に記載されている負債部分の「巨額の借金」だけを取り上げて声高に難詰する。左側(借方)に記載されているはずの「巨額」の資産にはいっさい触れない。これは大蔵省時代からのお家芸だから今回の「モノ申す」もその路線である。1995年前後まで政府にはBSがなかったと聞くから、複式簿記的な視点がそもそも希薄なのか。ちなみに左側の資産(2020年)には、日本政府の金融資産として700兆円超、政府・日銀を連結した統合政府ベースのBSにすれば日銀保有の国債530兆円あまりが資産勘定になってくるので、結果ネット(正味)の債務はゼロということになる。また債務のGDP比は冒頭に記したようにしばしば話題になるが、債権残高のGDP比はとんとお目にかかれない。参考までその比率(金融資産残高対GDP比)は欧米のおよそ3倍で世界一の水準である。日本の財政はそう悲観するものでもないと思うのだけれど。ともあれ財務諸表は債権債務の両面から見るべきだ。もちろん、資産がたっぷりあるからといってたやすく資金化できるものではないし、そもそも巨額の借金があることじたい決してほめられたものではない。けれど、いまこの経済下で「緊縮」って……? 「それを言っちゃあ、おしまいよ」ではないかしら。

21/10/08 『鶴見良行私論 私の「マラッカ物語」(庄野護)』第18回をアップしました。
インドの大魔王「お笑い神話(10月号)」をアップしました。

21/09/28
●和田朋之氏よりご著書『ハイジャック犯をたずねて スリランカの英雄たち』(彩流社、2021年)をご恵送賜った。1982年インド・ニューデリーからの出張帰りに搭乗した、ローマ発成田行きのアリタリア航空1790便がハイジャックされ、経由地のタイ・バンコク空港に留め置かれる。犯人は1971年のJVP暴動のあとヨーロッパに渡っていた33歳のスリランカ人。目的は、イタリアに住む、イタリア人の妻と子供をつれて帰る(取り戻す)ことと身代金30万ドルであった。事件はその翌日に解決するのだが、著者は事件後30年以上たって犯人を探し出してコンタクトをとる。そしてスリランカを訪れ、交流を重ねてゆく……。ハイジャック犯の半生をからめながらスリランカ現代史を詳述した、異色のノンフィクション作品です。

21/09/18

正木香子著
●6-7年前から毎年開催していた学生時代の同期会がコロナ禍により中断している。東は東京、西は広島のあいだのどこかに年一回集まるというものだ。昨年は関西在住の者が主催となって京都の地を予定していたのだがのびのびになっている。そこで各自の近況を伝える新聞を発行することになった。外野席からは「いまどき新聞って何それ!?」という反応もあり、たしかにこういう場合はFacebookというツールが正しい選択なのだろうが、還暦を過ぎたわれわれの中ではそう違和感を持つものもいないまま、新聞でええんちゃうとなった。さすがに印刷して郵送というわけではなく、PDFに書き出してメール添付で送る。当方で割付を担当することになった。A4ペラの1−2頁もので適宜刊行。PCやタブレットの画面で見る人、印刷して紙で読む人、どちらにも対応できるように画像は大きからず小さからずの解像度に設定した。活字は、DTPソフトのおまけについていた「イワタ新聞明朝体」があったのを思い出し、それで組むことにした。活字の天地が縮小された平体で、線の抑揚が小さい新聞明朝特有の書体がそれっぽい紙面を演出して一人悦に入っていたのだが、これに言及してくれるメンバーは一人もいなかった。読み手からすれば書体なんてやっぱり気にならないものよね。そんなふうに思ったのは先日、正木香子『文字の食卓』(本の雑誌社、2013)を読んだことがきっかけだ。書籍の本文に使われる書体を中心に、著者がその印象と思いを語る内容である。本文用の活字は見出しや広告向けと違っていかに「風景にとけこむ」かが要諦とあった。たしかに小説が全頁ゴシック体で組まれていたら目が痛くなってしまいそう。とにかくふつうであることがポイント。目立っちゃダメ。著者は、そうした個性がない書体の、微妙な立ち居振る舞いの機微を穿って、その特性を読み解いていく。常人には困難な、著者の卓越した感性があってこそ本書のテーマは成立する。ところで、ここで取り上げられている活字は、今は昔の写植時代に栄華を極めた写研のものがメインで、いまのDTP環境下ではほとんど目にしないものが多い。かつて本文組版を写植屋さんにお願いしていたときは本文書体の選択に写研やモリサワの書体見本帳とにらめっこしていたものだけれど、今はパソコンにインストールしてある、リュウミンR-KLか、ヒラギノ明朝W3のどちらかをそう深く考えることなく選んでいる。というか、選択の余地がない。それで、違和感なく、見慣れた「風景にとけこんだ」組み上がりになるので問題ない。新潮社のPR誌『波』(2017年9月)に本文用の明朝体30書体の特徴を一覧(書体設計士・鳥海修氏による)にしたものが掲載されていた。10の指標からそれぞれを5段階評価して分類している。そのなかに普遍性(没個性)という指標がある。この普遍性というのがさきの風景へのとけこみ度合いを示す。リュウミンは5、ヒラギノが4、ともに普遍性大ということのようだ。ちなみに著者の正木氏はリュウミンについて「ふるさとである九州のことばが、脳内でいちばん正確に再生される」書体であると評価されている。……っていわれても、わたしにはよくわからないのだが。さて、同窓向けの新聞明朝もそれなりに風景におさまっていたということだろう。それでいいのだ。

21/09/07 インドの大魔王「お笑い神話(9月号)」をアップしました。
●「2025年の崖」という言葉を知った。大手企業の基幹業務を担っている、半世紀近く前に開発されたコンピュータシステムの、そのメインテナンスに対処できるエンジニアが業界を離れたり鬼籍に入ったりして、システムの中味そのものが誰にもわからなくなってしまうことをいうのだそうだ。そのタイミングが2025年といわれている。つい最近「またか!」とニュースが駆けめぐった、みずほ銀行のシステム不具合はその兆しといえるのかもしれない。『週刊現代』(9月11・18日号)が報じる「みずほ銀行を追い詰めた『あるエンジニアの死』」という記事によれば、みずほ銀行は度重なる障害に懲りて、4000億円の費用をかけて開発した新システム「MINORI」が2019年に稼動を始めたが、そのシステムは全面改訂されたものではなく、部分修理だったのではないかと伝えている。いわく1980年代に使われていたコンピュータ言語COBOL(コボル)で記述されたプログラムやデータ部分がMINORI内部にいまだ残っている可能性があると指摘する。「COBOLを使った部分をなくして、別のプログラム言語で書き換えてもよかったはずなのに、それもしなかった」「なくさなかったのではなく『なくせなかった』のではないか」という。すでにシステムの一部がブラックボックス化して、アンタッチャブルな領域が生まれてしまっているということか。「交換したい部品が古すぎて替えが利かず、やむなく油を差して閉めた」というような顛末だったのか。COBOLは1959年生まれのコンピュータ言語。いまや「化石」と呼ばれる、還暦を過ぎた言語である。使いこなせるエンジニアも激減してしまっているため、みずほ銀行のみならず、COBOLで動いているシステムの保守改修に四苦八苦している実情が日本の産業界にはひろく存在しているらしい。1980年(昭和55年)、学校を卒業して入社した会社でCOBOLの研修を受けたことを思い出す。全社員の中から新入社員だけを抜き出した名簿を作るという課題であった(今だったら個人情報保護に抵触する課題ですね)。プログラムを書いて、それをパンチカードに一枚一枚打ち込んで、そうしたカードの束を銀行の札束を数えるような装置で読み取る。……はたして、DATA DIVISIONがDATE DIVISIONとスペルミスをしてエラーリストしか出力されず、のちに理系出身の同僚に助けてもらった。ああ、懐かしい。パソコンもワープロもなかった、そんなセピア色の時代の言語がこの令和の時代に世界的なメガバンクのシステム内で生きながらえていることに、周回遅れともいわれる日本のデジタル界の一端が垣間見える。

21/08/27

小倉昌男 祈りと経営
●「宅急便」の生みの親、小倉昌男氏(1924-2005)についてのノンフィクション作品、森健『小倉昌男 祈りと経営』(小学館文庫、2019)を読んだ。無明舎出版の舎主安倍甲氏がブログで絶賛されていたのを目にしたことがきっかけだ。「大成功した企業経営者の物語なんか読んでもしょうがない、という偏見」があった(2021.8.11)と記されていたが、どちらかといえば私も同じような嗜好にあって、功なり名を遂げた企業家の書いた本や、名経営者といわれる人物伝や経営論といった類の本を手にしたことがこれまでほとんどない。しかし「偏見」を持った人が大絶賛しているのであれば、これは読まなくてはならない、そう思った。予想どおり巻を措く能わずで、安倍氏同様に夜を徹して読んでしまった。こんなことは数十年ぶりだ。小倉は、ヤマト運輸の経営から一線を引いたあと、私財46億円を投じてヤマト福祉財団を設立し、障害者を支援する活動に入る。なぜ障害者福祉なのか。現役時代にはそうした方面に興味があるようには全く見えなかった小倉を、何がそこまで駆り立てていったのか。成功した企業家の社会への恩返しといった文脈で、通り一遍の捉え方で片づけられてきた。しかし著者はそこに微かな違和を嗅ぎ取る。小倉の生前に付き合いのあった人物をひとりひとり訪ねて取材を進めていく。「真の動機」は何だったのか。様々な証言を積み重ねていくことでその核心にじわりじわりと迫ってゆく。その展開は、まるでミステリー小説を読んでいるかのよう。これまでだれにも知られなかった、小倉の心の奥深くに秘された苦悩が、少しずつ姿を見せてくる。救いようのない深い悲しみと孤独のただなかにあってこそ、人は人にやさしくなれるのかもしれない。読後、そう思わされた。

21/08/22 『鶴見良行私論 私の「マラッカ物語」(庄野護)』第17回をアップしました。
●『鶴見良行私論』の第11回「ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)」と、鶴見良行におきまして、事実関係が誤っているとのご指摘があり、訂正いたしました。申し訳ございません。
●大阪自由大学の安村氏より「ブータンからの最新コロナ報告」(36分)のインタビュー動画公開のお知らせが届きましたので、リンクします。

21/08/11 インドの大魔王「お笑い神話(8月号)」をアップしました。

21/07/28

オスマン帝国英傑列伝
●ふーっ。とりあえず無料版は見終わったぞ!「オスマン帝国外伝 愛と欲望のハレム」である。世界80カ国以上で放映された、トルコの連続TVドラマ(原題「壮麗なる世紀」)。アマゾンで「シーズン1」(48話分。1話が50分前後)が無料放映になっていたのを機に視聴した。テレビの連続ドラマなるものをきちんと見ようと思ったのは、実はこれが生まれてはじめて。世界を席巻したあの「おしん」だって、先日脚本家の橋田壽賀子さんを偲んでTV放映された追悼ドキュメンタリー番組のなかで断片的に紹介されていたものを垣間見た程度で、これまでなんとなく見たような気になっていたのだ。連続ドラマの定番中の定番、NHK大河の歴史物も生まれてこの方一度も見通したことがなく、それゆえに一般的日本人がもつ、最低限の歴史的素養において、私の場合著しく欠落する部分があり、どこそこの戦国武将やら、何代将軍やらの、だれそれのヨメがだれで、その息子が……なんてことに話題が及ぶと、もうちんぷんかんぷんでちょっと恥ずかしい。ともあれスレイマン皇帝が統べる16世紀のオスマン帝国については「どこそこのだれそれ」に関してはわずかながら詳しくなった。権謀術数が渦巻き、魑魅魍魎が跋扈する宮殿とその後宮(ハレム)において、クリミアからさらわれてきた奴隷の側女ヒュッレムが皇帝の寵姫に取り立てられ、ついには妃にまでのし上がっていく物語。数年前中田考氏がこの番組を見て「ヒュッレム呪われよ!」とツイートされていたが、私には、張り巡らされた詭計にはそれ以上の奸智を持って命がけで戦い抜いていくヒュッレムのしたたかな生き様がなんとも魅力的だった。「稀代の悪女」として描かれることが多いのだそうだが、ヒュッレム生誕の地であるウクライナやポーランド(当時のウクライナはポーランド領)では人気が高く、文学やドラマの題材になっているらしい(小笠原弘幸『オスマン帝国 英傑列伝』107-109頁、幻冬舎新書、2020年)。ところでこのドラマは、全編がシーズン1から4までとなって、とりあえずシーズン1を終えたということ。日本語字幕版では総計312話となっているらしい。ということは、全体の15%ほどを見ただけなのだ……。まだまだ先は長い。

21/07/16
生駒新聞の時代
生駒新聞の時代
『鶴見良行私論 私の「マラッカ物語」(庄野護)』第16回をアップしました。
●中部大学の小島亮先生から『生駒新聞の時代 山崎清吉と西本喜一』(風媒社)というご著書(元産経新聞の吉田伊佐夫氏との共著)をご恵送賜った。ありがとうございます。ご専門の「ハンガリー」「東欧社会」ではなく、一風変わった書名。お住まいの奈良・生駒地域で大正時代から平成の世まで連綿と続いてきた地元新聞「生駒新聞」へのオマージュともいうべき回顧録である。しかも資料性を兼ね備えた貴重な記録となっている。タイトルにあるお二方は主筆とその発行元社主のお名前。小島先生とは何度かお会いさせていただいたにすぎないけれど、その該博なバックグランドから繰り出される話題性と、その多岐にわたる知見が、強力な編集力をもって新たな知的世界を創造する、その手際のよさに毎度圧倒されっぱなしであった。むべなるかな、本書を読んでよくわかった。1970年代前半、当時高校一年生の小島少年がこの生駒新聞紙上で論陣を張った「生駒市誌論争」(市編纂の地方史誌への批判)なるものを知ってその早熟ぶりに驚かされた。「理想主義的『地方』観をふくらませつつあった若輩は、『生駒市誌』第一巻を手に取るや、その非普遍的郷土主義を即座に看取し、やにわにその批判の矢を放つ責務を感じた」。うーむ。批判されている市誌編纂の面々は、論争相手が15歳の少年であるとは思いもしなかったであろう。「やや過激な無遠慮かつ無謀な筆法で、強引な主張を敢えてする小島なる人物について、さまざまな風評が立ったものである」。そりゃそうだ。小島先生は、たしか学年でいえば私の一つ上のお年であったと思うが、15歳の私自身の洟垂れぶりを振り返るに愕然としてしまったのである……。

21/07/08 インドの大魔王「お笑い神話(7月号)」をアップしました。

21/06/12 『鶴見良行私論 私の「マラッカ物語」(庄野護)』第15回をアップしました。
●菅義偉政権下において経済政策ブレーンの一人といわれるデービッド・アトキンソンという方のコラムが日経朝刊にあった(2021.6.11)。コロナ後の経済政策について、設備投資の喚起と労働分配率の引き上げ(賃上げ)の必要を訴えている内容なのだが、すこし奇異に感じたのは、その前提となる日本経済の見方だ。個人消費の低迷に言及して、これは何も日本に限ったことではなく、消費税を上げていない国もデフレ下にない国も同様なのだと述べて、消費増税とデフレのせいにしているのは「井の中の蛙である」とあった(さしずめ私は“蛙”であるようだ)。1994年から2019年の四半世紀で、日本のGDPは約50兆円増、消費は約64兆円増、設備投資が約12兆円減という数字を紹介して、「これは世界と同じ動向なので、消費税やデフレはそれを強めただけである」と。そうなのか……世界と同じなのかと納得させられそうになったが、「動向」はたとえ「同じ」であったとしても、日本とその他の国々とのGDP推移の比較において、日本の状況は同日の談として扱えるような次元じゃなかったはずである。というわけでさきほどIMF(国際通貨基金)による国別GDP推移という統計をプリントアウトして眺めてみた。GDP世界1位の米国は1994年当時7兆2800億 US$であったのが、その25年後の2019年には21兆4300億US$となり、1994年当時を100とすれば2019年はその294%に拡大している。独が2兆2000億 US$から3兆8600億 US$となって175%。以下国別に比率だけを示すと、英228%、仏194%、伊184%、加300%、東アジアでは韓国355%、台湾238%、中国は桁違いで2550%。さて、日本は4兆9980億 US$が5兆1480億 US$で、103%である。この25年間ほとんど変化なし。低迷どころか停滞してしまっている。これほどに成長しなかった国はない。「強めただけ」にしては惨憺たる有様である。GDP=消費+投資という単純モデルで考えれば、日本と諸外国のそれと「同じ動向」といわれても、金額ベースの絶対額の増え方は月とスッポンなのだ。こんな前提でいろんな政策提言をされては迷惑千万なことになりはしまいかと危惧する次第であります。(*原文にあった「伸び率」の表記はおかしい!という指摘を知り合いから受けました。たしかにその通りでした。お恥ずかしい。内容を修正しました。)

21/06/01 旧著探訪第39回『サハラに死す』をアップしました。

21/05/23

『脳みそカレー味』
山際素男著
インドの大魔王「お笑い神話(5月号)」をアップしました。
『鶴見良行私論 私の「マラッカ物語」(庄野護)』第14回をアップしました。
●「日本酒高額転売 悩む蔵元」(日経夕刊2021.5.22)という記事があった。希少性の高い(流通量の少ない)日本酒銘柄が高額で転売されている。「幻の」などと冠されると、720ミリリットルで小売価格数千円が何万円にも跳ね上がって売られている。この記事を読むまで、高額な値付けは、その蔵元にとって箔をつけてくれることとなって歓迎する気持ちがどこかあるんじゃないかと思っていたのだが、「日本酒ファンが離れかねない事態」と危惧しているのだった。日本酒離れの昨今、美味しいお酒をできるだけ多くの人に手頃な価格で呑んでもらって日本酒ファン獲得へとつなげたいというのが切なる業界の思いであろう。正規ルートを経ない流通過程の状況は確認のしようがなく、商品管理の不徹底による品質低下も心配される。蔵元は特約店へ卸す際にラベルに特約店名を印字して販路の追跡ができるような措置をとるのだが、転売業者はその特約店名を塗りつぶして販売しているという。特約店にしてもその来店客が転売目的なのかどうかはわからない。そもそも「お客さまを前に疑心暗鬼になるのは、商人として悲しい」と。何かで話題になってそのお酒を飲んでみようとネット上で探すと、びっくりするような価格になっていて諦めたことは私も何度も経験した。個人間取引の自由は保障されなければならないけれど、あまりに度を過ぎたものには「無茶しよるな!」と冷めて相手にせず笑い飛ばしてやろう。……とこんなことを書こうと思ったのは、今日の日経「私の履歴書」の記事(5.23)がきっかけである。5月は女優の吉行和子さんが執筆されている。インド研究家の山際素男氏による引率で、岸田今日子氏と一緒に行ったインド旅行に言及して、その旅の顛末が山際氏の手で『脳みそカレー味』(三一書房、1985)という楽しい本になったとしるしていた。もう35年以上前になる本だけれど記憶があった。本棚から探し出して先ほどまで読んでいたのだが、吉行・岸田両氏の浮世離れした感性がキレまくった、抱腹絶倒モノの“迷著”となっている。で、ひょっとしたらと思い、さきほどamazonの古書コーナーでの値付けを確認してみた。送料別で最低価格が9000円、最高価格が32100円。案の定「無茶やりおったな!」であった。ちなみにメルカリではSOLDであったが「目立った傷や汚れなし」状態で400円(送料込み)であった。まあ、平時ではそんなもんでしょうね。

21/05/03 『鶴見良行私論 私の「マラッカ物語」(庄野護)』第13回をアップしました。
●過日、NHK(BS)でスペイン風邪を題材にした「流行感冒」(主演/本木雅弘)というドラマがあった。原作は志賀直哉。こういう作品があったのか……。1919年(大正8)3月に『白樺』誌上で発表されたもの。わたしは学生の頃、志賀直哉の愛読者であった(当時お小遣いを貯めて岩波書店から刊行された全集14巻+別巻を古本屋で買った。清水の舞台から飛び降りるほどの覚悟で手に入れたものだけれど、今では全集モノは二束三文だ!)。いわゆる私小説というものに惹かれ、私小説以外は認めないといった偏った人間であった。今ではまったく読まなくなってしまったし、フィクションのほうが好みになってしまっているが、ひさしぶりに作品を読んで、著者の、ある種、優柔不断で自分勝手な潔癖ぶりの作風に、ああ、この感じ、思い出したぞ、と懐かしさを感じた。自分のみならず他人に対してまで潔癖を強いながら、それが自他ともに完遂されずにいると不愉快になる。そして癇癪を起こしては、それがまた原因となって自らをさらに不快にしてしまう。自身の「気持の不統一」がもたらす不愉快。読後、こういう心の持ち方ができるのは、青年の特権ではないのか、そんな気持ちにさせられた。潔癖を貫き通せない、妥協に慣れっこになってしまった故の、一抹の寂しさを感じもした。ところで、新型コロナ禍という最中でなければおざなりな読み方しかできなかったかもしれない。今が旬。それと、やっぱり、さすがに上手な小説ですね。

21/04/20
『こころのおきどころ』(井上太市郎著)という本を刊行した。書名は、著者が師と仰ぐ中村天風(1876-1968)の「人生は心一つの置きどころ」に由来する。天風哲学を実践されてきた著者が日々の会社経営のなかで気づいたこと、感じたことを99のコラムにしてまとめた一冊。じつは私は半世紀以上前、天風会に参加したことがある。1960年代半ばの10歳にも満たない頃、父に連れられて神戸支部の夏期修練会に2、3年通った。場所はいまの新神戸駅(山陽新幹線の開通前なのでまだ駅はない)あたりから山側に入っていったところ。お寺だったか、小学校であったか、記憶は定かでないが、そうした場所を借りて開催されていた。運動場のような広場で男性は上半身裸(女性は木綿生地の白いワンピース型の運動着)になって天風会独特の体操をしたり、全員で誦句を元気よく発声したり、講堂で座禅を組みながら天風先生のお話を聞いたり。座禅といっても、うとうとまどろみながら耳にする天風先生のお話はほとんど理解できなかったが、インドの奥地へ修行に向かう、命からがらの旅の話はスリル満点で子どもながらに面白かったなあという記憶は残っている。ほんとに何も学ばず恥ずかしい限りではあるが、今となっては生前の哲人天風の謦咳に接することができたという事実だけでもちょっと誇らしく思えるのだ。病弱だった親父に天風会を勧めてくださった父の友人は今もご健在で、私の母宛に送られてきた今年の年賀状には、93歳にして「ユーチューバーをしています」というコメントが記されていた。1回15分程度の講話にまとめて、若かりし頃の思い出を披露されている。最初の数回はまさに1950年代から60年代の中村天風にまつわるエピソードだった。おかげで、ぼんやりと脈絡のない記憶の断片であったものに、すこし輪郭が与えられて、降り注ぐ蝉時雨と、燦々と照りつける黄色い太陽の下で繰り広げられていた修練会の光景が懐かしく思い出されるのだ。

21/04/02 『鶴見良行私論 私の「マラッカ物語」(庄野護)』第12回をアップしました。
インドの大魔王「お笑い神話(4月号)」をアップしました。
アラビア語検索エンジン「アラジン」が突然使えなくなっている。「ドメインが無効な状態です」というメッセージが画面に現れる。アラビア語学習者の圧倒的多数が利用している便利なサイトである。アラビア語の辞書は基本的に「語根で引く」形式なので、初学者の場合、そもそも単語のどの部分が語根であるのか見極めにくく、一般的な辞書ではハードルが高いのだ。ところがアラジンはそのまま目にした形で単語を入力すればOK。例文も豊富である。白水社から出ている『パスポート初級アラビア語辞典』は「初級」ゆえに、主要単語がアルファベット順に並べてあるので重宝するのだけれど、毎日携行するようなシロモンじゃない。外出先で気になったときにスマホでもサクサク引けるというのは超便利なのである。しかもベーシックな使い方であれば無料。開発者の方にはいくらお礼を述べても足りないぐらいお世話になっている。このたびのアクシデントの背景を誰か書き込んでいないかなと眺めてみたがそれらしきコメントは見つからず。ただ5、6年前にも突然つながらない状態が1週間ほど続いたという記事があった。そのときは更新作業の誤操作によるものだったらしい。今回も無事復活となってほしい。

21/03/20 ●コロナ禍により休講になっておりました大阪自由大学が4月より本格的に再開されます。スケジュールは「大阪自由大学通信4月号」をご参照ください。

21/03/12 インドの大魔王「お笑い神話(3月号)」をアップしました。
Hati Malaysia主催「マレーシア文化オンライン講座」において、講義「町と住まいの魅力」を担当される宇高雄志氏(兵庫県立大教授)のインタビュー記事が「マレーシア文化通信WAU第27号」(PDF)に掲載されましたのでご案内します。

21/03/04 『鶴見良行私論 私の「マラッカ物語」(庄野護)』第11回をアップしました。見出しを一覧できる「目次」ページを用意いたしました。ご利用ください。
●マイナンバーカードの交付申請書が郵便で送られてきたのを機に過日オンラインで申請した。遅ればせなのか、いや、まだ取得率が25%程度ということからすれば、早いほうなのかもしれない。個人情報が一元化されて国家による監視体制下に丸ごと組み込まれてしまうことを危惧する声を耳にするが、たしかにそれも怖いことだけれど、そういった問題に加え、そもそもデジタルセキュリティに関して世界標準並みの感度と技量があるのか。このあたりがじつに疑わしく、私は端から信用していない。「パソコンに触ったことがない」「USBって?」といったレベルのサイバーセキュリティ大臣を担いでいた日本である。つい最近、コロナ接触情報アプリ「COCOA」の不具合の報道があったが、そのあまりにもお粗末な顛末は耳を疑うほどのものだった。昨年10万円の定額給付のオンライン申請にしたってシステムがほとんど動かず、結局は郵送での申請を推奨するといったなんとも時代錯誤な無様な失態を演じたのは記憶に新しい。ITに関する日本の技術レベルは、悲しいかな、世界的にみてかなり低いことはこのコロナ禍に見舞われて以来、私たちみんなが知るところとなっている(世界のデジタルランキングでは1位米国、2位シンガポールとはじまって日本は27位だそう)。とはいってもいつまでもグダグダしていても仕方がないのでえいやっの思いでカード取得に取りかかった次第。オンライン申請なのでまずは写真を準備することから始めるのだけれど、肝心の写真データについての説明がまったくない。データゆえ、当然解像度の基準が示されてしかるべきであるが、送られてきたパンフレットや、ネット上の案内サイトを隅から隅までチェックしたけれど、それに関してはひと言も触れられていない。縦4.5cm×横3.5cmとあるのみ。解像度は不問なのかな。ともあれ、自宅で白い壁をバックにiPadで自撮りした写真をPhotoshopで規定のサイズにトリミングして準備したのだった。インターネット上の申請サイトにアクセスし、表示された入力画面に申請IDナンバーを打ち込み、メールアドレスを登録する。と、メールでログイン専用のURLが送られてきて、そこから再びログインする。画面に表示されている個人データを確認し、生年月日を入力し、そして最後の最後、写真をアップロードする画面に進んだところで、縦・横ともに480ピクセル以上という基準が記されていたのだった。この段になってそんなこといわれても困るじゃないか……。準備した写真がどうだったのか確認するのも面倒で、とりあえずはその写真ファイルを選択してアップロード・ボタンを押すと、瞬時にしてピクセル不足ではねつけられてしまった。あとでみると数十ピクセル不足であったようだ。最終ステップのここに至って申請作業はいったん中断せざるを得ず、後日あらためて写真の準備からやり直すことになってしまった。面倒くさいこと、この上ない。じつに忌々しい。申請など永久にしてやるものかっ! 再チャレンジまで数日の冷却期間を要したのであった。

21/02/18
イスタンブール、時はゆるやかに(澁澤幸子)
澁澤幸子著
『鶴見良行私論 私の「マラッカ物語」(庄野護)』第10回をアップしました。
●古本屋さんで何気なく手にした、澁澤幸子『イスタンブール、時はゆるやかに』(新潮文庫、1997)は、衝撃的な本であった。著者は、1981年にイスタンブールを訪れて以来、トルコに魅了され、その後足しげく通いつめる。本書は、その最初の訪問から10年あまりのあいだの、複数回におよぶ旅の記録がもとになっている。冒頭、ギリシャから鉄路でイスタンブールへ向かう列車内の話から始まる。著者にとってはじめてのトルコである。欧米6カ国から9人の若いバックパッカーたちが五月雨式に一つのコンパートメントに集い、6人掛けのシートはぎゅうぎゅう詰めで、「ランチタイムはちょっとした饗宴となった。パンやチーズやソーセージが飛び交い、コーラや水のびんがぐるぐる廻る」。今のパンデミック下ではまったく「アウト!」であるが、いかにも若者たちの楽しい雰囲気が伝わってくる。著者のノリもよく、旅の途上、現地の老若男女から受ける、中東特有の過剰なホスピタリティにも臆せず応えて、イスタンブールだけでなく、アナトリアの津々浦々においても、たくさんの出会いがあって、たくさんの親切を全身で堪能し、トルコの人と風土の魅力を存分に伝える。フットワークがすばらしい。さらに歴史を語る解説部分も浅からずくどすぎず、手際がよい。引用される文献も14世紀のイブン・バトゥータであったり、ギリシャ映画「旅芸人の記録」(1975)であったり、ちょっとしぶい。バックパッカーものの域を超えて文明批評ともいえる内容になっている。すごい女の子だなあと、読み終わって著者プロフィールに目を通した。「故澁澤龍彦氏の妹」とあって思わず「えっ?」となった。澁澤龍彦って、私の親父の世代。その妹となると……、女性だからなのかそこには生年が記されていない。ググルと「1930年生まれ(91歳)」であった。ということは、はじめてトルコへ向かった1981年は51歳。そこから60歳をすこし過ぎるあたりまでの旅をしるしたということだ。私は、20代半ばから30代前半の女性を想定して読んでいた。どこかで読み落としがあったのか。こちらの勝手な思い込みだったのか。ずいぶん昔読んだミステリー小説で、実際は老齢の主人公なのにその挙措の描写において読者には壮健な青年と思い込ませて成立するトリックがあったのを思い出した(書名はネタバレになるので書かない)。いずれにしてもこの旅の軽快なイケてる感は、一般的には青年期のそれである。すごい! 全くもって素敵である。こちらとて、まだまだがんばれるぞ。元気をもらった一冊であった。

21/02/03

日本・ウクライナ
交流史


大正十五年の
聖バレンタイン


お伽の国─日本
インドの大魔王「お笑い神話(2月号)」をアップしました。
●大阪自由大学の安村氏より「ブータンのコロナ事情」と題する、現地在住の日本人へのインタビュー動画の案内が届いておりますのでリンクします。「国民総幸福」(GNH)を国是に掲げたブータンの今の状況はどうなっているのでしょう? 約20分の動画です。
https://youtu.be/RDDJkNqZ43Q
●窮狸校正所の森卓司さんより岡部芳彦著『日本・ウクライナ交流史 1915-1937年』をご恵送賜った。神戸学院大学出版会発足の第一弾となる記念すべき作品で、その制作を請け負われた由。キリル文字が混在する組版だけれどすっきりときれいな誌面に仕上がっている。「日本人がロシア人だと思っているのが実はウクライナ人だったりします」と森さん。タイトルに含まれているこの時期(ロシア革命の1917年以降)はボルシェビキを嫌った白系ロシア人の亡命が相次いだ。
「白系ロシア人」の呼称は、旧帝政ロシア領土出身者の反革命派エクソダスをひっくるめて指すと考えれば、スラブ系のロシア人だけでなく、トルコ系のタタール人や、本書のテーマであるウクライナ人も多く含まれていた。第5章では満州ハルビンの地で手広く商売をしていた資産家のウクライナ人(白系ロシア人)、セルゲイ・タラセンコ氏が紹介されている。本書にもあるとおり、その娘オリガが神戸のコスモポリタン製菓(元神戸モロゾフ製菓)のモロゾフ家(この一家も米国経由で神戸に移住した白系ロシア人)の長男ワレンティンと結婚して日本で暮らした。三ノ宮本店の店頭に立たれていた晩年の姿を記憶されている人も多いと思う。残念ながらコスモポリタン製菓は業務不振で2006年に廃業。モロゾフ一家の大正から昭和までのドラマチックな物語は、川又一英『大正十五年の聖バレンタイン 日本でチョコレートをつくったV.F.モロゾフ物語』(PHP研究所、1984)に詳しい。ところで、この本で文豪トルストイの娘が芦屋に住んでいたことを知った。神戸までの電車賃を節約して自転車でトアロードの坂道を「太った躰から苦しそうに息をはずませて」モロゾフの店までやってきていたらしい。当時15歳だったワレンティンは「男のような話し方をする中年のおばさんと白い髭の文豪とはどこか結びつかない気がした」と回想する。トルストイの四女、アレクサンドラ・トルスタヤ。1929年から2年弱、日本に滞在していた。ソビエト体制の矛盾・圧政に辟易していた彼女は、日本からの講演依頼を受けるというかたちで国外脱出を図ったのだった。彼女の日本滞在記が出版されている。『お伽の国─日本』(ふみ子・デイヴィス訳、群像社、2007)という一書。自転車に乗った中年のおばちゃんのイメージが強すぎたか、あまり期待しないで読んだのだけれど、これがめっぽう面白かった。交流した日本人のロシア文学者たち、進歩派をきどった社会主義礼賛の日本人女流作家との論争、岩波書店の岩波茂雄との出会いなどなど、昭和初期の世相が活写されていて興味深い。さすがにトルストイの血を引く、観察眼の鋭い、かなりの教養人なのだった。「岩波書店主の岩波さんに依頼された本を書くにあたって、(略)芦屋の海辺の小さな家に住むことになった」。芦屋にはほんの数カ月の滞在であったのかもしれない。その後『トルストイの思い出』(八杉貞則・深見尚行訳、岩波書店、1930)を上梓。1931年彼女は米国に亡命した。

21/01/24 『鶴見良行私論 私の「マラッカ物語」(庄野護)』第9回をアップしました。

21/01/11 インドの大魔王「お笑い神話(1月号)」をアップしました。
近著探訪第52回『左翼の逆襲』(松尾匡著)をアップしました。

21/01/03 ●あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
●昨年圧倒的なブームをもたらした漫画「鬼滅の刃」であるが、恥ずかしながら私は、12月初旬、単行本最終23巻の発売ニュースが大きく報道されるまで知らなかった。累計1億2000万部という桁外れの、モンスター・セラー。仙人のような暮らしをしているわけでもないのに社会との疎隔感に我ながら大丈夫かいな?と不安になってしまう。知人からあらましのレクチャーを受けた。時代背景は大正。鬼に家族を惨殺された、炭焼きを生業とする少年とその妹が鬼退治に向かう。凄惨な戦闘シーンが多く、血しぶきが飛び交う。子どもにとっては刺激が強すぎるような気がしてはじめは抵抗感があったが、今ではすっかりはまってしまった……と。あ、それって「柳田國男」じゃないかなとふと思ったのだった。『山の人生』の最初に出てくる「山に埋もれたる人生ある事」だ。今日食べる一粒の米もない極貧一家の話。炭焼きの50過ぎの父とその息子(13歳)と、同じ年頃の養女の三人家族。子どもながらに家計の事情はわかりすぎるほどにわかっている。秋の夕暮れ。父がうたた寝からふと目が覚めると、日だまりのなかで子どもたちが斧を研いでいる。そして「おとう、これでわしたちを殺してくれ」と言って、材木を枕にして仰向けに寝た。その二人の姿に「くらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打落してしまった」という実話である。あの二人の子どもが今よみがえって世の不条理との戦いを始めたにちがいない。新編柳田國男集第一巻(筑摩書房、1978)の解説をみると、『山の人生』の初出は、大正14年1月から8月まで「アサヒグラフ」に連載されたとあった。「鬼滅の刃」をいまだ実見していないのでなんとも無責任な物言いなのだけれど、「大正」「炭焼き」「兄妹」「血しぶき」のイメージからすれば、「鬼滅」はまさにこの一家だ。だれかこのアプローチで読み解いてもらえないかなあ。

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