鶴見良行『バナナと日本人』が、新たに切り拓いた研究領域がいくつかある。
その一つが、植物学者・中村武久による『バナナ学入門』(丸善ライブラリー、1991)である。150ページ足らずのコンパクトな新書に仕上がっている。『バナナと日本人』の刊行でバナナに関心をもつ人々が増え、『バナナ学入門』はより多くの読者を得た。
著者・中村武久(1932-2011)は、東京農大農学部教授として、バナナ研究、マングローブ研究に従事してきた。1994年には日本マングローブ学会会長に就任している。中須賀常雄との共著に『マングローブ入門─海に生える緑の森─』(めこん、1998)がある。鶴見良行の死後(1994)、良行との縁があった出版社(めこん)からの刊行だ。人間とマングローブの関わりを明らかにし、「生物種の絶滅」や「砂漠化・温暖化」の問題までマングローブについて幅広く論じている。カラー写真と世界のマングローブ図鑑(約60頁)も付く。見て楽しい本である。
植物学者・中村武久は、マングローブの沼地から世界を見た。良行も『マングローブの沼地で』(朝日新聞出版、1984)で同様にマングローブの沼地からアジアの文化を見ようとした。中村と良行の視点の違いは、どこにあったか? 植物学者の視点とアジア学者の視点の違いは当然あったが、文化を見る視点は共通していた。
『マングローブ入門』に注目すべき「マングローブ文化論」が展開されている。
「イスラム教がはるか中東から東南アジアへ伝わったイスラムの道は、マングローブ林を通って広がっていったのではないかと思える。“マングローブ文化ロード”ともよぶべきルートが存在していたのだろう。そして、マングローブ域には、人々が自給するに足る、食料としてのエビ、カニ、魚などの資源が豊かにあった。また、そこに暮らす人々の捕獲方法はマングローブ生態系にダメージを与えるものでなかった」(p.78-79)
マングローブの沼地は、生産力が高く人々をひきつけてきた。マングローブが密生する地域は、東南アジアの海岸沿いに広がる文化地帯でもある。そこにイスラム教が伝わった、とするマングローブ文化論である。中村と良行が対談していたら、マングローブ文化論の話題は尽きなかっただろう。
ふたりの研究領域は、重なりあっていた。共にバナナとマングローブに夢中になった二人である。互いを意識しないはずはなかっただろう。しかし、両者において相手への言及はほとんどない。『マングローブ入門』に、『マングローブの沼地で』への言及はなく、参考文献にもない。
『バナナ学入門』には、『バナナと日本人』への言及が一箇所だけある。
「フィリピンのバナナ産業については、鶴見良行氏が『バナナと日本人』(岩波新書)の中で詳しく論説している。 それによれば、アメリカや日本の外資資本が入ってフィリピンのバナナ産業が拡大され、一九六〇年代、特に日本への輸出が増加し、それまでの日本へのバナナ輸出国台湾を押さえ、その主流の地位を獲得したという」(p.139)
そっけない記述である。そして、良行が記述しなかった領域を論述している。
そのひとつが、台湾バナナと日本人の関係である。
台湾バナナが日本人にとって歴史的には最初のバナナであった。
1903年(明治36)以降に最初に日本に入ってきた食用バナナは、台湾バナナであった。日清戦争の結果、台湾が日本の植民地となり、台湾から神戸港に台湾バナナが輸入されるようになった。台湾バナナの歴史について、中村は比較的長い解説をしている。そこには、フィリピンバナナを論じた『バナナと日本人』と一対の書籍として『バナナ学入門』を読者に届けようとした書き手の意思が感じられる。
ところで、バナナは漢字表記では「甘露」(かんろ)とも表記されてきた。ちなみにキャベツは「甘藍」(かんらん)である。共に江戸時代からの名称である。沖縄に残る文献によれば、「甘露」の表記は「使琉球雑録」(1683)にあり、『バナナ学入門』に次の引用がある。
「芭蕉の結実を甘露と名づく。形薯蕷の如し、国人常に此れをもって以って相餉す。煮て食すれば甚だ甘く、番薯と同じ。蕉葉は則ち織りて以って布を為する」(p.61-62)
バナナ科の植物は、日本にも古くから栽培されてきた。しかし、その栽培目的は、繊維から布を織ることであった。
「バナナといえば熱帯の果物というのが一般通念で、『日本にもバナナがありますよ』といってもなかなか信じてもらえない」(『バナナ学入門』p.58)
この20年で西日本のバナナ栽培面積は、増加してきた。各地にあるインド料理店やスリランカ料理店にはバナナの葉を売り込みに来る農業従事者が増えていると聞く。
『バナナ学入門』の第3章「バナナのいろいろ─東南アジアを中心に」の中で、日本のバナナを解説した一節は簡潔で分かりやすい。
日本人一人当たりのバナナの消費量は、世界と比較すれば、それほど多くない。最大の消費国はアメリカで、供給地は東南アジアではなく、中南米の国々である。日本のスーパー・マーケットでもフィリピン産バナナと並んでエクアドル産バナナが売られている。世界最大のバナナ生産国は、エクアドルである。フィリピンは、東南アジアでは最大の生産国であり、世界の生産国ではトップ10に入るが、台湾バナナの生産量はフィリピン産バナナの10分の1程度の現状にある。(p.58-69)
中村のバナナ研究によれば、バナナ生産量はコメの生産量をはるかにしのぎ、「人類の食生活のかなりの部分が(バナナに:引用者註)賄われているのである」(p.142)と論じている。
21世紀の食糧問題の解決においては、バナナ生産のあり方が問われている。「バナナを取りあげなければ(食糧問題の:引用者註)問題解決はできないであろう」(p.142)と述べている。
世界史のなかで中村武久はバナナ問題を考えてきた。バナナは、「食べるか食べないか」というレベルの問題を越えて、人類必須の食用植物としてすでに存在している。