鶴見良行私論第2部「炉辺追憶」庄野護

    ◎第11回『バナナと日本人』岩波新書・1982年 (その8)

     ──編集者・ 郷雅之と鶴見良行──


『バナナと日本人』(1982)の刊行から23年後、2005年9月に出た雑誌がある。季刊雑誌「at(あっと)」1号(太田出版)である。「バナナから見える世界」を特集している。目次には、堀田正彦・秋山眞兄「『善意』から『生きる力』としてのバナナへ」、石川清「バナナの世界地図」、関敬子「バナナ、フェアトレード最前線を歩く」などが並ぶ。加えて、木川和子・石澤真満子によるバナナに関するコラム6本が収録されている。編集を担当したのは、郷雅之(1961-、編集室パラグラフ、当時)である。郷は、『鶴見良行著作集』全12巻の担当編集者だった。2004年に『著作集』を完成させたあとに取り組んだのが、雑誌『at』での特集「バナナから見える世界」であった。

 編集後記に郷は次の文章を残している。
「創刊号の特集は、「バナナ」と「オルタナティブ」。『at』としては、どまん中直球、という気持で組んだ特集である。身近な果物・バナナからどれだけひろい世界が見えてくるか? これは、『バナナと日本人』の鶴見良行氏へのオマージュでもある」(p.153)

「郷雅之」の名前が鶴見良行の本に最初に現れるのは、『アジアの歩き方』(筑摩書房、1986)の「あとがき」である。
「これをまとめてくれたのは、ある日ふと電話をかけてきた郷雅之さんです」

 携帯電話のなかった時代、電話の使い方は今とは違っていた。誰であってもが作家や著名人の自宅に直接電話をかけることができた。しかし、見知らぬ相手からの電話に対応する人はまれだった。
「良行さんとはじめて言葉を交わしたのは、1985年の12月24日のことだった。そのしばらく前、かねてからの愛読者であったわたしの、なにか良行さんの本を作りたいという、闇雲な情熱ばかりの電話に、とにかく一度会って話をしてみよう、と彼は応じてくれたのだった。
 国際文化会館の瀟洒なレストランでわたしたちは待ち合わせ、そこでそのまま3、4時間、長い雑談を交わしたと思う。そこでどんな話をしたのか、なにしろ30年以上前のことゆえ、もうほとんど覚えていないが、良行さんが自分のビールをウエイターに追加注文するときの、カチッと指を鳴らす、その仕草の鮮やかさだけは、強烈な印象として心に刻まれている」(郷雅之「鶴見良行さんの思い出 編集者からみたその人となり」『生物文化誌ビオヒストリー6号』「特集アジア学と生き物文化誌 歩く学問 鶴見良行の眼」所収、昭和堂)

 初対面の編集者・郷雅之とビールを飲みながら4時間以上も意見を交わした鶴見良行。誰とでも、初対面であっても対等に話ができた良行の姿がそこにある。同じようにアジアへの旅の途中でも良行は出会った人々と対等に向き合ってきた。ときには酒を飲み交わし、何時間でも語りあった。人々とのそのような対話をもとに「鶴見アジア学」は、形成されてきたといえる。

 編集者・郷と良行との最初の対話から、『アジアの歩きかた』(筑摩書房、1986)が生まれる。良行の代表作『ナマコの眼』(筑摩書房、1990)も郷が編集を担当した作品である。『ナマコの眼』の「あとがき」には、良行の次の文章がある。
「一九八六年一月から八九年四月まで雑誌『筑摩』に連載した文章に大幅に手を加えた。この仕事は執念の編集者・郷雅之氏と装訂者(注意:ていの漢字は、単行本と文庫本で異なる)、中島かほる氏の力で書物になった」(『ナマコの眼』p.493、筑摩書房、1990/文庫版、1993、p.556)

 良行の死後、郷は『鶴見良行著作集』の担当編集者として全12巻(みすず書房、1998-2004)を完成させた。その直後に出たのが、鶴見良行『対話集 歩きながら考える』(太田出版、2005)である。この本は、郷の企画による出版であった。

 クォータリー雑誌『at 1号』「特集 バナナから見える世界」刊行の翌年、2006年に郷は別の雑誌でも「鶴見良行特集」を編纂した。『生き物文化誌 ビオストーリー 6号』「特集 歩く学問 鶴見良行の眼」(昭和堂、2006年11月)である。この雑誌は「生き物文化誌学会」による出版である。編集委員15名の一人に秋篠宮文仁様の名前がある(2005年10月30日現在)。秋篠宮様と良行の交流は、宮様の学習院大学在学中から始まっている。秋篠宮様と紀子様の結婚式(1990年6月29日)には、鶴見夫妻が招待を受け参列した。

 雑誌『生き物文化誌 ビオストーリー 6号』には、良行がフィールドで撮った写真10枚が美しいカラーで印刷されている。白黒写真は15枚を数える。編集者・郷が時間をかけて選りすぐった写真である。良行の撮った写真を見るだけでも楽しめる。


思想の科学 1995年9月
『バナナと日本人』
─フィリピン農園と
食卓のあいだ─

岩波新書
1982年



雑誌『at』1号
太田出版
2005年9月



『生き物文化誌
  ビオストーリー』6号
昭和堂
2006年11月
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |

INDEX(トップページ)