鶴見良行私論(11)
【反日の原像を追う──鈴木静夫】

 鈴木静夫は1976年に毎日新聞社東京本社勤務となり、やがて外信部副部長となる。しかし、1979年に突然、新聞社に辞表を提出した。そして、京都大学東南アジア研究センター助手に転進する。47歳であった。その後、京大助教授となり、そして1987年に静岡大学国際関係学部教授に就任した。のちに学部長となる。
『神聖国家日本とアジア』(勁草書房、1984)は共編著であるが、鈴木が大学助手として取り組んだ東南アジア研究の成果である。21世紀の現在、本書を手にとる読者はそう多くはないだろう。しかし、この本が投げかけている内容は現在でもその意義を失っていない。アジアから消えることのない反日の歴史的原像を東南アジアの民衆の視点から描いたこの本は、反日の克服作業が続く限り読み継がれるだろう。そのような本である。

 この共同研究では、第二次世界大戦時の日本軍支配を経験して生き残った数多くの人々を訪ね歩いて取材している。その内容には類書がなく、今後も出ることはない。というのは、鈴木たちが訪ね歩いた第二次世界大戦の体験者たちは、すでにこの世にいないからだ。直接の証言は、もはや得られない。鈴木たちは最後の機会をとらえて、証言収集に取り組んだのである。

 五部に分かれた構成になっている。
 第一部 告発する東南アジア
 第二部 皇国思想と宣伝工作
 第三部 抗日の決意
 第四部 対日期待と「大アジア主義」
 第五部 東南アジアの対日不信の原像

 第一部では、第二次世界大戦時のシンガポール、フィリピン、タイの歴史から反日の原像を解明している。第二部では、日本の文化人や新聞人が動員されて現地でどのような活動をしたかをふりかえっている。第三部では、フィリピンでの反日運動を詳しく分析。第四部ではフィリピン内で対日協力した民衆運動をとりあげ、日本への期待と裏切られる過程を分析している。第五部では、最終章の「欠けていた『アジアの視点』」というタイトルが示すように、知識も政策もなく東南アジアを支配しようとした日本(軍部)の実態を明らかにしている。全体を通して、これまで詳しく論じられてこなかった分野を掘り下げ、文献調査も詳細であり、体験者へのインタヴューも丁寧になされている。

 鈴木自身は、タイのカンチャナブリでの鉄道建設に従事したインドネシア出身者とタイ現地で出会い、話を聞いている。その後、タイで聞いた話を確認するため、彼の故郷インドネシアのジャワ島の村を訪問し、親族たちに会って取材している。記述からは、通訳を同行していたことが伺われる。ジャワ島で聞いた話は、日本軍によるインドネシア人のタイへの「強制連行」の体験であった(第四章「『泰緬』 死の鉄道と忘れられたアジア人労働者」)。そのような手間隙かけた取材調査がいくつも重ねられているのが、『神聖国家日本とアジア』である。

 矢野暢が書籍の帯に次の推薦文を寄せている。
「原日本人の南方関与の実態をこれほど見事に掘り起こし、解剖してみせた例を知らない。アジアの視点から日本の関わりの論理にも鋭いメスを入れた、これはすぐれた日本人論でもある。現地調査と研究が浮き彫りにした日本の原像。この水準を越えるものは当分でないだろう」と。絶賛に近い。

 アジアの反日問題を日本人の側から明らかにし、アジアの民衆に届けること。その作業なしに、反日という課題は、90年代以降のアジア世界で政治問題化し、日本が関係する国際関係の障害となると予測されていた。だからこそ鈴木は、毎日新聞を退社してまで、共同研究『神聖国家日本とアジア 占領下の反日の原像』に取り組んだのである。そして、東南アジア諸国の民衆の視点から反日の歴史原像を(日本人研究者として)明らかにしようとした。その研究内容が、英訳や現地語訳されてアジアの人々に届いていたならば、1990年代以降の中国や韓国を中心とした反日的政治は、もっと違ったものになっていたに違いない。日本人が詳しく反日の歴史を認識しているということが現地の人々に伝わっていれば、その後の対日意識おいて望ましい変化が起きていたかもしれないと思うのだ。
 しかし現実は、1990年代以降の韓国政府や中国政府の動きを見れば分かるが、「反日」は東アジア外交の真正面に掲げられることになる。日本の政治家たちのほとんどは、その予測を欠いていた。21世紀の現在も日本の政治家たちは、反日の由来を歴史的具体的に理解しようとしていない。鈴木たちの研究が正当に評価され、将来の外交問題の悪化を避けるために利用されていたならば、現在のような反日の東アジア外交という状況は、避けられたかもしれない。鈴木たちが残したメッセージは、重かったのである



『神聖国家日本とアジア』
鈴木静夫著
勁草書房・1984年
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■庄野護(しょうの・まもる)
1950年徳島生まれ。中央大学中退。学生時代よりアジア各地への放浪と定住を繰り返す。1980年代前半よりバングラデシュやネパールでNGO活動に従事。1989年から96年までODA、NGOボランティアとしてスリランカの都市開発事業に関わる。帰国後、四国学院大学非常勤講師を経て、日本福祉大学大学院博士課程単位取得。パプアニューギニア、ケニアでのJICA専門家を経て、ラオス国立大学教授として現地に2年間赴任。『スリランカ学の冒険』(初版)で第13回ヨゼフ・ロゲンドルフ賞を受賞。『国際協力のフィールドワーク』(南船北馬舎)所収の論文「住民参加のスラム開発スリランカのケーススタディ」で財団法人国際協力推進協会の第19回国際協力学術奨励論文一席に入選。ほか著作として『パプアニューギニア断章』(南船北馬舎)、共著に『学び・未来・NGO NGOに携わるとは何か』(新評論)など。