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日 付 | 更新履歴・お知らせ・独り言・ぶつぶつ…のようなもの |
23/12/04 | ●インドの大魔王「お笑い神話(12月号)紅葉の小径を独り歩け」をアップしました。 |
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23/12/01 | ●大阪自由大学通信(12月号)をアップしました。 |
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23/11/28![]() |
●神戸サンボーホールという、貿易センタービル横のイベントホールで例年実施されていた古本市(去年は中止だった)が、今年は場所を変えて、「第一回えべっさん古本まつり」と銘打って西宮神社の境内で開催された(11月23日〜27日)。死ぬまでかかっても読み切れないほどの積ん読状態にあり、もうそろそろ落ち着いて一意専心読むほうに注力すべき年齢なのに「古本市」と聞けばそわそわしてしまう。批評家の若松英輔氏が愛書家を「読書家・購書家・蔵書家」に分類して論じている記事(日経、2023.10.21)を目にしたが、そこで使われていた「購書家」という呼称が印象的であった。ともあれ、初日の23日、えべっさんに向かった。20店舗あまりの出店で、お天気もよく、サンボーホール時代よりもお客さんも多くて賑やかな印象であった。その夜の主催者のSNSには、初日のまとめとして「大盛況であった」「新たにかなり補充した」という文言が並んでいた。そうか、新たな補充がなされたのか……。であればもういっぺん行ってみようか、ということで25日、再びえべっさんへ。ふつうだったら、大人しくシンボーする。さすがにもういっぺんとはならない。ならないのだが、初日に買った、徳永康元『ブダペスト日記』(新宿書房、2004)に影響されてしまったのだと思う。著者の徳永康元氏(1912-2003)は、戦前にハンガリーに留学されていた言語学者。文化人類学者の山口昌男氏は、著者のことを、酒の世界の酒仙になぞらえて、本の世界の「書仙」と呼んだ(坪内祐三「徳永康元さんの思い出」本書所収)。高名な愛書家であり、国内外の古書事情に精通したエキスパート。その著者と、先の山口氏との対談(「古本漁りはパフォーマンス」)が本書に収録されており、そこに徳永氏のつぎのような発言があった。「(略)年をとると、本集めは、かえってやめちゃいけないといいますね。九十になっても、死ぬ二、三日前まで買ってたという人が、幾人もいますよ。そういう人は、頭がちゃんとしているね。やめちゃった人はだめだ。(略)」だって。これでシンボーがきかなくなってしまったか……。 |
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23/11/20 | ●ノンフィクション作家の城島充氏より古巣の「サンケイ」(夕刊)で連載(月2回)をはじめた旨の案内をもらった。第1回は〈「大阪五輪」恩人が描いた夢 万博会場は「海上五輪」の舞台だった〉。2025年大阪・関西万博に向けて工事が進められている、ここんところ何かと話題の人工島(夢洲)は、かつて2008年開催の夏季五輪の会場予定地であった。城島氏自身の人生の岐路において多大な影響を及ぼした、今は亡き恩人(当時の大阪五輪推進部長)の思い出とともに、その招致活動の舞台裏が語られる(予定?)。四半世紀前、「大阪五輪」が云々されていたことは私の記憶からはとっくに消えてしまっていた。「かつて同じ人工島にまったく違う大阪の未来図を描いた人物がいたことを一人でも多くの人に伝えたい」と城島氏はしるしている。 |
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23/11/07 | ●インドの大魔王「お笑い神話(11月号)」をアップしました。 |
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23/10/22![]() ブダペストの映画館 |
●中部大学特命教授の小島亮先生より新著『ブタペストの映画館』をご恵送賜った。副題が「都市の記憶・1989年前後」とあって、ソ連解体前夜から中・東欧の転換期となる時代を個人的な体験をも織り込んで記録された論考とエッセイ。私にとっては全く未知の世界ではあったが、いわゆる巷間通説として耳にするハンガリー像がまったくの誤認であったことが大きな発見だった。たとえばハンガリー人は、アジア系であり「アジア」に親近性があり、さらにはハンガリー語がウラル・アルタイ語族に属すことから「トゥラン民族」を想定した、トルコ、モンゴル、満州、……その先の日本までの連携を模索するトゥラニズム運動の発祥の地であった。であれば、いくぶん親日的な雰囲気もあるのかなと漠然と考えていた。しかし全く違っていた。そもそもトゥラニズムは一種の帝国主義思想でバルカンをハンガリーが植民地化する構想として考え出されたものだそう(日本側は戦前戦中期の大陸政策を正当化する理念として利用した)。ともあれ「アジア」は嫌悪・蔑視の対象であり、アジア人なんてものは「下等動物」扱いであったのだ。しかも反日黄禍論を強烈に担っていた。そして「ハンガリー人は西欧人顔負けのヨーロッパ・パラノイア」であったのだ。ところでハンガリー人が世界一嫌いな民族はルーマニア人らしい。ハンガリーではルーマニア人が非ヨーロッパ人種であるという論拠を求めて手をかえ品をかえたデマがいくつもつくり出される。たとえばルーマニア人は「ローマ帝国の性病患者の血が入ったため見かけは白人化」しているなどといった酷いもの。さて、そのルーマニア人とハンガリー人、そして工場労働者としてやって来たスリランカ人への差別感情を背景にした、興味深い映画が最近公開された由。トランシルヴァニア(もとはハンガリー領で、第1次大戦後ルーマニアに割譲された)の小さな村で起こった実際の事件がもとになっているそうだ。https://www.youtube.com/watch?v=wqEwBBgONaQ |
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23/10/14 | ●「これまたコボルの仕業ですな」と友人からメールをもらった。このたびの全銀システムの障害のことである。みずほ銀行の度重なるシステム不具合がCOBOL(コボル)によって記述されたプログラムに起因すると記した当欄(21.9.7)の記事を思い出してくれたらしい。コボルは1959年生まれの今では「化石」となったコンピュータ記述言語。それを扱えるエンジニアもほとんどいない。しかしさすがに全国の銀行間をネットワークする金融界の根幹システムがコボルで動いているなんてことはないだろうとは思っていたのだが、そうでもなかった。「半世紀にわたり安定稼働してきた「止まらぬシステム」への過信が……」(日経2023.10.13)というリード文から、コボルで組まれたシステムであることが推察される。昭和・平成・令和と支障なく動いていたのでシステムの更新は考えなかったということなのか。案の定、応急処置を施しただけで、「真因がわかっていない」という。いつかまた繰り返されることになるのだろう。 |
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23/10/04 | ●インドの大魔王「お笑い神話(10月号)」をアップしました。 |
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23/09/19![]() 哀愁のコロフォン |
●『哀愁のコロフォン』(陰山晶平著)という本を刊行いたしました。 ●先週末、学生時代の同期会があった。今年の幹事役である東海支部の面々が準備してくれたのは「長良川の鵜飼」。長良川の上流から篝火を焚きながら鮎漁をして下ってくる鵜舟を長良橋周辺に浮かべた屋形船から見物するというもの。6艘の鵜舟が上(かみ)のほうから次々とやってくる。鵜舟には、縄にくくりつけた10羽前後の鵜を巧みに操る鵜匠1人、舟を操る艫乗り1人、助手1人の、計3人が乗り込んでいる。篝火が激しく火の粉をまき散らしながら眼前を流れていく様はなかなか迫力がある。同期会の参加人数が18人で、屋形船の定員20人をおおかた満たしていたゆえ、舟は貸し切りとなった。コロナ禍もほぼ終息し、3連休の初日とあって、20艘以上の屋形船が賑やかに川面に繰り出している。これでは水面下の鮎も驚いて逃げてしまっているだろうと思うのだが、それでも鵜舟1艘あたり20匹前後の鮎が獲られていた。といっても屋形船が浮かんでいる周辺での漁獲はその1割ほどで、ほとんどは上流域での成果だとか。鵜匠は宮内庁所属の公務員として処遇されている。代々世襲で長良川の鵜匠は現在6人のみ。それにしても屋形船で飲食をしながらの風雅なひとときは、なんだかそれなりの老境に足を踏み入れてしまった感が濃厚で、一抹の寂しさが漂う。 おもしろうて やがてかなしき 鵜舟かな (芭蕉) |
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23/09/03 | ●インドの大魔王「お笑い神話(9月号)」をアップしました。 ●インドの大魔王ことトラベル・ミトラの大麻豊氏より下記講演の案内が届いております。ご興味のある方はお早めにご予約ください。 ・演題:小説『ミトラ』日本史から消されたペルシャ王女 ・講師:岩戸睦氏(古代史小説家、オーストラリア在) ・日時:2023年10月15日(日)午後3時〜4時30分 ・会場:天一ゆうゆうホール(大阪市北区天神橋1丁目18-11) *スリッパが常備されていますが、不足することがあります。 *地下鉄谷町線・堺筋線「南森町」駅、JR東西線「大阪天満宮」駅下車。4番出口を上がりスーパー「コーヨー」横の天神橋筋商店街を南に徒歩3分。二つ目の角「ローソン」通過、マンション「シャリエ天神橋」を左折する。 ・会費:1,000円 ・定員:先着20名(会場が狭いため、定員に達し次第締め切ります) ・懇親会:午後4時30分〜6時。2,000〜3,000円程。(参加者は予めご予約下さい) ・主催:インド楽友会 事務代行 大麻豊(おおあさ ゆたか) 〒530-0041 大阪市北区天神橋1-18-25 第3マツイ・ビル202 ・お問い合せ/ご予約はお電話、E-mail、FAXにてお受けします。 ・E-mail:daimao@travelmitra.jp FAX:06-6353-3295 インド楽友会(ミトラ・ジャパン内)TEL:06-6354-3011 〒530-0041 大阪市北区天神橋1-18-25 第3マツイ・ビル201 |
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23/08/14![]() 『町内会』 ![]() 『不思議のフィリピン』 |
●「ブックオフの100均の棚にとんでもないレア本が置いてあった」というネットニュースが流れていた。古本屋では6万円の値付けで「屈指のレア本」という。以前も書いたが、最近流行りの度を過ぎた「無茶しよるな!」の類だと思ったのだけれど、ニュース源となったツイッターのページをたどってみて、本当かもしれないなと思い直している。というのはこのツイッターの発信者なる方は、かなり強烈な、半端ない、文庫の収集家で、「講談社文芸文庫全1284冊が集まりました」というようなツイートがあって心底驚かされたのだ。それらが納められた迫力ある書棚の写真がドカーンと掲載されている。そもそも講談社の文芸文庫の刊行点数が1000を超えていたとは知らなかった。通常古本屋さんでもこのレーベルの本はかなり揃っているほうで100冊程度ではないかしら。ともあれ、筋金入りの文庫収集家の発信なので信憑性高く受け取った次第である。実は、発信元までたどってわざわざその情報確度を調べてみようと思ったのはその6万円なる本が、中川剛『町内会 日本人の自治感覚』(中公新書、1980)だったからだ。この著者から私は学生時代、行政法の講義を受けたことがあってすこしセンチメンタルになったのだ。といって真面目に授業に出ていたわけでなく、初回の講義に出てエントリーをしただけでそれっきりだったように思う。卒業後ずいぶん時間が経ってからこの先生のことを知った。それはNHKブックスの『不思議のフィリピン 非近代社会の心理と行動』(1986)という本の著者として。「ウタン・ナ・ロォオブ(恩)」「ヒヤ(恥)」などのキーワードを通してフィリピン人の規範や心性を読み解いていく内容。かつて『南船北馬3号』(1987)で取り上げたことがある。とても興味深い本であった。そのとき著者プロフィールを見てはじめて気づいたのだ、「ああ、行政法の、あの、先生だったか!」と。ほんとに不良学生で恥ずかしい。そのあと『町内会』を入手した。こちらにもフィリピンの「バランガイ」という住民組織についての論考が収録されている。この先生はすごく多才な方で小説家(ペンネーム・中川裕朗)でもあった。いくつかの文学賞を受賞されている。恥ずかしながら、小説家であったことも後年知ったことだ。『町内会』の「序章」の書き出しをいま改めて眺めてみると、学者っぽくなくて、小説家のような、いい感じの導入部だ。残念ながら1995年60歳の若さで亡くなっている。 |
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23/08/05 | ●暑中お見舞い申しあげます。殺人的な猛暑ですね。ご自愛ください。 ●大阪自由大学通信(8月号)をアップしました。 |
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23/07/31 | ●インドの大魔王「お笑い神話(8月号)」をアップしました。 |
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23/07/17 | ●大阪自由大学の安村氏より「なにわ古代史」の第6回目講座として「高槻・今城塚古墳 継体天皇陵の背景 なぜ淀川水系に築造されたのか」の案内が届いています。9月28日(木)午後2時から大阪市中央公会堂大会議室です。詳しくはこちらのフライヤーをご覧ください。 ●村上春樹「納屋を焼く」を教材にアラビア語のレッスンを受けていることは以前しるした。牛歩のごとく遅々として進んでいないのだが、このアラビア語版の翻訳の自由奔放さに驚いている。原文に登場する「彼女」の描き方がじつに“悪意”に満ちているのだ。原作では、どちらかといえば中性的で、さっぱりした性格の、現代的な女性が、アラビア語版ではふしだらで厚かましくて不道徳な女性として描かれる。「我々は食事をしてからバーに行ったり、ジャズ・クラブに行ったり、夜の散歩をしたりした」という日本語原文が、なぜか、「(酒場では)私のほうが食事や飲み物の代金を支払っていた。いやむしろ彼女はいつもお金がなかったし、いよいよ食事代に困ると彼女のほうから私に連絡してきた。その時の彼女のがつがつと食べる量ときたら信じられないほどだった」(アラビア語)ってな具合になる。あきらかに翻訳者の偏見が、原文には見あたらない、あらたな文章を作りだしている。これはほんの一例で、いたるところで彼女のキャラが歪んで描かれる。逐語訳である必要はないけれど、それでもこれはやり過ぎだ。翻訳の域を超えている。とはいいながら、この突飛な翻訳にレッスン中は大いに笑わせてもらっているんだけど。さて、最近テレビのニュース番組などで流される、インバウンドでやって来た外国人観光客へのインタビューを眺めていて、彼らが発するコメントが日本語の吹き替え音声になっていたりすると、本当にそういう内容をそのようなテンションでしゃべっているのかなと疑問に思うことがある。吹き替えではなく字幕スーパにしてもともとの音声も流すべきだと思うのだ。まあ観光客の感想あたりでは致命的な問題なんて起きそうにはなさそうだけれど、とりあえず報道番組としてのちのち検証ができる状態にはしておくべきだろう。以前、NHKのウクライナ避難者(高齢の女性)へのインタビュー(2022.4.10放送)で「今は大変だけど、平和になるように祈っている」という字幕であったものが、実際の発言は「私たちが勝つと願っています。ウクライナに栄光あれ」だった。だいぶニュアンスが違っている。ロシア語・ウクライナ語だからばれないと思っていたのかな。もともとの音声が流れていたから指摘する人がいたわけだけど、こういうことってけっこうありそうな気がする。 |
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23/07/09![]() とくしま世界ゴハン |
●インドの大魔王「お笑い神話(7月号)」をアップしました。 ●大阪自由大学通信(7月号)をアップしました。 ●徳島在住のS氏の案内で「花(か)んらん」(徳島市)というお好み焼き屋さんへ行った。不思議なお店で、メインメニューは当然「お好み焼き」であるのだが、女主人の夫であるスリランカ出身のラリスさんが提供するスリランカ料理「アーユルヴェーダプレート」がもう一つの人気メニューになっている。『とくしま世界ゴハン』(メディコム、2022)というガイドブックには、「スパイスの特徴や役割をサイエンスの視点」から考えて、免疫力を高めてくれる健康にいい料理を心がけているとのラリスさんのひと言が紹介されている。この「サイエンスの視点」にはもう少し説明が必要だろう。というのは、ラリスさん、正真正銘のドクターなのであった。キャンディにある国立ペラデニア大学を卒業後、恩師のすすめで徳島県の鳴門教育大学大学院に進み、化学の修士号を修め、その後徳島大学大学院に留学し病理学の博士号を取得している。そして渡米。アメリカではジストロフィーやHIVなどの難病研究に10年間従事してきた経歴の持ち主。奥さんいわく、「これまでは話し相手といえば顕微鏡の向こうにある細胞しかなかったのよ」。今では客商売にも慣れて、「キャベツを切るスピードは誰にも負けないよ」とラリスさんがカウンターの向こうで笑っている。月に一度、「スリランカナイト」と題してビュッフェ形式でスリランカ料理を堪能できる一夜がある。いつかはこちらも訪れてみたい。なお、店名の「かんらん」とは「キャベツ」の意。中国語で「葉牡丹」を意味する「甘藍」という漢字が当てられる。 |
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23/07/03![]() 『火蛾』 |
●「23年後の復刊」という見出しがつけられた、古泉迦十『火蛾(ひが)』(講談社、2000)の文庫化の記事(朝日新聞、2023.6.8)が目にとまった。イスラム神秘主義をモチーフに修行者たちのあいだで繰り広げられる連続殺人を描いたミステリー小説。スン二派ともシーア派とも一線を画した、神との合一・一体化を究極の境地としてめざす、正統派イスラムからは異端視される神秘主義(スーフィズム)。そのスーフィズムの“極北”ともいえるウワイス派がその舞台設定だ。言葉そのものをも「偶像」として否定し、その教えは霊の交信をもって継承されるともいわれる異端中の異端。イスラムの、しかもスーフィズムという、当時としては多くの人にとってほとんど馴染みのない世界を語る、かなり異色の作品といえよう。講談社が主催するミステリ部門のメフィスト賞第17回受賞作品(2000年)であるが、さすがに他の受賞作品と比べて部数の伸びが鈍かったようで、文庫化が見送られたという経緯があったようだ。わたしもメフィスト賞発表後の、十数年あとに古本で手に取った次第で、その作品の特殊な内容もさることながら、著者古泉迦十が当該作品以外の作品を発表することもなく、斯界からは消えてしまったように見受けられ、しかも著者プロフィールは「1975年生まれ」としるされるだけで、その匿名性に強烈な印象を持ち続けていた。記事によると第2作目『崑崙奴』を執筆中とある。少しずつ著者のことも明らかになってくるのかもしれない。 |
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23/06/16 | ●鶴見良行私論appendix「鶴見良行の「アメリカの越え方」(2)」をアップしました。 |
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23/06/06![]() 終刊号 |
●インドの大魔王「お笑い神話(6月号)」をアップしました。 ●『週刊朝日』の終刊号(2023.6.9)を記念に買った。雑誌を買うのはほんとに久しぶり。雑誌が元気な1980年代は毎年何誌も創刊されていたもので、そんな創刊号を買うのが楽しみだった。「ダカーポ」や「フォーカス」「ナンバー」などの創刊号が手元に残っている。40年近くたってから眺めてみるとその時代性がくっきりと感じ取れてじゅうぶんに興味深い。しかし終刊号というのはパッとしないものだなあというのがこのたびの感想。これまでの寄稿者がオマージュをささげあうといった内容でちょっとみっともない。「週刊朝日には品位があった」って、何それ?「昔はよかった」的なセンチメンタルな言辞にあふれている。ジャーナリズムが機能しない今の世を嘆くべきだろう。「新聞社系の週刊誌の時代はだいぶ前に終わっていた」とのコメントには納得。 |
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23/05/26 | ●ひと月ほど前からトップページの「リンク」コーナーに「小室直樹文献目録」というサイトを掲載している。小室直樹(1932-2010)による著作物(書籍、新聞、雑誌、冊子、映像、音声など)を網羅した「文献目録」と、「小室直樹」に言及している第三者の手になる著作物をリスト化した「関連文献目録」など、これまでこの世に存在している「小室直樹」にかかわるテキスト・映像 ・音声のすべてを根こそぎ集積すべく運営されている情報サイトである。運営者は『評伝小室直樹』(ミネルヴァ書房、2018)の著者村上篤直氏。かつてひょんなことから村上氏より連絡をいただき、私どもの手元にあった「小室資料」(整理番号1979009)を寄贈した経緯がある(詳細は「What's NEW! 2018.9.16」を参照ください)。「小室直樹」の、たんなる一愛読者でしかない私がこうした情報サイトへ微力ながらも貢献できたことはとてもうれしいことだった。以来、ウン十年前に出版された、関連しそうな本や雑誌などを本棚から取り出して、そこに「小室直樹」の名を発見すると、これはリストアップされてるのかな?と当サイトで検索したものだった。果たしてとっくの昔にちゃあんと捕捉されている。残念。ところが先月末に発見したのだ!『第49回日本社会学会大会報告要旨』(1976)という一冊。くるみ製本の、背文字もない冊子なので棚ざしでは内容がわからなかったのだ。この第49回の学会は、私が入学した大学で開催されていた。しかも入学した同じ年の秋の実施である。もちろん参加した記憶もなく、なぜこの冊子を持っていたのかも、半世紀近くたった今となっては全くの記憶がないのであるが、ひょっとしたら事務課の窓口にでも山積みにされていたものをもらってきたのだろうか。ともあれ、その9頁から10頁にかけて小室直樹による発表要旨が小室氏の直筆で記されていたのだった。早速村上氏にメールでその旨をお知らせし寄贈した。「これはすごいです!! まさか、このような文献が未発見のまま残されていたとは」と大いに驚いたいただけた。してやったり! とってもうれしい! 整理番号1976007が付与された。ところで拙著『活字の厨房』(2018)も「関連目録」の一つとして掲載されている。整理番号2018121だ。こちらは村上氏にお送りして無理強いしたような感じ……ではあるが、ともあれこれまたうれしい。 |
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23/05/12![]() 村上春樹 著 |
●鶴見良行私論appendix「鶴見良行の「アメリカの越え方」(1)」をアップしました。 ●今年も4月29日から5月の連休中、神戸・元町映画館で「イスラーム映画祭(第8回)」が開催された。今年の目玉はなんといってもパレスチナの作家ガッサーン・カナファーニー原作の「太陽の男たち」(1972年)。劇場初公開だそう。上映3時間前に足を運んだが、すでに売り切れ!であった。なんとなく予感はあったが、がっかり。そういえば、3年前に上映された「ザ ・メッセージ」(アラビア語版は「アッ・リサーラ」)も何時間も前に完売していた。もともとはハリウッド映画であったものをアラブ人俳優に入れ替えて製作されたリメイク版。「幻のアラビア語版」といわれ日本発上映であった。このときはイスラーム映画で満席になるなんてことがあるのか!と心底驚いたものだったが、最近は「やっぱり」という感じになってきた。だいぶ「イスラーム映画祭」も人口に膾炙してきたか。ともあれおかげでこの連休の唯一の楽しみは奪われてしまった。仕方がないので家で村上春樹の新作『街とその不確かな壁』(新潮社)を読む。数週間前から読んでいるのだけれど、一向にページが進まない。少し読んではおっぽりだして……の繰り返し。村上作品でこんな経験ははじめて。とにかくこの機会に読みきってしまおうと気合いを入れてがんばる。新聞雑誌に掲載されていた書評をいくつか目にしたが、すっきりと納得させられるような内容のものは一つもなかった。ハルキストのみなさんはこの作品をどう評価しているのだろう? |
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23/05/02 | ●インドの大魔王「お笑い神話(5月号)をアップしました。 |
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23/04/28![]() 元 正章 著 |
●元本屋人、今は牧師の元正章(はじめ・まさあき)氏による『益田っこ ありがたき不思議なり』という本を刊行いたしました。元氏にはじめてお会いしたのは、本屋人時代の、南天荘書店(神戸市)に勤務されていたころ。私どもでつくった雑誌の取り扱いをお願いすべくお店に伺ったさい親切に対応していただいた。1986年のこと。当時は、本屋人という立場だけでなく、市民団体「六甲を考える会」の代表として、八面六臂の活躍ぶりだった。それ以前には書店誌『野のしおり』の編集人もされていた。『野のしおり』はあの『本の雑誌』(1976-)のほぼ1年遅れの創刊で、活字世界にまつわるコンテンツから比較してもその充実度に遜色ない出来栄えの雑誌であった。残念ながら私が知ったのは終刊(1985)の1年後のこと。いただいた最終号(25号)を今も大切に保管している。元さんとお会いするのはたいてい飲み会の席であったが、本の世界に関係する多くの人を紹介していただいた。大恩人なのだ。聖職者になられてからもお知り合いの牧師の方による本の出版に何冊か関わらせてもらった。2017年に島根県益田市の益田教会に赴任。相変わらずのバイタリティーでさまざまな催しを立ち上げて、変わり種牧師として奮闘中である。 |
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23/04/21![]() |
●インドの大魔王こと大麻豊氏より「インドの東、オディッシャ州を知る一日(講演・映画・舞踊)」の案内が届きました。5月28日京都の龍谷大学響都ホール交友会館です。詳しくはこちらのフライヤーをご覧ください。参加ご希望の方はお早めのご予約を。 ●近著探訪第56回『目からウロコが落ちる奇跡の経済教室 基礎知識編』をアップしました。 ●明石市立文化博物館で開催されている「写真家が捉えた昭和のこども」という写真展に行ってきた。昭和11年(1936)から昭和51年(1976)までの子どもを被写体にした写真、170点が展示されている。けっこなボリュームで見ごたえがあった。木村伊兵衛や土門拳、林忠彦などによるスナップショットがその時代性を色濃く写しとっている。薪を担いだり、稲刈りを手伝ったり、靴磨きをしたり、バナナを売り歩いたり……。社会的分業の一角にかちりと組み込まれて働く子どもたち。おしくらまんじゅうに馬跳び、ちゃんばらごっこ、コマ回し、ときには下駄で顔を殴って喧嘩をしたり。圧倒的に貧しいが、エネルギッシュで野趣にあふれる敏捷さで躍動する路上の子どもたち。小学校教員であった写真家熊谷元一の撮った、教室での子どもたちの奔放な表情は画面いっぱいに炸裂している。ほとんどがドキュメンタリーの作風の中で異彩を放っていたのはUeda-cho(植田調)と称される植田正治の演出をほどこした写真。全体の中でアクセントが利いていてよかった。来場者は70歳以上の高齢者が目立つ。フラフープに興じる子どもの写真を前にしては「腸ねん転するんよね」のお決まりのひと言、「月光仮面姿の子ども」には「げっこうかめんのおじさんは〜」と歌いだすおばあちゃんがいたり。来場者のテンションも上がり気味。賑やかな写真展であった。 |
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23/04/15 | ●鶴見良行私論appendix「1970年代バンコク─井上澄夫と鶴見良行(2)」をアップしました。 |
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23/04/05 | ●大阪自由大学通信(4月号)をアップしました。 ●インドの大魔王「お笑い神話(4月号)をアップしました。 |
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23/03/30![]() 「納屋を焼く」 |
●鶴見良行私論appendix「1970年代バンコク─井上澄夫と鶴見良行(1)」をアップしました。 ●アラビア語のレッスンで村上春樹作品を読んでいくことになった。1982年初出の短編で「納屋を焼く」(『蛍・納屋を焼く・その他の短編』所収、新潮文庫、1987)という作品。「納屋を焼く」ことが趣味の男と、その彼女(「僕」の女友達でもある)と「僕」の物語。男が「僕」の近在の納屋を近日中にガソリンで焼くと言う。「僕」は自宅の周辺に点在する納屋の所在を確認(4キロ四方に16ヵ所あった)し、今か今かとジョギングがてら見回りを欠かさない。しかしいつになっても納屋が焼かれたような形跡は見当たらない。そのうち男と彼女は「僕」の前から忽然と姿を消してしまい、音信不通となる。ある日、街で男を偶然見かけて声をかける。「納屋は焼きました」と彼は答えるが、細大漏らさずにチェックしてきた「僕」はそんなはずはないと思う。しかし彼は「あまりに近すぎて見落としたんですよ」と言う。彼女の消息はわからないままである。(おしまい)─うーむ、わからない。単純に村上作品でおなじみのパラレルワールドの設定かなと思ったのだけれど、「納屋」は「女」のことで「焼く」は「殺す」ことを意味しているのだなんていう解説を目にして、へぇーそうなんだと思ったり。もう一つ奇妙なことに、米国の作家、W・フォークナーに「Barn Burning」(1938)という作品があって、日本語にすると「納屋焼き」。この村上作品には「僕はコーヒー・ルームでフォークナーの短篇集を読んでいた」という下りがあってそこから読み解く解説も目にした。しかし村上本人がフォークナーの「Barn Burning」の存在すら知らなかったと述べてその関連性を完全否定しており、後年まとめられた作品集には「僕はコーヒー・ルームで週刊誌を三冊読んだ」に修正されているらしい。単純に「納屋」を英語で「バーン」、「焼く」も「バーン」だから言葉遊びから始まったのかなとも思えるし、「刺激的で面白いもの」をbarnburnerと表現することもあるらしくそこからの着想だったか!? いずれにせよ謎の多い作品であるのだけれど、これがアラビア語に翻訳されていたということ自体、これまた不思議な感じ。 |
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23/03/22 | ●インドの大魔王こと大麻豊氏よりインド哲学の講演案内が届きました。参加ご希望の方はお早めにご予約ください。詳しくはこちらのフライヤー(PDF)まで。 ・演題:飯高淑子氏「印度哲学へのいざない─人間の苦悩からの解放・ドゥッカー」 ・4月29日(土)14:00〜16:00 ・西天満地域福祉センター |
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23/03/14 | ●酒造好適米として有名な高級ブランド「山田錦」。その発祥の地、兵庫県三木市吉川町で「山田錦まつり」が先週末開催されていたので出かけた。日本酒メーカー11社がそれぞれブースを出して山田錦で造った純米酒、吟醸酒を試飲させてくれる。50mlほどの小さなカップ1杯が100円〜500円。近年の日本酒は高級化路線でどちらかといえばワイン風に嗜むのが流行り。ボトルも一升瓶などではなく、四合瓶(720ml)が主流だ。テーブルの上に置いても邪魔にならないしね。聞くところによると一升瓶サイズの流通量が激減し、早晩この瓶のリサイクルシステムが成り立たなくなるかもしれないといわれている。私は昔人間なので、醸造用アルコール添加の、いわゆる「アル添」の、本醸造酒あたりの品質のものを一升瓶で買って燗酒で飲むほうが好みなのだけれど、こういう一昔前の飲用スタイルは希少になった。精米歩合の数字を競うような時代で、磨きに磨いて生まれるその吟醸香とフルーティな風味をもつ、高級な吟醸酒が人気だ。きりりと冷やしていただく。もちろんこちらも大好きです。一つ違いの従兄が小さな蔵元をやっているのだけれど、彼が家業を継ぐために東京・北区にあった国立醸造試験所(現在は東広島市に移っている)で研修を受けていたときのこと。1980年ごろだ。深夜、彼の手引きで薄暗い実験室に忍び込ませてもらった(今では考えられないほどのセキュリティですね)。そこには試験中の吟醸酒が巨大なガラス瓶に詰められて鎮座していた。その瓶から実験用の小型ビーカーに恐る恐る移し替えて失敬したその一杯は、とても日本酒とは思えない、衝撃的な味わいだった。これが日本酒か!? 「吟醸」なんて言葉も知らなかった。さっぱりした白ワインのような飲みやすさで、わが背徳的行為とも相まって、その甘美さが際だって感じられたものだ。時代はほどなくバブル経済に突入し、奢侈な世相とともに90年前後には市場でも一般的になった。あれから40年超が経過して、昨今は世に知られていない小さな蔵元の、一期一会の希少性の高い逸品がもてはやされる。その意味ではこのたびの「山田錦まつり」参加各社は、灘五郷の大手蔵元の揃い踏みで、間違いのない酒造りでいいのだけれど、ちょっと面白みに欠ける印象であった。北陸から参加されていた蔵元が1社あったので珍しさもありそちらを自家消費用に購入。希少性といえば、会場の片隅で催されていた小規模な古本市(町内のメンバーで持ち寄りましたといった風情)で、ここんところ何カ月も探していた、竹西寛子『管絃祭』を発見。函入クロス装丁の新潮社版。1978年発行。100円だった。「山田錦まつり」で最高の掘り出し物に出合えた。お酒ではなかったけれど。 |
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23/03/02 | ●大阪自由大学通信(3月号)をアップしました。 ●インドの大魔王「お笑い神話(3月号)をアップしました。 |
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23/02/27 | ●鶴見良行私論第Ⅳ部「ベトナムからの手紙」をアップしました。 |
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23/02/17 | ●たまたま手元にあった岩波書店のPR誌『図書』を眺めていたら「大流行による惨劇から一〇〇年」と題した、田代眞人(ウイルス学)という方による「スペイン・インフルエンザ」の記事が掲載されていた。1918年から19、20年にかけて猛威を振るった、このインフルエンザの世界的流行(スペイン風邪)では、当時の世界人口の3分の1にあたる、約20億人が感染し、死者は2千万人とも1億人ともいわれ、正確なところはわかっていない。というのも第一次世界大戦の最中で、参戦国の感染事情は秘匿され、そのため当時中立国であったスペインからの感染状況が悪目立ちしてしまい、「スペイン」というありがたくない冠がついてしまったという話をどこかで読んだ。さて、この記事で紹介されている、パンデミック下の世界大戦にまつわるいくつかのエピソードと、その後の歴史への影響を述べたくだりが興味深かった。連合国・同盟国ともに戦力の消耗は激しく(戦死者1000万人に対して参戦国のインフルエンザによる死者数はそれ以上)、「パリに迫る西部戦線では、ロシア戦線から戦力を転用したドイツ軍の最終攻撃は中止」され、「それがドイツ降伏の原因ともいわれる」。パリ講和会議では、ドイツへの賠償金請求をめぐって、強硬派のフランスと、穏健派の米国ウイルソン大統領が対立。会議中にウイルソンと英国の首相ロイド・ジョージがインフルエンザに感染してしまう。一命を取り留めたウイルソンは、「精神神経症状を呈して思考・意欲が低下し、病床でフランスによる強硬な講和条約案に無気力の状態でサインしたと伝えられている」。結果、巨額な賠償金を課されたドイツの経済は破綻し、世界はパンデミックによる労働力不足で経済復興もままならず、ほどなく大恐慌に突入してゆく。疲弊した民衆はファシズムの台頭を許し、その流れは第二次大戦へと向かい、さらにその延長線上には、アウシュビッツや、沖縄・広島・長崎などの惨事が歴史に刻まれていくこととなった、と述べる。歴史への負の刻印である。かつてヨーロッパを席巻した黒死病(ペスト)はその中世を終わらせ、近代の幕開けへと繋げたといわれる。これなどは肯定的な評価でもって捉えられるパンデミックの刻印といえるかもしれない。はたしてこのたびのコロナ・パンデミックからはどんな歴史が紡ぎだされ、そして将来どのような刻印がなされるのか……。残念ながら記事には、そうした論考はなく、コロナの「コ」の字も言及がなかった。あれれっと表紙を見直すと、それもそのはず、これは、な、なんと2019年2月号の『図書』であった。コロナ禍勃発のちょうど1年前の刊行である。記事の後段は、「スペイン・インフルエンザを超える最悪のパンデミックの発生は時間の問題」と警鐘を鳴らす、インフルエンザ学者R・ウェブスターの自伝的著書『インフルエンザ・ハンター ウイルスの秘密解明への100年』(新刊、岩波書店)の一読をすすめるものであった。「ウイルスの驚異的な存在様式、将来への教訓と問題提起」が平易に解説されている由。厚労省の関係者や、感染症対策専門家会議のみなさんは、これ、読んでくれていたかなあ? |
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23/02/11 | ●鶴見良行私論第Ⅳ部「サイゴンの6日間」(1)をアップしました。 |
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23/02/03 | ●大阪自由大学通信(2月号)をアップしました。 ●インドの大魔王「お笑い神話(2月号)をアップしました。 |
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23/01/25 | ●メインにしているパソコンがついにうんともすんとも言わなくなってしまった。ここ数年起動にさいして、ふつうには立ち上がってはくれない状態にあった。いったんコンセントを抜いて、数十秒間電源を完全にシャットアウトしておいてからコンセントを挿しなおし、さらにそのまま数時間放置させたのち、おもむろに電源ボタンを押すと立ち上がってくれた。すでにかなりいかれていたのである。それがまったくの無反応になってしまったのだ。ついに来てしまった! 幸い、同じOS環境の機械をほかに2台用意していたので急場はしのげる。だけどメイン機に比べると、サクサクした動きに欠けるところがあって、作業効率がぐんと落ちてしまう。ストレスフルである。悩みに悩んだすえ、PC店の修理窓口に持ち込んだ。2002年発売のPowerMac G4(MDD)だから20年以上使ってきたことになる。当然使われている部品やユニットの製造はとっくの昔に終了しており、中古機から部品どりしたものを組み込むしかない。Win関係の修理費用は明細ごとに掲示されていて明朗会計だが、Apple社製にかんしては応相談というやつ。部品にしても時価となっていて、言い値を受け入れざるを得ない。結局、電源ユニットを交換し、2枚装備していたハードディスク(HDD)も交換となった。HDDの一つはパーティションを切って2区画にOSをそれぞれインストールしていたのであるがそれもそのまま復元。ほか筐体内の積もりに積もった20年間の埃をきれいに落としてもらい、データもアプリも完全移行してもらった。新品の小さなコンピュータが買えるくらいの費用になってしまったが、よみがえってくれた機械を前にして喜びのほうが大きい。この環境でないと、DTP関連のソフトや周辺機器が動いてくれないのだから仕方ないのだ。お店の女性が「これからも長く使えますよ」と送り出してくれた。さらにもう20年行けるであろうか。いやいやこっちの寿命を心配しなきゃならないな。 |
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23/01/19 | ●近著探訪第55回『天路の旅人』をアップしました。 |
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23/01/07 | ●大阪自由大学通信(1月号)をアップしました。 ●インドの大魔王「お笑い神話(1月号)をアップしました。 |
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23/01/02 |
●あけましておめでとうございます。本年もおつき合いのほどよろしくお願い申しあげます。 ●アラビア語のレッスンで昨夏より読み始めたガッサーン・カナファーニーの「オレンジの大地」も昨年末でようやく最終の数行を残すのみとなった。日本語版にしてわずか8頁ほどの短編を半年かけて読んできたことになる。発見だったのは、あちらの文章の特徴なのか、ひとつの文が何行にもわたってとてつもなく長いことだ。日本語だったらそこに三つ四つの句点を入れるべしと指導が入りそうなほど。文章のあとをカンマで区切って、そのあとに分詞構文で状況説明文をいくつもいくつも連ねていく。訳しているうちにもともとの主節が遠くにかすんでしまって、言いたかったことはなんだったの?ってな具合になってしまう。贅肉を削ぎ落とし簡潔を旨とする日本語とは真逆の、デコラティブで過剰で粘着性の文章が名文と賞されるのだろうか。先生によると、フランス語もそのような傾向があって、「ル・モンド紙」の記事なども一文がくねくねとしてとても長いそうだ。そのことがインテリの文章として評価される由。ユーラシア大陸の西のほうではそういった文章が好まれるのかな。湯川豊『須賀敦子を読む』(新潮文庫、2011)に、須賀の「息が長く、ゆったりしている」文章についてこう評する下りがあった。「過去という思念の中に分け入っていくのに、読点を多用して記憶をまさぐるようにどこまでも折れ曲がっていくこうした文章がふさわしい、(略)プルーストの大長編で私たちはそのことを知っている」と。須賀は31歳(1960)から41歳(1970)までのおよそ10年間をイタリアで生活し、後年60歳を過ぎて、30年以上前のイタリア時代のことを回想する作品を次々と発表して作家となった。「読点を多用して」「どこまでも折れ曲がっていく」文章スタイルが遠い昔の記憶をしるす内容にかなっていると評価するのだけれど、おそらくは、イタリア語の文章スタイルからの影響ではないかしら。プルーストだってフランス語のインテリ作法に則ったゆえのことではないのかなと思ったりもするのだが。 |
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22/12/14![]() アールイー刊 |
●アールイーさんから新刊『カレーと紅茶はスリランカ』をお送りいただいた。ありがとうございます。副題が「日本で楽しむスリランカ料理店・ティールーム」。北海道から沖縄までの全国74店舗が紹介されている。スパイス、レシピ、指食、アーユルベーダなどの豆知識も満載です。スリランカの紅茶は「セイロン紅茶」で不動の地位を築いているけれど、カレーといえばこれまではやっぱりインドであった。それがここ10年ほどだろうか、「スリランカ」を謳ったお店が目だって増えてきた。大きなお皿の真ん中にごはんを置いて、その周りにカレーと多種多様なおかずを盛りつけたワン・プレート料理。メニューでは「セイロン・プレート」って呼ばれることが多い。味付けは、スパイスはもちろんだけれど、ココナツと鰹節を使った出汁が決め手だ。ごはんと複数のおかずをまぜまぜして食べる。お皿の代わりにバナナの葉っぱに盛りつけたスタイルも興趣ありです。ごはんは、ジャポニカ種(短粒米)だけでなくインディカ種(長粒米)のお米も選べるようになってきた。おおかたインディカ種のほうが高級品扱いになっている。30年ほど前のタイ米騒動のときは、「ぱさぱさしている」「匂いがイヤ」など散々の評価だったことを思えば隔世の感だ。呼び名も当時は「外米」だった。お店では一般に「バースマティ」という香米の品種がよく使われている。ところで最近流行りの、日本生まれのスパイスカレーは、ビジュアルから想像するにスリランカカレーがそもそものモデルではなかったかと思っている。 |
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22/12/05 | ●インドの大魔王「お笑い神話(12月号)おっさんたちの旅|鎌倉7」をアップしました。 ●旧著探訪第42回『ブータン仏教から見た日本仏教』をアップしました。 |
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22/11/18![]() 吉岡乾 著 |
●鶴見良行私論第Ⅲ部「『フィールドノート』を読む」(9)をアップしました。 ●久しぶりに万博公園内の民族学博物館へ行った。「いざ、ウルドゥー語入門(せめて文字だけは編)」という講座があったので参加した。ウルドゥー語なんて興味ある人いるのかな、と思っていたのだが、意外にも定員40人に対してほぼ満席状態であった。講師が、ひょうきんな書名(内容も!)で話題になった、『現地嫌いなフィールド言語学者、かく語りき』(創元社、2019)の著者、吉岡乾准教授であったことが大きい、たぶん。講義時間は45分。目標は自分の名前をウルドゥー語で書けるようになること、そして街中の看板を読めるようになることで始まったが、はっきりいってそりゃあ無謀というもの。案の定、「ああ時間がない……」という悲痛な先生の呟きが繰り返されるだけの、失礼ながら何が何だかわからないうちに終わってしまった。ただ当日配布されたA4判16頁のレジュメは、コンパクトにまとめられた、先生お手製の「入門編」で、こちらはお値打ちモノであった。ウルドゥー語の文字は、アラビア文字28文字、ペルシャ文字4文字を追加して、さらにヒンディー語系の音を表記するための3文字を加えて、計35文字を使う。これらの文字が単語のどの位置に配されるかで変幻自在にその形(独立形、語頭形、語中形、語尾形)を変えていき、かつ文字によって前後の文字とつながったりつながらなかったりする(いわゆるブロック体はない。書法はすべて筆記体になる)ので、「45分」なんて端からムリなのだった。さて、ウルドゥー語は、文字はアラビア語系だけれど、日常語彙はヒンディー語とほとんど同じらしい。文法もSOVで同じ。ヒンディー語はデーヴァナーガリー文字を使うので、見た印象は全く違った言語にみえるのだが、両言語間での会話はそのまま通じるそう。電話はできるが文通はできないということだ。ところでウルドゥー語話者たちは書体にとってもうるさい。もっとも好まれる書体がナスターリーク体というもの。これでなきゃウルドゥー語じゃないといわんばかりなのだ。文章はアラビア語と同様に右から左へ書くのだが、ナスターリーク体の場合は、水平な文字列を拒んで(ノートであれば罫線を無視して)、右上から文字を少しずつずらせて躍らせながら左下のほうへ斜めに流して書いていく。流麗で雅な雰囲気をかもしていて、まるで良寛の草書体をみるようだ。ただ初学者にとっては文字というより絵画的すぎて、とても読みにくい。須永恵津子「こだわりのウルドゥー語フォントの世界」(東大アジア研究図書館ニューズレター第6号、2022)によると、1990年代半ばまでパキスタンの日刊紙は、プロの書道家がナスターリーク体で全ページを手書きしていたという。大手新聞社には専属の書道家が50人ほど在籍していたらしい。1980年代にはコンピュータが導入され、他のフォント(ナスフ体が一般的。カクカクした楷書の雰囲気)であれば活字での出力が可能になっていたにもかかわらず、「美しくない」という理由で採用されてこなかったのだそうだ。新聞に限らず書籍なども書道家の手書きによって版下をつくって印刷していた。1994年、InPageというソフトが誕生したのがきっかけで、ナスターリーク・フォントの使用が可能となりようやく印刷出版界においてデジタル化の波が本格化する。さすがに今はGoogleのInput methodでも対応しているとのこと。 |
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22/11/03 | ●大阪自由大学通信(11月号)をアップしました。 ●インドの大魔王「お笑い神話(11月号)おっさんたちの旅|鎌倉6」をアップしました。 |
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22/10/28![]() 発行:藤工作所 |
●大阪編集教室時代の仲間のひとり、藤原武志くんが『地域の「よっしゃ」を子どもに』(西川日奈子著)という一冊を送ってくれた。ここ20年近くを雑誌の編集ライターとして奮闘してきた彼がこのたびはじめて作った自社発行の書籍とのこと。大阪・西淀川区で15年にわたって子ども支援に取り組んできたNPO団体の設立者「ひなやん」さんの日々の活動記録と、そのときどきの喜怒哀楽を一冊にまとめた内容だ。「日本の貧困率」やら「子どもの貧困」という、最近よく耳にするワードからその世相をわかったような気になっていたのだが、本書を読んで、単純に「経済」だけの問題に落とし込めない、家庭や地域、学校など様々な要因が複合的に絡まって、寄る辺を持たない子どもの「孤独」という貧困の現実がすこし理解できたように思う。学生時代の友人Tくんが名古屋のほうで「子ども食堂」に熱心にかかわっていてその活動ぶりがLINEで流れてくる。「うまそうな弁当!」「けっこうなボリュームやなあ」といった感想を持つ程度だったのだけれど、彼の発信するメッセージの向こうにある、現場のざわめきのようなものが感じ取れるようになったかもしれない。『地域の「よっしゃ」を子どもに』のお求めは、発行元:藤工作所の販売サイトまで。 |
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22/10/22![]() 小島亮 著 |
●鶴見良行私論第Ⅲ部「『フィールドノート』を読む」(8)をアップしました。 ●小島亮先生から新著『モスクワ広場でコーヒーを 中東欧論集2001〜2022』(風媒社)をご恵送賜った。ありがとうございます。ご専門分野のハンガリーを中心にした論考とエッセイが収録されている。書名にある「モスクワ広場」はハンガリーの首都ブダペストにある交通の要衝で、ランドマーク的な場所にあたるそうだ。1980年代後半から90年代前半を研究者として彼の地に滞在していた著者にとって、「モスクワ広場」という名称こそが、プルースト描くところの、紅茶に浸したマドレーヌのごとく、時空を超えて追想をはじめる旅へのトリガーとなるのだった。その「モスクワ広場」が2011年に旧称の「セール・カールマーン広場」に復帰したという。「唐突な改名は中道右派と極右による文化的暴挙」として激しい論争を引き起こした。「私にはいつまでもモスクワ広場だ」とタイトルされたフェイスブック・コミュニティもあったそうだ。著者の気持ちもそこにあったからこそこの書名になったということだろう。ハンガリー動乱をくぐり抜けてきた国民にとってソ連時代の記憶を一掃することが総意かと思っていたがそう単純なものではなさそうだ。 |
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22/10/15 | ●旧著探訪第41回『コルシア書店の仲間たち』をアップしました。 |
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22/10/11 | ●インドの大魔王「お笑い神話(9月号)」、「お笑い神話(10月号)」をアップします。 ●大阪自由大学通信(10月号)をアップします。 |
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22/10/05 | ●従兄からリゾートホテルの割引券をもらったので夫婦で浜名湖畔に出かけた。あいにくその前日に台風15号が静岡県を直撃し、JR新大阪駅から上り方面の新幹線は全面運休となるほどであった。その影響は翌日も残っており、新大阪駅の混雑ぶりは半端ではなかった。新幹線は1時間に数本あるかないかの間引き運転で、正常ダイヤからはほど遠い。しかも上り方面は名古屋止まり。その先はこれからの状況次第ということらしい。ホームにたまたま停車していたこだま号に飛び乗ってとりあえず名古屋までたどり着く(名古屋駅の上りホームはこれまた立錐の余地もないほどに黒山の人だかりであった)。そこから在来線で豊橋まで。JR新所原駅から天竜浜名湖鉄道に乗り換えてホテル近くまで行く予定になっていたのだが、こちらは土砂崩れや倒木の影響で全線運休。復旧の目処なし。ホテル側がマイクロバスを用意してくれた。静岡市や磐田市の惨状を知るにつけ、ほんらいは旅行なんてすべきではなかったのだろう。行っちゃあいけなかったのだ。そんなところへ学生時代のLINE仲間から「静岡のみなさん、無事でしたか?」というメッセージが流れてきた。そうなのだ、この地には友人のIくん、Oくんがいる。近くの渥美半島にはSくんもいる。ヨメさんが「静岡、ナウ」って書けばってなふうな、暢気なことをいうのだけれど、そんなことできるかっ! 台風一過のこの地を行楽したなんてことは、当分のあいだは心の奥深くにしまいこんでおかねばなるまい。 |
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22/09/16 | ●鶴見良行私論第Ⅲ部「『フィールドノート』を読む」(7)をアップしました。 |
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22/09/06
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●大阪自由大学通信(9月号)が届きましたのでアップします。 |
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22/08/24![]() 全国古本屋地図 ![]() 西東三鬼 著 |
●鶴見良行私論第Ⅲ部「『フィールドノート』を読む」(6)をアップしました。 ●久しぶりに大阪自由大学通信(8月号)が届いた。9月から10月にかけて開催される講座が案内されています。 ●過日、百貨店の特設会場で開催されていた古本市で懐かしい本に出会った。『全国古本屋地図』(日本古書通信社、1977)。1980年代前半、出張の多い仕事であったため、この「地図」をカバンに忍ばせていそいそと出かけたものだった。東日本の県庁所在地にある古本屋さんであればだいたいは訪れたと思う。出張先に合わせて該当するページをバリバリと切り取って出かけていたものだからいつのまにか散逸して、本そのものは雲散霧消となった。今ではスマホで検索すればたちどころに最新の店舗情報が表示され、親切にも道案内までしてくれる。隔世の感を覚える。さて古本の値付けは800円。もともとの定価も800円。んっ? 40年以上前の店舗情報ではガイドブックとして用に立つはずもない。それが800円そのままか。棚に戻して立ち去ろうとしたのだけれど、なんだかとても愛しいものに遭遇してしまった思いが断ち切れずセンチメンタルに流されて買ってしまった。月数回は回遊している神戸の三ノ宮・元町界隈を『全国古本屋地図』でながめてみる。掲載されている店舗数は20店弱。数は今も同じようだが、ほとんどが入れ替わってしまっている。「店舗の構えからして県下最大の古書店の格」として紹介されている「後藤書店」も今はない。閉店はニュースにもなった。1938年の阪神大水害、45年の神戸空襲、95年の阪神大震災を乗り越えて98年の歴史に幕を閉じることになったと伝えている。経営者の高齢化で体力の限界が近づいたこと、「インターネットの時代になり古書店の存在価値は薄くなったとも感じた」。閉店の理由である(朝日新聞夕刊、2007.12.14)。三ノ宮・元町界隈に限ると、その後藤書店から70-80メートルほど離れたところにある「あかつき書房」、元町商店街・6丁目の「文紀書房」がともに今も健在であるが、それ以外はなくなってしまったか、移転してしまったか。代わって最近では、雑貨やミニコミ、DVDなどもあわせて扱う、一見カフェ風のおしゃれなお店であったり、コミックやゲームソフトをおもに取り扱う「古書店」が散見される。店の奥で苦虫を噛み潰したおっちゃんが鎮座している、いかにも古本屋風情の店はめっきり減った。といって、そもそも神戸は、古本屋稼業が殷賑を極めるといったような土地柄ではなかった。西東三鬼『神戸・続神戸・俳愚伝』(出帆社、1976)という、戦時中トアロード(浜手の旧居留地と山手を結ぶ南北1キロほどの坂道)沿いにあった人種雑居の怪しげなホテル(トーア・アパートメント・ホテル)を舞台にしたエッセイ集に、次のような下りがあって笑ってしまった。「神戸という街は『頭蓋骨の要らない街』といってもよい位、物を考えないでいられる街である。だから古本屋が実に少ない。(略)たった一軒の古本屋に日参して俳句古典の書をあさった」。「たった一軒」というのが先の後藤書店のことだろう。ジュンク堂発祥の地でありながら、書籍の年間購入額ランキング(都市別)によると、神戸市は全国15位(8875円)で格別に読書人が多いわけでもない(全国平均は8615円。総務省統計局「家計調査」2020年)。平均並みである。この調査での第1位は水戸市の25045円。全国平均の3倍近く。さぞかし古書店も多いだろうと『全国古本屋地図』を見ると、「茨城県はどういうわけなのか、古本屋が発展しない。水戸に二軒、下館に一軒あるのみ、それも水戸のは一軒の本店と支店なのである」。あれれ。ちなみに最下位は、かなり意外な感を持つが秋田市の4153円。掲載されている古本屋は7軒だった(うち地方出版の雄である無明舎出版もそのうちの一軒に数えられている。当時は古書も取り扱っていた)。 |
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22/08/14![]() 『海も暮れきる』 |
●小豆島へ行った。始発のフェリーで渡り、最終便で帰ってきた。瀬戸内海で淡路島に次いで2番目に大きな島とはこのたび初めて知ったぐらいで特別に関心のある島ではなかった。家人の興味に唆されての行楽というわけであります。日本アカデミー賞を受賞した映画『八日目の蝉』(成島出監督、2011)のロケ地であったことを事前に知らされて、あわててAmazonでチェックした。素敵な映画で、これは観ておいてよかった。虫送り行事の千枚田の光景、寒霞渓(かんかけい)の山頂からの眺望、そうめんづくり……。印象的なシーンがいくつも記憶に残った。同じく小豆島を舞台にした名作『二十四の瞳』(木下惠介監督、1954)。私の出生前の製作でストーリはおぼろげながらも想像できるのだが、観たことがあったのかなかったのかそのへんの記憶もあやふやで、とりあえずこちらも仕込んでおいてから出かけた。おかげで撮影時に使われた国民学校の校舎などが残されている「映画村」を楽しめた。もう一つ、今回確認したかったところに、自由律俳句の尾崎放哉が暮らしていた庵がある。コロナ禍に見舞われ始めた20年春、放哉の「咳をしても一人」の一句が隔離を強いられた感染者の療養生活そのものじゃないかと話題になった。そんなニュースを目にして、放哉の最晩年を描いた小説、吉村昭『海も暮れきる』(新装版、講談社文庫、2011)を読んだ。その舞台が小豆島であった(死を迎えるまでの8カ月間を過ごした)。プライドばかり高く、自身にすこしでも批判めいた言辞を弄する人間には容赦なく罵詈雑言を投げかける、酒乱癖で皮肉屋でジコチュー、それでいて寂しがり屋の放哉。おおよそいやなタイプなんだけど、でも最期は可哀想だった。享年42歳。放哉の庵(南郷庵・みなんごあん。小説では「みなんごう」とルビがふられている)は記念館となって現存する。想像していたものよりしっかりした建物であった。近くの名刹西光寺の別院にあたり墓守が役目であった。小説のタイトルは「障子あけて置く 海も暮れ切る」の一句から。慌ただしく島内を駆けめぐった一日でした。 |
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22/07/30 | ●インドの大魔王「お笑い神話(8月号)」をアップしました。 ●鶴見良行私論第Ⅲ部「『フィールドノート』を読む」(5)をアップしました。 |
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22/07/19![]() 『街道をゆく 43』 |
●インドの大魔王「お笑い神話(7月号)」をアップしました。 ●東海地区在住の同窓が集まるというので久しぶりの旅行気分で名古屋と岐阜へ行った。旅のお供はやはり司馬遼太郎の「街道をゆく」。その第43巻『濃尾参州記』(新装版、朝日文庫、2009)。信長の桶狭間の戦い、三河時代の家康などを描く。この作品の連載中(『週刊朝日』1996年1月〜3月)、96年2月に司馬氏は動脈瘤破裂で急逝したのだった。第43巻がシリーズ最終巻で絶筆・未完となっている。戦国時代の英雄たちが割拠するこの地域(美濃、尾張、三河)が浩瀚なシリーズ中これまで取り上げられていなかったことに不思議な気がした。本文中に「名古屋は江戸時代から医者どころ」というフレーズが何カ所か繰り返され、しかも取材同行者に(歴史好きの)土地の医博が案内役となって複数参加されており、「医」がらみの話題がけっこうな紙幅を占める。桶狭間に建てられた藤田保健衛生大学(現・藤田医科大学)のことや、本居宣長の長男で盲目の国語学者・春庭を診察したという名古屋の馬島眼科のことなどがしるされている。医の声を司馬さんに懸命に届けようと天が差配していたんじゃないか、そんな印象を持った。 |
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22/07/06![]() G.Kanafany |
●鶴見良行私論第Ⅲ部「『フィールドノート』を読む」(4)をアップしました。 ●アラビア語のレッスンを受けるようになってまる4年が経過した。最低限の文法事項を学んで、先生からは「免許皆伝!」なんて威勢よく言ってもらえたのだが、実際はネット上でたまに目にするアラビア語のヘッドライン一つとってもなんのこっちゃ?という有様である。決定的に語彙力がない。しかもアラビア文字がまだまだ目になじんでおらず簡単な既知の単語でも初見のように感じてしまう。とほほ。とりあえず次のステージへということで、これからのレッスンは、パレスチナの著名な作家ガッサーン・カナファーニー(1936-72)の作品を読んでいくことになった。幸い日本語に翻訳されているし、10年ほど前に読んでいたので手元にある。『ハイファに戻って 太陽の男たち』(河出書房新社、1978)だ。イラクのバスラからクウェートへ給水車のタンクに隠れて密入国を図った3人のパレスチナ難民の悲劇を描いた「太陽の男たち」は今も強烈な印象が残っている。つい最近も作品と同じような話が現実のニュースになっていて驚いた。中南米からアメリカへトラックに隠れて密入国を図った移民者たち53人が熱中症や脱水症で死亡するという悲惨な事件であった。さてレッスンで取り上げるのは、本書にも収められている「悲しいオレンジの実る土地」という小品(日本語版で8頁)。予習に取りかかったのだが1ページ分を訳出するのに数時間かかってしまうほどの難行に前途の多難を思う。しかも日本語文を眺めてもどういう理路でこの訳文になるのか、文法的な構造がすっきりとつかめないことがある。とほほのとほほである。語学の天才、希代のゲルマニストと評される関口存男氏(1894-1958)という方の著作集につぎのような言葉があるらしい。「辞典と首っ引きでポツポツ読む外国語には、その遅々たるところに、普通人の気のつかない値打ちがあります。それは“考える”暇が生ずるということです。否でも応でも吾人を“考える”人間にしてくれるという点です」。ふだんほとんどぼんやりと日々を送っている私にはちょうどいいクスリになるかもしれない。「考える人」をめざしてひたすら今日も辞書を引くのであります。 |
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22/06/28 | ●近著探訪第54回『言語が違えば、世界も違ってみえるわけ』をアップしました。 |
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22/06/16 | ●鶴見良行私論第Ⅲ部「『フィールドノート』を読む」(3)をアップしました。 |
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22/06/10![]() 「ワーニャ叔父さん」 |
●インドの大魔王「お笑い神話(6月号)おっさんたちの旅|鎌倉1」をアップしました。 ●第94回アカデミー賞国際長編映画賞受賞の『ドライブ・マイ・カー』(濱口竜介監督、2021)を遅ればせながら観た。およそ3時間の長尺もの。「つまらない」「たいくつ」という評価が少なくない。ほんとにそうであったら3時間は拷問になってしまう。以前にもこのコーナーで記したが、観る前にはしっかりと仕込みを済ませてから準備万端にして臨むべく心がけた。一つは原作となっている村上春樹『女のいない男たち』(文春文庫、2016)に目を通しておく。本書は短編集なので、映画に関係しているといわれる「ドライブ・マイ・カー」「シェエラザード」「木野」の3本を丁寧に読み込んだ。そしてもう一つ、映画の中に組み込まれた舞台劇「ワーニャ伯父さん」。ロシアを代表する劇作家チェーホフの戯曲だ。有名な「桜の園」といったようなタイトルはなんとなく耳にしたことはあるが、読んだこともないし、そもそも戯曲を好んで読む習慣がない。こんな機会でもないかぎり一生読むことはなかっただろう。『かもめ・ワーニャ伯父さん』(神西清訳、新潮文庫、1967)をこれまた丁寧に読む。若い頃だったらなんて退屈なストーリーなんだと思ったにちがいない。巻末の「解説」で池田健太郎(ロシア文学者)という方が「ゴーリキイはこの戯曲に感動して女のように泣いたと書いている」と紹介している。「女のように」という記述が時代がかっていてポリコレ的に大丈夫かいなとは思うのだが、ともあれゴーリキイ自身の表現でもあり、また本書発行年が1967年という時代であることに留意しておきたい。私は「女のように」は泣かなかったが、年の功なのか、しんみりと琴線に触れるところ数多であった。思っていた以上によかった。映画『ドライブ・マイ・カー』は、原作・村上春樹となっており、たしかにいくつかのエピソードはそこからかなり忠実に再現されているのだけれど、映画の骨格は「ワーニャ伯父さん」そのものにあると思う。悔悟に満ちた自身の過去とどう折り合いをつけてこれからの未来を生きていくか。「絶望から忍耐へ」、そしてその後の「確信する未来」へと切り拓いていく──これがたぶんテーマだと思う。だから不可逆な時間の非情さをしばしば意識させられるほどにある程度年齢を重ねていたほうが、映画の主人公・家福(=ワーニャ伯父さん)に感情移入しやすい。最後にはゴーリキイほどではないがすこしうるうるしてしまった。「ワーニャ伯父さん」は必読の書だ。読まずして観るなかれ。 |
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22/05/24 | ●鶴見良行私論第Ⅲ部「『フィールドノート』を読む」(2)をアップしました。 |
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22/05/16![]() 岡田晴恵著 |
●インドの大魔王「お笑い神話(5月号)」をアップしました。 ●ゼロコロナ政策のもと、コロナウィルスの完全封じ込めを貫徹すべく有無を言わさぬ強烈な都市封鎖が人口2400万人の上海市で1カ月半以上続いている。ニュース映像をみると、厳しい外出制限が課せられ、買い物にも行けず冷蔵庫はからっぽで日々の食料もままならない。外に出られるのはPCR検査の時ぐらい。近隣に感染者が出ると、その周辺の住民は数百キロ離れた隔離施設へ大型バスで強制的に集団移送される。これでは民衆の不満がたまりにたまっていつ暴動が起こってもおかしくない。過日読んだ、岡田晴恵『秘闘 私の「コロナ戦争」全記録』(新潮社、2022)では、感染症専門の立場から、PCR検査の拡充と、感染者の早期発見と隔離・保護をひたすら徹底していくことが「サイエンス」に基づく、絶対的解であると述べる。日本政府が採ってきた一連の感染症対策はまったくもって「サイエンスが破綻」していると。その観点からすれば、現下上海で進行中の取り組みが、著者岡田氏のめざす「サイエンス」主義にとっての究極の解ということになってしまうのかもしれない。うーん。岡田氏のいう「サイエンス」はウイルス学、感染症学という学問分野に限定された狭義のものなのだろう。中国の奮闘ぶりは、圧倒的な自然の猛威をまえに、まるで風車に突撃していくドンキホーテよろしくどこか滑稽さが漂う。ともあれ本書は、首相をはじめ政権中枢の大臣の面々、厚労省の役人たち、専門家会議(分科会)の学者たち、医師会、地方自治体、マスコミなどの様々な思惑に翻弄され、忖度、保身、不作為に右往左往する舞台裏を生々しく批判的に伝える。誰があのときどういった発言し、どうふるまったかを、私は興味本位に、覗き見的に楽しく読めた。本書について「自画自賛する「コロナの女王」」と題された書評(『NEWSWEEK』石戸諭、2022.3.15)を目にしたが、私の印象はちょっと違う。岡田のよき理解者でもあり同志ともいえる、当時厚労大臣の田村憲久氏へのオマージュ本ではないかしら。そんな印象を受けた。つい最近、コロナがらみでもう一冊、コロナ担当大臣であった西村康稔氏による『コロナとの死闘』(幻冬舎)という本が出た。こちらのほうは真正「自画自賛」本に堕してしまっているようだ。Amazonでは300以上のレビューがつきながら圧倒的に「星1つ」(珍しい現象だ。批判のために多数が読んだとしかいいようがない)という惨憺たる酷評の集中砲火を浴びている。むべなるかな。 |
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22/05/06 | ●お知らせとお詫び:4月30日頃から5月6日午前8時までのあいだに私ども(個人及び舎宛)へメール送信された方へご連絡いたします。当方のメールの受信設定に誤りがあり、お送りいただいたほとんどのメールが、POPサーバー段階で消去されてしまうという事態に陥っていたことが判明いたしました。申し訳ありません。この期間に送信された可能性のある方は、ご面倒をおかけしますが、再度お送りいただきたくお願い申し上げます。不手際の段、重ねてお詫び申し上げます。 |
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22/04/27 | ●「インドの大魔王」こと大麻豊氏より、スリランカ・キャンディ在住の写真家廣津秋義氏が亡くなったとの電話を昨日もらった。1か月ほど前に廣津氏と話されたそうだが、すでに体調はかなりよろしくなかったようだ。私の場合ここ数年メールのやりとりも途絶えていた。2017年から18年にかけて当ホームページにて「スリランカ点描」というタイトルで写真とエッセイの連載をご協力願ったのが最後だったか。6-7年前にシンハラ人の奥様とスリランカへ移住されていた。そのころから長年フィルムで撮影されていた写真をデジタルに移行された。メールの利用も始まった。おかげで原稿や写真の受け渡しも遠くスリランカからでもネット経由で便利だった。2010年小舎刊行の『スリランカ古都の群像』の制作では、大判の大学ノート3冊分にびっしりと書き込まれた筆圧の強い手書き原稿と、写真はポジフィルムで1コマごとスリーブに入っていた。もちろん当時であっても文字原稿はテキストファイル、写真はデジタルが世間では一般的になっていたのだが、オールドスタイルであった。あるとき近くのインド料理店へお昼ごはんをお誘いしたとき、そこのカレーの味付けに砂糖が使われていること(私には感じ取れなかった)に嫌悪され、ひとくち口にされただけであとは苦々しげな面持ちでナンだけで済まされた。ふつうはホストの手前、無理にでも食べるもんだろなんて思ったものだが、妥協は一切なかった。廣津さんらしい、懐かしい思い出である。ご冥福をお祈りします。合掌。 |
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22/04/18![]() 女のいない男たち |
●鶴見良行私論第Ⅲ部として「『フィールドノート』を読む」が始まります。引き続きご愛顧くださいますようご案内申し上げます。なお「鶴見良行私論【総合目次】」をつくりましたのであわせてご利用ください。 ●JR恵比寿駅内に設置されている地下鉄日比谷線への案内板は、日本語、英語、韓国語、ロシア語で表記されているそうだ。ロシア語とは珍しい。日比谷線沿線にロシア大使館があるらしくロシア人の利用も多いゆえのことらしい。そのロシア語表記の道案内が利用客からのクレームを受け、白い紙で覆い隠されて「調整中」となったらしい。のちに「対応が不適切だ」とSNS上で批判が続発し、再び表示されることになった。JR東は「戻すことが妥当と判断した」(朝日新聞朝刊、2022.4.15)ということらしいが、ロシアのウクライナ侵攻以来、なんでもありのロシア叩きが、なんとも短慮で見苦しい。戦中の「敵性言語」とやらを思い起こさせる。今春からEテレのロシア語講座(「ロシアゴスキー」)が放送終了となったのも一連の流れか!?と騒がれたが、こちらは2月には既定路線であった模様で、ウクライナ侵攻とは無関係らしい(ラジオ版は継続)。ちなみにアラビア語のEテレ番組も終了となった。モロッコ方言を学ぶという、かなり特殊な内容であったゆえ、影響はあまりなさそうである(映像は楽しかった)。米アカデミー賞受賞の映画「ドライブ・マイ・カー」の原作となる短編集、村上春樹『女のいない男たち』(文春文庫、2016)を読んだ。ロシアを代表する作家の一人、チェーホフの戯曲『ワーニャ伯父さん』が小説の中にすこし登場するが、映画のほうはこの戯曲が入れ子構造に埋め込まれていて、かなり重要度の高い位置づけになっていると聞く。映画鑑賞前には一読しておきたい。もちろん日本語訳だけど。 |
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22/04/03 | ●インドの大魔王「お笑い神話(4月号)」をアップしました。 ●近著探訪第53回『象の旅』(ジョゼ・サラマーゴ著)をアップしました。 |
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22/03/27![]() 吉永邦治展 ![]() 岸 惠子著 岩波書店 |
●鶴見良行私論第Ⅱ部「炉辺追憶」アヘンの耳(6)をアップしました。 ●シルクロードの世界を描き続けている画家吉永邦治氏による「異境への旅」展(PDF)が4月2日から6月30日のあいだ大阪大谷大学博物館で開催されます。 ●机の上に両脚を投げ出して足首のところで左右の脚を交差させて、行儀悪く小一時間本を読んでいたら下側になっていたほうの右足首あたりから痛みが走り出し、その翌日から3日間激痛に襲われ歩行に難儀した。サロメチール・ゾルというスプレー式の鎮痛消炎剤を患部にたっぷりふりかけたことが最終的には奏功した。以前であれば、姿勢を正しい位置に戻せばものの数分もすれば痛みは消え去ったもんだ。これが年ということか、腹立たしい。その時読んでいたのが『岸惠子自伝』(岩波書店・2021)という本であった。そこに書かれていたエピソードのいくつもに既視感があって、どこかで読んだことがあったのだろうか……と不思議な思いのまま巻末の「終わりに」にいたって、ようやく腑に落ちた。2020年5月に日経で「私の履歴書」を連載したことが本書の出版につながったという記述に出くわしたのだ。当時のスクラップブックを取り出したらご丁寧にもすべての記事を切り抜いていた。なーんだ。と同時に、すでに読んで保存していたものを新たに買って再び読んで(もちろん本書のほうが新聞記事よりずっと内容豊富なんだけど)、足首を損傷するなんて割が合わないではないか。腹立たしい(しかもたった2年ほど前のことなのにすっかり忘れてしまっている!)。なんとも手前勝手な理屈ではあるが、老境に入るとわずかな身体の不調に恐れおののき、その不調を引き起こすこととなった「原因」そのものに許し難き感情がわき起こってしまう。この場合、行儀の悪い自分自身に対してではなく、『岸惠子自伝』に当たってしまわざるを得ないのだ。お恥ずかしい。本に怒ったってしょうがないのは承知の上ではある。さてさて、「岸惠子」について書こうと思う。じつはいま「鶴見良行私論」を連載してもらっている庄野護氏からずいぶん昔に預かっていた草稿に「岸惠子」が登場する。小田実が徳島の病院(小田の実兄が医者として勤めていた病院)に入院していた1971年のこと。当時若かりし庄野氏が転がり込んでいた、A新聞の徳島支局に所属する記者M氏のアパートで焼き肉パーティが催される。その2DKに小田実、岸惠子、映画配給会社の秦早穂子、徳島在住の若者たちが集う。そこで「女優から主婦への変わり身の早さ」を自負する岸惠子の、料理の手際の良さを目の当たりにするのだった。70年代初頭の時代臭がそこかしこに充満した内容である。岸惠子の女優としてだけではない、多様な「表現者」として一途に「現場」へと突っ走る、彼女の行動的な一面も伝わってくる。いつか当ホームページで紹介したいと思っている。このときの岸惠子の徳島行は、私は未見だけれど、秦早穂子との共著『パリ・東京井戸端会議』(読売新聞社・1973、のちに新潮文庫・1984)に触れられているらしい。 |
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22/03/18 | ●16日深夜、福島県沖を震源とする、東北・関東一円を襲った地震の直後から、当ホームページを運用しているレンタルサーバー(東京)において障害が発生し、WEB表示、及びメールの送受信ができない状態が続いた。メール関連は17日夕刻には復旧したが、WEB関連は本日午前9時段階でとりあえず「仮復旧」という状態のようだ。20年以上お世話になっているレンタルサーバーであるけれど復旧にこれほどの時間を要したのははじめて。この間当方へアクセスを試みられていた方には大変ご不便をおかけいたしました。 ●虫歯でもないのに歯が痛む。知覚過敏か、神経が損傷しているのか、加齢による歯列環境の劣化か。冷たいものではなくなぜか熱いものがじわりと沁みる。歯医者さんに痛む箇所を明確に特定して伝えられず漠然と数本をチェックしてもらう。レントゲンを撮ってもらったが異常なし。とりあえず歯の掃除をしてもらって薬を塗布してもらった。「これで様子を見て」といわれて帰途に着いたのだが、あれっ?痛んでいたのは左側ではなくて右側だったぞ! あわてて医院に取って返す。医院のみなさんにはあきれられてしまった。大丈夫か?じぶん! コロナ禍に見舞われてあしかけ3年、すっかりからだも頭もよどんでしまっている。 ●というわけで、過日久しぶりに山歩きにでかけた。六甲山系の西の端、栂尾山(つがおやま)から横尾山を経て東山までの、「須磨アルプス」と呼ばれる人気のコース。神戸女子大の北側の登山口からスタート。ここに設けられた400段ほどのコンクリートの階段を上ると栂尾山の頂上付近(標高274m)にまで一気に進む。これまで何度も経験してきた階段ではあったが、なまったからだには相当にこたえ、息も絶え絶えに。何度休憩をはさんだことやら。3月にしては気温は20度を超え、快晴の一日。コロナもようやくピークアウトの兆しもうかがわれ、ハイカーの数もこれまで見たことのないほどに多かった。賑わいが戻りつつあることがうれしい。これを機にすこしずつ運動するからだにもっていきたい。 |
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22/03/05 | ●インドの大魔王「お笑い神話(3月号)」をアップしました。 ●鶴見良行私論第Ⅱ部「炉辺追憶」アヘンの耳(5)をアップしました。 |
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22/02/25 | ●鶴見良行私論第Ⅱ部「炉辺追憶」アヘンの耳(4)をアップしました。 |
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22/02/19 | ●かねてより気になっていた、兵庫県三木市に一昨年誕生したモスク併設のレストラン「アルマイダ」へ嫁サンと行ってきた。「アルマイダ」はアラビア語で「食卓」(al-maaidah、アル・マーイダ)の意。三木市内には70人を超えるシリア人が住んでいることもあり、近くで集団礼拝用の施設(マスジド)が求められていたようだ。2階を礼拝場にして、1階部分に食堂とハラール食材の店が併設されている。ムスリムだけでなく一般の日本人客をも対象にして営業している。金曜は集団礼拝の日にあたるので、混雑を避けて土曜のお昼を目指した。40〜50人ほどが収容可能ではあるが、はたして客は奥のテーブルに日本人のカップルひと組のみ。がらんとしている。厨房には誰もいない。ん、営業終了か。……と、われわれの後ろから入ってきた南アジア系の常連客っぽい男性2人組から日本語で「お祈りに行ってるから座って待ってたらいい」と声をかけられた。食堂の壁に電光掲示板があってそこにお祈りのタイムスケジュール(1日5回の礼拝と、金曜の特別礼拝の時間)が灯っていた。「12:30」はズフル(正午)礼拝。10分ほど待っていると料理人が戻ってきた。ランチメニューは1000円から(金曜は1500円でブッフェ形式)。料理は中東風ではなくパキスタン風。カレーとサラダ、ナン、ごはん(バースマティ米)にドリンク。カレーはチキン、ダル、野菜、魚から一択。「チキンと野菜」を所望すると、すこし思案したのち「ひよこ豆はどうか」との返答。「野菜」のほうは品切れだったのか用意してなかったのか。「んじゃあ、ひよこ豆で」と応えるとにっこり。ドリンクは2リットル入りのペットボトルのジュースが紙カップとともにテーブルへ。なんぼでも飲んでちょうだい!っていう感じ。夜は10時まで営業と記してあったが、さすがにモスク附属ゆえに完全ハラールでお酒の提供はなし。私的にはちょっときつい。でもカレーはしっかりとスパイシーで現地風。おいしかった。 |
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22/02/06![]() 1983年3月号 ![]() 最相葉月・著 |
●鶴見良行私論第Ⅱ部「炉辺追憶」アヘンの耳(3)をアップしました。 ●インドの大魔王「お笑い神話(2月号)」をアップしました。 ●「ショートショート」(掌編小説)が注目されているらしい。〈「ショートショート」小説 再び脚光〉という記事があった(日経夕刊、2022.1.24)。愛媛県松山市が主催する「坊ちゃん文学賞」では、2019年募集作品の対象を青春文学からショートショートへ変えたところ、応募が急増したと伝えている(20年は9318点、21年は6952点)。記事では「再び」と紹介しながら「最初」への言及がないが、おそらく「最初」のブームは1980年前後になると思う。1978年に講談社文庫の特別企画としてショーショートのコンクールが実施されている。選者は当時斯界の第一人者であった星新一。応募数は5433通にのぼった。さらに数年後の81年にはショートショートの専門誌『ショートショートランド』(講談社)が季刊(のちに隔月刊)で刊行されている。創刊号は初版7万部を一瞬にして売り切った。さきのコンクールも第3回目からはこちらの誌上に移され、創刊号において「星新一ショートショート・コンテスト'81」として引き継がれる。応募数は5225通。原稿用紙数百枚を要する中・長編の作品からすれば、長くても10枚程度の作品で読み切るショートショートは敷居が低く見えるのだろうか。参加型にすると80年代も今もその人気に変わりはなさそうだ。昨今の文学雑誌の部数低迷からすれば、「ショートショート」ジャンルにかぎれば、読み手の数より書き手の数が凌駕してしまっているんじゃないかと思えるほどだ。記事は「短さ自体に価値」としるし、たとえばユーチューブの動画が数分足らずで完結することを求める社会がこうしたブームの背景にあると解く。80年代当時はTV番組のCMが15分ごとに挿入される時間感覚に慣らされてしまったゆえに15分以内で読み切れる作品としてもてはやされたといわれたものだ。その意味では現在のほうがコンテンツの短さはより際だっている。学研プラスから刊行されて人気を博しているシリーズは、題して『5分後に意外な結末』。さらには『5秒後』なんていうシリーズも生まれている。さいごは禅にある「公案問答」のようになってしまうのか……。(ショーショートの歴史は、最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮社、2007年)を参考にしました) |
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22/01/23 | ●旧著探訪第40回『村田エフェンディ滞土録』をアップしました。 |
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22/01/10 | ●鶴見良行私論第Ⅱ部「炉辺追憶」アヘンの耳(2)をアップしました。 ●インドの大魔王「お笑い神話(1月号)」をアップしました。 ●オミクロン株が猛威を振るっている。ただ感染力は強いが重篤性は極めて低いようだ。感染しても喉の痛み、微熱などの症状にとどまり、肺炎に至るケースはほぼゼロに近いと聞く。100年前のスペイン風邪では足掛け3年にわたって流行の大きな波が3回あった。その後ほぼ収束に向かっていった。当時の内務省衛生局がまとめた調査報告書(『流行性感冒』平凡社、2008年)の「第三回流行状況」と題する項目に次のように記されている。「本流行は大正九年八月上旬福岡、高知に同下旬兵庫に初発したるを破格とし、(略)其症状は普通の感冒と区別する能はざる程度のもの多く」「気候の変遷に従ひ患者漸次増加の傾向を示し」たが「其症状も亦悪性を帯びず肺炎を併発するもの殆ど稀にして大正十年一月に入り患者発生数は稍々増加したるも四、五月より漸次其数を減じ六、七月全く終熄せり」。History repeats itself はたいていの場合ネガティブな文脈で使われるけれど、こればかりはその「歴史」を繰り返してほしいものだ。 |
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