鶴見良行私論第2部「炉辺追憶」庄野護

    ◎第12回『バナナと日本人』岩波新書・1982年 (その9)

     ──編集者・ 大江正章と鶴見良行──


 長期にわたり鶴見良行と接した編集者に大江正章(おおえただあき、1957‐2020)がいる。大江は学陽書房の編集者として『バナナと日本人』(1982)発刊直後の良行と出会った。二人とも酒を好み、飲みながらの会話を楽しんだ。大江は1996年、学陽書房を退職し、出版社コモンズを立ち上げる。良行の死(1994)が、独立への要因のひとつと思われる。

 大江が代表を務める出版社・コモンズは、アジア学の書籍を次々と刊行してきた。しかし、大江は2020年に病で急逝する。63歳だった。大江が亡くなった年にコモンズから、石井正子編著『甘いバナナの苦い現実』が出ている。2020年8月30日の刊行である。その年の12月15日に大江は亡くなった。

 良行の最期について、『著作集12』掲載の、丸井清泰編「年譜」には次のような記載がある。
「(1994年:引用者註)12月15日 龍谷大学大学院経済学科研究科で『国際関係論』の講義を行う。テーマは『NGOが力を発揮するには』。体調が悪く、講義を早めに切り上げる」(p.429)
 そして、
「12月16日 未明、急性心不全のため、自宅にて永眠。享年68歳」(p.428)

 良行の命日(12月16日)は、翌朝の医師による確認結果である。そのことを知る知人たちは、大江と良行が同じ日(12月15日)に亡くなったと思っている。ふたりの運命的な出会いと別れを12月15日の日付に感じるらしい。

『甘いバナナの苦い現実』のオビに大江が書いたと思われる文章がある。
「名著『バナナと日本人』から約40年
 バナナを通して
 世界と日本を見つめ直す
 日本人がもっとも多く食べている果物バナナはなぜ安いのか?
 主な輸入先のフィリピン・ミンダナオ島では農薬の空中散布による健康被害や不公正な多国籍企業の活動が目立つ。栽培・流通の知れざる現状を詳細に調査し、エシカルな消費のあり方を問いかける。」

 編著者・石井正子(立教大学異文化コミュニケーション学部教授)は、上智大学大学院で村井吉敬(1943‐2013)の指導を受けている。良行は龍谷大学に勤務する前、上智大学大学院で非常勤講師をしていた。石井と良行は世代が異なり、面識はなかったかもしれない。しかし、石井は良行の著作を学びながらフィリピン研究を深めてきた。良行の背中を追いかけてきたともいえる。

 大江の追悼集『「コモンズ」という希望』(コモンズ、2021)に石井による追悼文がある。
「大江さんは、『バナナと日本人』(岩波新書、一九八二年)の著者の鶴見良行さんを敬愛していた。コモンズの記念すべき出版第一号は鶴見良行・宮内泰介編著『ヤシの実のアジア学』(一九九六年)である。コモンズは私の恩師の村井吉敬さんの著書も数冊出版している。私にとっては、あこがれの出版社、編集者である。コモンズから編著書を出せるとは……。とても嬉しかった」(p.166)

 同じ石井が『甘いバナナの苦い現実』出版の経緯について次のように書いている(p.166)。
「出版の提案をしてくださったのは、大江さんであったと記憶している。
『バナナの本を出しませんか?』ではなく、
『そろそろ出さなきゃだめだよね』といった感じであったように思う。」

『甘いバナナの苦い現実』は、石井以下7人の論文で構成される。
 第1章「ミンダナオ島で輸出バナナが作られるようになるまで」
 以下、バナナ栽培に関わる企業の実態、農場で働く労働者の現実、バナナ園の農薬散布による生産者と消費者への健康への影響、などがテーマである。
 これらの研究は、『バナナと日本人』から38年を経て積み重ねられてきた研究成果でもある。フィリピン人のバナナ研究者たちを数多く輩出してきたことは、英文論文の索引でも知ることができる。現在、バナナ研究者は世界じゅうにいる。『バナナと日本人』は、バナナ研究を国際化した。

 ところで、バナナ問題は解決していない。いまも私たちの前に横たわる。『甘いバナナの苦い現実』が指摘する新たな問題のひとつは、日本の企業が消費者に届ける販売の独特な方法である。
「日本のバナナの売り方は独特だ。アメリカやヨーロッパなどの先進国のスーパーでは、1ポンド(約450g、5〜6本)55セント(約60円)、または1本19セント(21円)というふうに、産地やブランドにかかわらず、ほぼ同じ値段で売られている。しかし、日本では3〜5本がビニール袋に入れられ、異なる値段で販売される。その値段は約100円から450円まで大きな開きがある」(p.127)

 この論文を書いたのは、アリッサ・パレデス(1989‐、ミシガン大学人類学部博士研究員)である。文化人類学の視点で分析している。日本の企業が独自のマーケティングで、バナナをどのように高価格で売ろうとしているのか? その手法が示されている。
 日本のスーパーで売られている「スカイランド」「最高峰バナナ」「太陽に愛されたバナナ」「雲の上のバナナ」などは、生産地の標高の高さが強調される。生産地の標高が高ければ、「リッチなクリーミーな甘さ」「柔らかくもっちりした食感」を持つバナナになると宣伝されているらしい。高地生産のバナナが高価格であるとされる。これは日本のバナナ販売の独自戦略である。日本の消費者は、だまされているらしい。(p.127-148)

 第3章「バナナ産業で働く人たちの現実」は、田中滋による報告である。田中は現在、良行が理事を務めていたPARC(アジア太平洋資料センター、東京神田)の事務局長をしている。良行は、PARC創設の1973年から理事を務めていた。PARCは『甘いバナナの苦い現実』の刊行に先駆け、同名のビデオ作品を制作していた。ビデオ『甘いバナナの苦い現実』(2018)である。このビデオ作品の書籍化が、『甘いバナナの苦い現実』ともいえる。しかし、ビデオの文章化でなく、現地調査と文献調査を新たに積み重ねての書籍化であった。ただ、出版の経緯からすれば『甘いバナナの苦い現実』は、PARCの本ともいえる。

『甘いバナナの苦い現実』は、バナナ問題の総合的研究である。流通や販売方法の分野にも踏み込んで分析している。バナナに関わる問題を総合的に見返し、第7章(最終章)「私たちはどう食べればよいのか」で終わる。現地調査と執筆作業に約5年の歳月を要したと石井は「あとがき」にしるしている(p.382-385)。


思想の科学 1995年9月
『バナナと日本人』
─フィリピン農園と
食卓のあいだ─

岩波新書
1982年



『甘いバナナの苦い現実』
石井正子編著

コモンズ
2020年



『「コモンズ」という希望』
大江正章さんを偲ぶ会 編
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