鶴見良行私論

 「ベトナムからの手紙」

 さて、1965年6月、サイゴンで鶴見良行を自宅に招いて6日間の滞在をさせたのは、共同通信の初代サイゴン支局長・林雄一郎であった。「ベトナムからの手紙」(『著作集1』p.167)で「編集者Hさん」と書かれている人物である。
 林雄一郎は、1932年に生まれ、1956年東京外国語大学インド語学科を卒業して共同通信に入社した。1964年11月から65年8月までサイゴン支局初代支局長を務め、70年から73年まではワシントン支局員だった。初代サイゴン支局長に林が選ばれた社内事情については、2007年6月の日本記者クラブでの講演で林自らが語っている。
「私はベトナム語はおろかベトナムの植民地母語フランス語もできず、インドシナ半島の情勢に触れたことはない」(2007年講演記録、日本記者クラブのH.P.で閲覧可)。
 そんな林に共同通信外信部長が次のように説得した。
「戦場になるかもしれない南洋の国だ。そこに支局を新規に開くんだ。胃袋の丈夫なヤツがいいんだ」
 その話に納得して、林は1964年サイゴンに赴任した。

 ベトナム戦争の時代、サイゴンで活動した日本人の新聞記者として、読売新聞の日野啓三、朝日新聞の本多勝一、産経新聞の近藤紘一などが知られる。日野啓三『ベトナム報道』(現代ジャーナリズム出版会、1966。のち講談社文芸文庫、2012)、本多勝一『戦場の村 ベトナム 戦争と民衆』(朝日新聞社、1968)、近藤紘一『サイゴンのいちばん長い日」(サンケイ出版、1975)などがあり、彼らの著作は当時ベストセラーとなった。その社内功績もあり、彼らは新聞社に所属したまま著作活動を継続することができた。
 彼ら3人に比べると共同通信記者・林雄一郎の知名度は低い。しかし、ベトナム報道の新聞記者として実務に取り組み、報道内容において最も成果を上げたひとりが林雄一郎である。単著を残さなかった林雄一郎だが、亀山旭(共同通信)との共編著『激動のアジア ポスト・インドシナと日本』(ダイヤモンド社、1975)がある。ベトナム戦争終結時の国際政治を正確に分析した本である。また、D・ハルバスタム『ベトナム戦争』(泉鴻之・林雄一郎訳、みすず書房、1968)に添えられた、林雄一郎による解説論文がある。「ベトナム・1954年−1968年 “サイゴン共和国”の崩壊過程」という400字200枚を越える長い論文である。

 アメリカ人ジャーナリスト、デビッド・ハルバースタム(1934−2007)は、1962年秋に「ニューヨーク・タイムズ」の特派員として南ベトナムに派遣され、15か月にわたって現地から報道活動した。その徹底したベトナム報道は、アメリカ社会にベトナム戦争を再考させるきっかけをつくった。「粉飾された統計、過小評価されたベトナム解放戦線と民衆のつながり、米軍人や外交官の自己欺瞞」(みすず書房H.P.より)を正確に報道したのが、ハルバースタム記者だった。
「ベトナム報道でのハルバスタムは、きびしい圧力に屈することなく、ベトナム戦争でその目で見た真実」(「BOOK」データベース:アマゾン)を報道したことで、1964年にはピューリッツァ賞を受賞した。この受賞については、ケネディ大統領(当時)が、ハルバースタム記者のサイゴンからの配置転換をニューヨーク・タイムズに求めたという逸話と共に記憶されている。

 ハルバースタムのベトナム報道は、アメリカ世論を変え反戦運動を高揚させる要因になった。ジョン・F・ケネディのあと副大統領から大統領になったリンドン・ジョンソンは、ベトナム和平と引き換えに、1969年の大統領選挙に出ない決断を下した。この政治の流れは、ハルバスタム『ベトナム戦争』の原著“The Making of Quagmire”(1965)がもたらした影響のひとつである。

 南ベトナム軍と解放戦線の戦闘は1963年には解放戦線が優勢となる。その後ベトナム戦争は、アメリカ軍と解放戦線との戦争に移行していった。良行が南ベトナムを訪問した1965年6月は、アメリカがベトナム戦争に敗北する過程をたどり始める転換期であった。75年、アメリカ軍は南ベトナムから完全敗退した。戦争の敗退には10年という長い時間を要した。

 ハルバスタム『ベトナム戦争』がいま再び注目されている。それは現在、アメリカが試みているウクライナ支援がベトナム戦争の経験に照らし合わせて、「正しい方法」での支援なのかを考えるためである。
 みすず書房から1968年に出版されたハルバスタム『ベトナム戦争』は、1987年に『ベトナム戦争の泥沼から』と改題されて新装版となった。新装版には林雄一郎の解説論文は掲載されていない。2019年の新装版(この版から「ハルバスタム」の著者名は「ハルバースタム」と表記されるようになっている)には、藤本博による解説が収録されている。2019年版の本文翻訳は、1968年版、1987年版とほとんど同じで、泉鴻之と林雄一郎によるものだ。

 1965年6月、良行はベトナム戦争を最もよく知る日本人新聞記者・林雄一郎からの説明を受け、サイゴンでの6日間を過ごした。その体験から『ベトナムからの手紙 ある編集者へ』は、書かれた。ウクライナ戦争の時代に、誰かが書くだろう「ウクライナからの手紙」を想像しながら読める。


鶴見良行著作集1
『激動のアジア』
ポスト・インドシナと日本
亀山旭・林雄一郎
ダイヤモンド社・1975年



新装版『ベトナムの泥沼から』
D・ハルバースタム 著
泉鴻之・林雄一郎 訳
みすず書房・2019年
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■庄野護(しょうの・まもる)
1950年徳島生まれ。中央大学中退。学生時代よりアジア各地への放浪と定住を繰り返す。1980年代前半よりバングラデシュやネパールでNGO活動に従事。1989年から96年までODA、NGOボランティアとしてスリランカの都市開発事業に関わる。帰国後、四国学院大学非常勤講師を経て、日本福祉大学大学院博士課程単位取得。パプアニューギニア、ケニアでのJICA専門家を経て、ラオス国立大学教授として現地に2年間赴任。『スリランカ学の冒険』で第13回ヨゼフ・ロゲンドルフ賞を受賞(初版)。『国際協力のフィールドワーク』(南船北馬舎)所収の論文「住民参加のスラム開発スリランカのケーススタディ」で財団法人国際協力推進協会の第19回国際協力学術奨励論文一席に入選。ほか著作として『パプアニューギニア断章』(南船北馬舎)、共著に『学び・未来・NGO NGOに携わるとは何か』(新評論)など。