「フィールドノート」を読む(鶴見良行私論)

 フィールドノート誕生の謎
 日本観光文化研究所の森本孝が、鶴見良行の残したフィールドノート20冊に取り組むようになったのは、良行の没後、著作集の編集がはじまってからのことである。こうして生前の10年にわたる付き合いに加え、さらに没後10年間、「鶴見良行」にかかわってゆく。森本によるその成果は、『鶴見良行著作集』11巻、12巻に収められた「フィールドノートⅠ」「Ⅱ」として私たちが手にとれる作品となっている。
『鶴見良行著作集12』(最終巻、2004)の森本による「解説」を参考に以下の文章をしるしてゆく。

 良行は、1982年9月に実施したミンダナオの旅ではじめて本格的なフィールドノートに取り組んだ。フィールドノートのその起源を明らかにしたのは、森本である。それ以前の旅の記録と、1982年以降の旅日記はあきらかに違っている。この発見は、良行が残した20冊のフィールドノートとその他の日記などを総点検した森本の分析で得られたものである。この編纂作業を森本がしていなければ、良行のフィールドノートの誕生から終焉は謎のままだったかもしれない。
 良行の没年にあたる1994年の旅では、良行は10年余り続けたフィールドノートを書いていない。そのことも森本によって明らかにされた。

『著作集12』所収の「解説」のなかで森本は、良行が1982年にフィールドノートを書き始めた理由を謎としている。
「何故。彼(鶴見良行)がこのミンダナオの旅から旅日記を書き始めたのか、鶴見さんなき今は、知ることができない」(p.410)

 同じ解説のなかで森本は次のようにも述べている。
「鶴見さんのフィールドノートは、旅先での観察や発想、思考の過程をまとめた日記形式をとっている。鶴見さんがこのような旅日記を意識して書き始めたのは1982年のミンダナオの旅(『著作集11』1章に収録)からのようだ」(p.410)
 それ以前の良行の記録やメモは、「本格的な旅日記ではない」(p.410)とまで森本は言い切っている。

 森本の研究により、良行のフィールドノートの開始が1982年であったことが明らかになった。それでは、1982年に良行に変化を促したものは、何であったのか?
『著作集12』の著作目録で、1982年の項(p.465-467)には、1月19日から31日までの12日間、朝日新聞夕刊に「日記から」の連載が記録されている(日記は『著作集6』に所収)。この日記の文体が、9月からのフィールドノートの原点であったようだ。
 しかし、従来からの日記や旅の記録が、いきなりB5コクヨノートを用いた本格的フィールドノートとなった理由は、不明である。以下に1982年の鶴見良行の生活をふりかえり、その謎について私の推論を記す。事実に基づいているが、良行の受け止め方については分からない。

 1982年初夏、東京在住だった良行は関西に住む年下の友人から手書き本を受け取った。手書き本とは、手書きの原稿をコピーして製本した書籍である。原本となる手書き原稿はB5用紙に小さな文字で横書きされていた。1ページ約1000〜1200の文字が埋まっていた。その形式は、B5ノートに横書きで書いた良行の旅日記に似ている。名刺カードやパンフレットの切抜きを左のページに貼ってあるのも、『著作集11』「フィールドノートⅠ」の最初のページに写真掲載された良行のフィールドノートに酷似している。
 良行に送られてきた手作り本の内容は、1972年から75年まで3年間にわたる東南アジアの旅日記である。編纂したものを清書して手作りの本としていた。シンガポール、マレーシア、タイ、ラオス、南ヴェトナム(当時〉、フィリピンでの旅の記録と滞在記であった。なかには手書きの地図もあった。手書き地図の形式も良行のそれと似ていると言えなくもない。
 手作り本の標題に『まだ、日本人ですか?』とあった。受け取った良行は、その意味を即座に理解したはずだ。論文「日本人ばなれの生き方について 定着と移動の方法」(『思想の科学』1972年6月号、『著作集3』所収)を意識した題名だったからだ。良行はその手書き本を隅々まで丁寧に読んだ。そして、感想の手紙を作者に書いている。手紙の中で良行は、「外部に出すときは筆名を使うように」と助言している。これは、当時の日高六郎(社会学者、1917-2018)や井上澄夫(市民運動家、1945-2014)など、良行に近い友人たちが目的国に入れなくなった事情と関係する。良行自身、マレーシアから入国拒否にあっていた。

『まだ、日本人ですか?』は、旅日記がそのまま「作品」になるというアイデアを良行に示唆したかもしれない。これは私の推論である。そして、1982年9月からのミンダナオへの旅で、良行は「作品」としてのフィールドノートの作成に取りかかったのではないか。

 1982年、良行のもとに届いた『まだ、日本人ですか?』は、それとほぼ同じ内容で、標題を『アジアの中の自分史』と改題して、1983年末に集英社第4回ドキュメントファイル大賞(1984)選考に応募されている。選考では、ドキュメント写真3作、文章作品3作が最終候補に残った。『アジアの中の自分史』は、その候補作3作品には残った。しかし、賞は逸している。
 良行の手元にあった手作り本『まだ日本人ですか?』(『アジアの中の自分史』1982)は、良行の死後、鶴見千代子さんから作者のもとに送り返された。その本は現在、関西在住の出版関係者のもとに資料として保管されている。

鶴見良行著作集11
『鶴見良行著作集11』
「フィールドノートⅠ」
みすず書房・2001年

鶴見良行著作集12
『鶴見良行著作集12』
「フィールドノートⅡ」
みすず書房・2004年
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■庄野護(しょうの・まもる)
1950年徳島生まれ。中央大学中退。学生時代よりアジア各地への放浪と定住を繰り返す。1980年代前半よりバングラデシュやネパールでNGO活動に従事。1989年から96年までODA、NGOボランティアとしてスリランカの都市開発事業に関わる。帰国後、四国学院大学非常勤講師を経て、日本福祉大学大学院博士課程単位取得。パプアニューギニア、ケニアでのJICA専門家を経て、ラオス国立大学教授として現地に2年間赴任。『スリランカ学の冒険』で第13回ヨゼフ・ロゲンドルフ賞を受賞(初版)。『国際協力のフィールドワーク』(南船北馬舎)所収の論文「住民参加のスラム開発スリランカのケーススタディ」で財団法人国際協力推進協会の第19回国際協力学術奨励論文一席に入選。ほか著作として『パプアニューギニア断章』(南船北馬舎)、共著に『学び・未来・NGO NGOに携わるとは何か』(新評論)など。