「フィールドノート」を読む(鶴見良行私論)

「そもそも始まりは、エビ研究会の仲間たちと南スウェラシの海辺で見た夢である」
 
(鶴見良行「アラフラ海航海記」冒頭部分より/『あるくみるきく』262号所収)
『アラフラ海航海記』(徳間書店、1991)の元となった鶴見良行の航海日誌は、先に月刊誌『あるくみるきく262号』(日本観光文化研究所、1988年11月)に「特集アラフラ海航海記」として掲載されている。担当編集者のひとり榊原貴士は、編集後記に次のようにしるしている。
「私の前に、『ヌサンタラ航海記』と題した大判のノートが2冊ある。特集の著者、鶴見良行氏とその仲間たちによるインドネシア群島を巡る航海の旅(7月25日〜8月30日)の間、一日も休まず記録された航海日記である。編集資料にと手渡されたものである。それぞれ専門の異なる隊員が輪番で書いている為か、書式などは各自まちまちだが、様々な視点からの発見・疑問・行動の記録などが細かい字でびっしりと書かれている」
 参加者16人全員が交替で書いた航海記である。この記録の書籍化はなされていない。映像記録はDVDになっているが、関係者だけへの配布にとどまった。

 日本観光文化研究所所員で、月刊誌『あるくみるきく』の編集長であった森本孝はこのアラフラ海(ヌサンタラ)航海に参加している。発行元の日本観光文化研究所は、翌1989年に閉鎖されるのだが、森本はその最後の編集長であった。『あるくみるきく』への掲載は、森本と良行のあいだで、航海前から掲載が合意されていたと思われる。良行は公開を前提に旅日記を書いている。
『あるくみるきく262号』はB5判56ページ。定価250円。発行主体の日本観光文化研究所は、民俗学者・宮本常一(1907−1981)が近畿日本ツーリストに請われて1966年に創設した研究所である。近畿日本ツーリストの社内組織として、農山漁村の生活文化や旅の文化を記録・研究し、月刊誌や出版物を刊行してきた。
 しかし東京・神田にあったその団体は、今はない。研究所の閉鎖は、前述したとおり1989年、昭和の終わりとともに閉鎖に至った(参考:森本孝『舟と港のある風景』農文協、2006、「神田練塀町七三─まえがきにかえて」)。

 森本孝について、鶴見良行『アラフラ海航海記』(1991)の「はじめに」で「1945年生。日本では数少ない和船研究者」と紹介している。
 森本は、大分県生まれ。進学した立命館大学では探検部に所属した。そして、日本各地の辺境を訪ね歩いた。卒業後、創設間もない日本観光文化研究所に入所。研究所時代の森本が『あるくみるきく』誌上に書き溜めた記事をとり纏めた一冊がある。『舟と港のある風景 日本の漁村・あるくみるきく』(農文協、2006)である。研究所閉鎖後の平成元年からは、森本は途上国の零細漁村を巡り歩くようになった。振興計画作成のための仕事としての旅歩きである。そのほか、国立水産大学校の教員や周防大島文化交流センター「宮本常一記念館」参与なども務めてきた。宮本常一に直接師事し、良行と共に学んだのが、森本孝であった。

 前述したように1988年のアラフラ海への航海に森本孝も参加している。しかし、その時が森本と良行の旅行の最初ではない。アラフラ海航海の1年前の87年8月、森本は良行らとインドネシア・ブトン島へ出かけている。スラウェシ島の南東にある鍛冶屋諸島のひとつ、一番大きな島がブトン島である。戦前にブトン島の白蝶貝養殖場でダイバーとして働いていた中村茂さんをこの旅に連れだしたのが森本である。スラウェシ島からブトン島へは飛行機で移動した。この旅の様子を同行した福家洋介(ジャワ村落研究者、1951-)が次のように書いている。

「中村さんは旅の当時80歳、他の方たちも70歳を過ぎていた。日記で鶴見さんは中村さんたちを「老人たち」と言っているが、その体力や適応力は現代の若者たちよりも数段優っていたように思う。私はエビ研の旅行で60歳に近い鶴見さんの元気さに驚いていたが、老人たちの元気さにはさらにびっくりした。最近、ひ弱な大学生のインドネシア現地研修に付き合っているが、一体どちらが「老人」なのかわからなくなる」(鶴見良行著作集12、p.86、福家洋介「
章へのノート 同行/注釈者による前書き」)

 戦前のブトン島で白蝶貝の養殖事業に従事した中村茂さんと良行の出会いは、偶然で劇的だった。良行が講演でブトン島の話をしていた会場から、「その島で私は働いていた」と名乗り出たのが中村茂さんだった。中村さんを知り、良行と森本は早速、中村さんへの聞き書きをはじめた。そして福家洋介が協力して出来上がったのが、聞き書きノート、中村茂・語り「白蝶貝の海に潜る ブトン島真珠養殖紀」である。『あるくみるきく237号』(1986年11月)に掲載された。

 共著、共編著の多い森本だが、代表作は前出の『舟と港のある風景 日本の漁村・あるくみるきく』となるだろう。
 この本の題名は、良行とも関連する。「舟と港のある風景」は、良行が出版予定だった本の題名として既にあった。良行の死後、その書名を森本が受け継いで出版に至った。
「鶴見さんはある出版社と、自分の歩いて見てきた船や港の物語を書く約束をしていたという。書名も『舟と港のある風景』と決まっていた。しかしその約束を果たせぬままに、鶴見さんは遠い世界へ旅立ってしまった。この本を纏めるにあたって、郷(筆者註:郷雅之氏、鶴見良行著作集の編集者)さんからその「舟と港のある風景」を、本書の題名としていただいたらどうかと提案があった。そしてご夫人の鶴見千代子さんにお願いしてご承諾を得る労を執ってくれた」(森本孝『舟と港のある風景』「あとがき」)

 鶴見良行が生きていたら、森本の著作のオビに推薦文を書いたことだろう。代わって本書の帯文は、宮本常一に関心の深かった佐野眞一が帯文を書いている。
「これは、民俗学者・宮本常一が主宰した伝説の雑誌「あるくみるきく」の常連執筆者だった若き日の森本孝による珠玉のエッセイ集である。森本は高度経済成長が本格的な軌道に入る直前の日本の漁村を、下北半島から沖縄の糸満まで歩き、見て、聞いた風景を抱きしめるように書きとめた。どのページからも潮風の懐かしい匂いと、われわれが忘れてしまったかけがえのなさが痛切に伝わってくる。(以下略)」

 もうひとり、推薦文を寄せている。赤坂憲雄(1953-)である。東北学を提唱した民俗学者として知られる。
「(前略)漁船と業具の収集のための旅。こまやかな眼差しが、小さき者たちの豊穣なる世界をとらえた。多様な海の暮らしと生業。多様なルーツや歴史を抱いて、移動をくりかえす海の民。丸木舟による磯漁も、家舟の暮らしも、記憶のかたなに遠ざかる。痛ましき忘却を越えて、未来へとささやかな希望が託される。やがて、これは伝説の書へと成り上がる」

『舟と港のある風景』は20年後、30年後にも熱心な読者に出会うことになるだろう。なぜなら、その本には今はなき昭和の漁村の風景が丁寧に描かれているからだ。日本の漁村は小規模化していくが、無くなることはないだろう。そして、漁村に関心をもつ読者や研究者が消えてしまうこともない。

『あるくみるきく』262号
『あるくみるきく』262号
近畿日本ツーリスト(株)
日本観光文化研究所
1988年11月


『ヌサンタラ航海の記録』
DVD、Part1 Part2
撮影・中島大
制作・鶴見良行文庫委員会
海工房・2005年

森本孝『舟と港のある風景』
『舟と港のある風景』
日本の漁村・あるくみるきく
森本孝 著
農産漁村文化協会・2006年
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■庄野護(しょうの・まもる)
1950年徳島生まれ。中央大学中退。学生時代よりアジア各地への放浪と定住を繰り返す。1980年代前半よりバングラデシュやネパールでNGO活動に従事。1989年から96年までODA、NGOボランティアとしてスリランカの都市開発事業に関わる。帰国後、四国学院大学非常勤講師を経て、日本福祉大学大学院博士課程単位取得。パプアニューギニア、ケニアでのJICA専門家を経て、ラオス国立大学教授として現地に2年間赴任。『スリランカ学の冒険』で第13回ヨゼフ・ロゲンドルフ賞を受賞(初版)。『国際協力のフィールドワーク』(南船北馬舎)所収の論文「住民参加のスラム開発スリランカのケーススタディ」で財団法人国際協力推進協会の第19回国際協力学術奨励論文一席に入選。ほか著作として『パプアニューギニア断章』(南船北馬舎)、共著に『学び・未来・NGO NGOに携わるとは何か』(新評論)など。