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大林太良『海の道 海の民』(小学館、1996)は、大林太良と鶴見良行の交流が反映された著作といえよう。文化人類学者・大林太良(1929-2001、東京大学名誉教授)は日本と日本周辺の海民を研究してきた。山民と海人の交流が研究テーマの一つであった。山民と海人は、宗教や価値観に共通性があり、ひとつの集団として捉えることができる。大林(たち)の研究成果が分かりやすくまとめられたものに、日本民俗文化大系5『山民と海人─非平地民の生活と伝承』(小学館、1983)がある。 それを読むと大林と良行の海人研究は意外なほど重なりあっていることが分かる。日本の海人文化を研究した大林は、フィールドワークを重ねて、山民と海人の相互関係を明らかにしてきた。大林の海人研究はアジア大陸沿岸や島嶼部にも及んでいる。 「スラウェシ〈セレベス〉の沿岸ブギス、マカッサルのパシシル文化と内陸の未開農耕民トラジャ族との関係」について、その共通性と相違についての分析がある。(大林太良「海と山に生きる人々 その生態・生業と文化」、前出『山民と海人─非平地民の生活と伝承』所収) 前述の「パシシル文化」とは、インドネシア、マレーシアの沿岸部で14世紀から18世紀にかけて発達した香料貿易をめぐる沿岸文化(沿岸=Pasisir、パシシル)のことである。パシシル文化は、イスラム教と共に広がり、共通文化として沿岸部で発展した。いっぽうで、同じ島の後背地で大きな文化的相違を生んだ。そこに日本と東南アジア島嶼部の、山民と海人文化の違いがある。その違いの理由を探ることが、大林と良行の共通の課題でもあった。ブギス族とトラジャ族をめぐる関係の研究については、大林が良行に先行していた。 『ナマコの眼』に、大林論文からの引用がある。神事と結びついた日本のナマコ文化について論じた箇所である。 「庶民の日常の食生活よりも、むしろ支配者層が、その活動の重要な部分としていた宴会と神祀りに海産物、たとえばアワビなどを必要としたことである。……宴会は人間と人間の関係を軌道にのせるためのものであり、神饌は人間とカミとの関係を正常に保つためのものである。古代の支配者たちのマツリゴトは、魚介類の安定した供給を必要としたのである(大林太良編『海人の伝統 漁民の経済と文化』/『古代の日本』8巻、中央公論社、1987) 大林太良は、日本国内の海人研究を重ねた後に、東南アジア島嶼部の海人(海民)の研究に向かった。晩年の大林は、パプア・ニューギニアやインドネシアの島嶼部をフィールドワークした。ナマコ語(メラネシア・ピジン語)を駆使してメラネシアを調査した。その話を私は大林の調査旅行に同行した大学院生から聞いたことがある。2001年に大林は72歳で亡くなった。 大林は、良行と出会う前から網野善彦との共同研究を重ねていた。研究テーマは、日本における非平地民(非農民)の研究である。非平地民とは、山民と海人(海民)である。移動民を研究していた網野は、『日本中世の民衆像 平民と職人』(岩波新書、1980)を書いた。そこに至る網野の研究を支援したのが、当時東大教授であった大林である。 良行は、東南アジア島嶼部のナマコ研究と日本のナマコ研究を並行して進めていた。ナマコ研究で参考にしたのが、大林や網野の海人(海民)研究であった。東南アジアの海民については、18世紀以降の記録しかない。しかし、日本の海人研究には、独自の研究蓄積がある。「古事記」(712)、「日本書紀」(720)、「続日本書紀」(797)などにも海人についての文書記録が残る。室町時代、江戸時代の文献にも記録が多数ある。その延長に明治以降、民俗学が発展した。柳田国男『海南小記』が生まれ、宮本常一『海に生きる人びと』(未来社、1964)などが続く。沖縄研究での海人(うみんちゅ)研究も豊富にある。沖縄・琉球での海人と本土での海人の違いに注目した研究も多い。沖縄の海人研究は、日本本土の海人の歴史を内側から相対化している。鶴見アジア学は東南アジアからの視点で、外側から日本文化を相対化した。その意味で沖縄の海人研究は、『ナマコの眼』における東南アジアの海人研究と対を成している。 日本文化の相対化という視点で書かれたのが、文庫本『ナマコの眼』(ちくま学芸文庫、1993)の鹿野政直による「解説」である。鹿野政直(1931-、早稲田大学名誉教授、沖縄史研究者)には、『沖縄の淵 伊波普猷とその時代』(岩波現代文庫、2018)などの著作がある。鹿野は、沖縄研究によって日本を内側から相対化してきた沖縄学の先駆者たちを研究してきた。その鹿野が文庫本『ナマコの眼』の「解説」に書いているのが、外側からの視点で日本を相対化してきた「鶴見アジア学」の方法である。 「こうした展開(鶴見良行の著作群=引用者註)の裏がわに一貫して息づくのは、自足的な日本像・日本論への批判である。『まとまる』ことが進歩だという観念、国家という単位でしか思考できない習性、西洋近代の学問の枠組に固執してきた心情、わたくしたちにまつわるそれらの意識を、著者(鶴見良行=引用者註)はいくらか悲しげに見やりながらこわそうとする」(『ナマコの眼』「あとがき」pp.558-559、ちくま学芸文庫、1993) 鹿野政直によるこの「解説」は、沖縄史研究者の視点から見た鶴見良行論となっている。 |
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