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| 『著作集3』最終章Ⅳには、鶴見良行による、次の書評6編が収録されている。 (1)竹内好編『アジア学の展開のために』(創樹社、1975) (2)吉野源三郎『同時代のこと ヴェトナム戦争を忘れるな』(岩波新書、1974) (3)「フィリピン双書」勁草書房(1976−) 書評タイトルは、「例外者の努力『フィリピン双書』について」 (4)アンワール・アブデルマレク『民族と革命』『社会の弁証法』(共に岩波書店、1977) (5)高橋悠治『たたかう音楽』(晶文社、1978)、『ロベルト・シューマン』(青土社、1978) (6)田中克彦『言語からみた民族と国家』(岩波現代選書、1978 /岩波現代文庫、2001) どれも読み応えのある書評である。竹内好編『アジア学の展開のために』は、良行のアジア学の出発点を確認できる。戦争の時代を生きた編者の竹内好(1910−77)が最後に残した言葉がある。 「次の戦争で日本人は、どのような負け方をすべきか?」 竹内好は、そのように問うた。この問いは、良行の心に深く残った。 書評6編の著者のなかで、良行が長期にわたって交流したのが、吉野源三郎(岩波書店編集者、児童文学者、1899-1981)である。吉野は、2023年に宮崎駿監督によって映画化された『君たちはどう生きるか』の原作者でもある。 『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)の初版は1937年だ。7月には日中戦争がはじまっている。41年には米国との太平洋戦争が起きた。戦争に向かう時代、吉野は「君たちはどう生きるか」と若者たちに問うた。この本は戦後になっても読者を得てきた。21世紀の現在も世代を越えて読まれている。 吉野の問いは、「次の戦争でどのような敗戦をすべきか?」を問うた竹内好の言葉とも繋がる。 吉野源三郎は岩波書店の月刊誌『世界』初代編集長として雑誌『世界』を育て上げた。岩波少年文庫の創設にも尽力した。良行が吉野に最初に評価された本が、岩波新書『1960年5月19日』(1960)である。日高六郎編著で出版された新書であるが、編纂作業の実務は良行が担当した。Ⅳ章「ハガティ事件とアイク招待中止」は、鶴見良行・日高六郎の共著論文として掲載されている(参照=「あとがき」p.250)。主たる筆者は良行である。 吉野源三郎『同時代のこと ヴェトナム戦争を忘れるな』(岩波新書、1974)には、ヴェトナム解放戦線兵士の処刑の様子を書いた箇所がある(p.103)。良行が1965年の1週間の南ベトナム滞在で目撃した解放戦線兵士の公開処刑の様子(「ベトナムからの手紙 ある編集者へ」『著作集1』収録)が綴られている。 「捕らえられてサイゴンの朝市で銃殺される解放戦線の年若い兵士の姿と顔とを、かつてテレビが紹介していた。刑の執行を前にして泣き出したとしてもおかしくない年頃の、まだ子どもらしさを残しているその少年兵は、怯えることなく、静かに冷然と銃口を正視して立っていた。命まで奪っても、なお、奪うことのできないものがそこにあった。」(p.103、初出は「ヴェトナム戦争を忘れるな」、雑誌『世界』1971年11月号) 良行の体験を吉野が文章にした、といえるかもしれない。 吉野が雑誌『世界』(1971年11月号)に書いた「ベトナム戦争を忘れるな」は、同誌の1965年12月号の鶴見良行「アメリカに観るベトナム戦争」(『著作集1』収録)と対応する。 良行は1965年に本格的なベトナム戦争反対論を書き、吉野はベトナム戦争が終わりに近づいた1971年に、ベトナム戦争を総括する論文を書いた。未来へ向けての論文であった。 『同時代のこと ヴェトナム戦争を忘れるな』は、良行の『反権力の思想と行動』(盛田書店、1970)(『著作集2』収録)と呼応している。 ふたりの交流は、酒を酌み交わすような付き合いではなく、互いの論考を学びあうものだった。 吉野の『同時代のこと』への書評に、ベトナム戦争について良行は次のように述べている。 「ベトナム戦争は、世界の大国が不幸な偶然からある日計算まちがいを犯して始まった戦争ではなかった。コンピューターを駆使し、最高の人知を集め、最新鋭の武器を惜しみなく投入して、しかもアメリカは、この戦争に勝てなかった。 (中略) どうしてそのようなことが起こったのか。答えは簡単である。資本主義諸国の内部矛盾が激化し、それまで植民地主義のもとで搾取と抑圧に苦しめられてきた第三世界の人民が、自分の手で歴史を創り始めたからである。」(『著作集3』p.383) 書評6篇のうち、この書評が最も先に書かれている。初出雑誌の発刊日から推定すると執筆は、1974年の11月頃と思われる。「ベ平連」(ベトナムに平和を市民連合)は、同年1月に解散している。6月には、アジアから知識人を招いての「アジア文化交流金沢会議」が開かれた。この1974年は、良行がアジア学に向かう転期の年だった。ベトナム反戦運動とアジア学は、良行にとって連続していた。 1971年からのアジア勉強会は、共同研究『バナナと日本人』(1982)、『エビと日本人』(著者・村井吉敬、1988)へ繋がった。運動としてのアジア学の成果であった。 (註=ベトナムとヴェトナムが混在するが、書籍名にヴェトナムを用いたものについてはヴェトナムと表記した) |
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