鶴見良行私論第2部「炉辺追憶」庄野護

 ◎アヘンの耳(4)

 エッセイ「阿片の匂い」(初出1978)から『マラッカ物語』(1981)にいたる期間にアヘン研究の深まりを感じさせる文章がある。
「パドリ戦争の第五の性格は、アヘン戦争である。パドリたちはしばしば酒、タバコ、アヘンにたいする節制を説いた」(「スマトラ燃ゆ・アッラーのみ名のもとに」/『使者』第10号所収、小学館、1981)
『マラッカ物語』の副産物として書いた「アッラーのみ名のもとに」で、地方反乱とアヘン問題の関連に書かれた箇所だ。

(編集部注)*パドリ戦争
 1821-37年にスマトラ島(オランダ領インドネシア)で起こった、
 改革派イスラム教徒(パドリ派)を中心とした反オランダ武装闘争。


 同じような箇所について、『アジアはなぜ貧しいか』(朝日新聞社、1982)で次のように書かれる。
「パドリ戦争の第五の性格はアヘン戦争です。酔わせるものをすべて『コーラン』は禁じています。だからパドリたちはアヘン、酒、タバコをののしるのですが、この課題に固執してはいません。接近した最後の塹壕戦で両軍はタバコを交換したりしています」(p.138)

 アヘンにこだわらなかったのはパドリだけではない。それに習い、良行もまたアヘンだけにこだわらない眼で「もうひとつのアヘン戦争」について、記述しようとしていたのかもしれない。

 マレー半島とマラッカ海峡に焦点を合わせた『マラッカ物語』にたいして、翌年(1982)刊行された『アジアはなぜ貧しいのか』は、マレーシア、インドネシア、フィリピンを扱っている。しかし、3国を扱いながら焦点を当てているのは、セランゴール(マレーシア)、スマトラ(インドネシア)、ミンダナオ(フィリピン)の3カ所の地方史である。
「新たな視野」(『アジアはなぜ貧しいか』の本のオビに用いられた言葉)との謳いで、地方史を記述することで東南アジアの現代の「南北問題」を語るという方法がとられている。

 アヘンについて『マラッカ物語』では、1875年から1897年にかけての米、アヘン、タバコ、油の物価比較を示した図表「ペラク鉱山の物価高」(p.254)が参考文献から引用されている。分かりづらい図表だが、翌年の『アジアはなぜ貧しいのか』になると一目瞭然の統計が示されている。表1「海峡植民地の税収(1864)」と表2「シンガポールのアヘン輸出(1895)」である(P.37-38、右欄に引用・転載)

 税収のうちアヘンを含む専売権売上高が全体の72%にもなり、アヘン交易がイギリス植民地経営の中心的活動であったことが知れる(表1)。そして、インドから輸入されたアヘンはシンガポールから、インドネシア(36%)マラヤ(22%)、ホンコン(21%)、シャム(16%)へと輸出されていったことが図表で読み取れる。

 アヘンのからむ植民地経営の実態が見えてきたところで、植民地経営の内容について分かりやすい整理を提出している。「アヘン2」でも触れたが、再論する。
「植民地経営の財源と富の蓄積には三つのやり方があります。第一が交易の独占で、一八世紀までの東南アジアでは、これが支配的な形式です。第二がプランテーション農業やオランダの強制栽培のような労働の収奪です。第三がアヘン、酒、豚肉、質屋などの専売権、営業権の競争入札による下請けで間接税を徴収する仕組みです」(『アジアはなぜ貧しいのか』p.37.)
 大変わかりやすい内容である。しかし、「アヘンの営業権の競争入札」とは? を知ろうとすると、そう容易ではないことに気づく。

鶴見良行『アジアはなぜ貧しいか』
『アジアはなぜ貧しいか』
鶴見良行 著
朝日新聞社・1982年




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