鶴見良行私論第2部「炉辺追憶」庄野護

 ◎アヘンの耳(1)

 龍谷大学で学部時代から修士課程を通して鶴見良行の学生だった赤嶺綾子は、『思想の科学』に寄稿した追悼文のなかで鶴見良行の口ぐせを次のように紹介している。
「ガンを患ってからは、『僕、いつまで歩けるか解らないでしょう? 歩けなくなったら書斎を穴蔵にして、文献に埋もれながら阿片のことを書くんだ』と楽しそうにおっしゃっていた」
 これが「アヘン」研究に関心を寄せていた鶴見良行の「最後の言葉」を伝える文章である。
(赤嶺綾子「鶴見良行先生の授業風景」/『思想の科学』1995年9月号、特集歩く学者たち、p.89-90)

「ね、匂わない……」

「何が……」

「阿片さ、だれか吸っている」

 エッセイ「阿片の匂い」の書き出し部分。このエッセイが、「アヘン」が記述される最初の文章となる。ペナンの裏通りでのカンボジアのKとの会話である。このとき鶴見良行は、阿片の焦げる甘酸っぱい匂いをはじめて体験した。同行者については、Kと記されたこと以外に詳しい記述はない。
(著作集3『アジアとの出会い』p.350、初出『世界』1978年11月号、『アジア人と日本人』晶文社、1980年には「アジア史の落穂ひろい」の3番目のエッセイとして収録されている)
 鶴見良行の文章は、普段、新聞記事風の淡々とした文章であるが、会話文を冒頭におくエッセイは、良行の書いた文章の中では異例のものだ。

 イギリスは植民地経営の手段として阿片を用いたが、「極端な場合は、錫鉱山の赤字を阿片売上によって黒字に転化させることさえあった」(前掲書)
 2ページ半の短いエッセイ「阿片の匂い」では、イギリス植民地経営と東南アジア史にふれたあと、「なぜ華人だけが阿片吸引者だったか」と疑問を投げかけている。この問いが、阿片について最初の問題意識となる。
 阿片(あるいは「アヘン」)についての著作は、鶴見良行の最晩年の仕事となるはずだった。文献の収集開始は1978年ごろからはじまる。文献から書き取ったカードも相当数たまっていた。1990年代には、新書版くらいなら書けるだけの研究蓄積はあったと思う。しかし、そのテーマから広がる世界の大きさと深さを知るほどに、後回しの仕事としてじっくりと取り組みたい気持ちになっていたと想像する。この項では『アヘンの耳』という、私の想像上の、鶴見良行の幻の著作をテーマにして以下しるしてゆく。


思想の科学 1995年9月
『思想の科学』NO.32
思想の科学社
1995年9月

アヘンの耳(1)(2)
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