鶴見良行私論第2部「炉辺追憶」庄野護

 ◎アヘンの耳(6)

『鶴見良行著作集』で確認される「アヘン」についての最後の記述は、「ナマコの眼」における「華人」の章(『著作集9』p.222)である。
 最初の記述を「アヘンの匂い」(『著作集3』「アジアとの出会い」p.350-351)とすれば、この11年間のあいだに書かれた著作のあちらこちらに「アヘン」についての記述は散在している。散在しているからといって良行が「アヘン」を軽く見ていたわけではない。

「アヘン」については「アヘン戦争」(1840)のイメージが定着し、「イギリス植民地主義→インドにおける栽培→アヘン戦争、という図式が定説化している」(『マラッカ物語』p.257.)。
 その図式に良行は異議をとなえた。「アヘン」は東南アジアを素通りして中国に向かったのではなく、東南アジアでもアヘン戦争があったと力説する。最初のまとまった記述となったものとして、『マラッカ物語』(1981)で「第七章 スズとアヘン」が書かれ、同章のなかに「アヘンの役割」(p.251)と「アヘン神話批判」(p.257)の2節が書かれた。

『マラッカ物語』に用いた参考文献を紹介するのなかで、最長の解説を加えているのが、R.Littleという19世紀半ばのシンガポールの開業医の書いた著書(“On the Habitual Use of Opium in Singapore”)で、「JSBAS,JMBRASと並んで、植民地研究者が必ず厄介になる」文献として注釈つきで紹介している。異例の力の入れようだが、文献名の紹介に続く次の文章に注目したい。

「アヘンは、その薬害によってだけでなく、列強の東南アジア進出に猛威を振るった。にもかかわらず、これを統一的に把握したアヘン史なる書物は存在しないようだ。最近、欧米の博士論文がいくつか発表されているが、まだ国ごとの政策史を出ない。これは、アヘン戦争神話が依然作用していると同時に、東南アジアの比較研究がいかに困難であるかを示している」(『マラッカ物語』p.424)

 いずれは自分の手で「アヘンの東南アジア史」を書きたいという気持ちは良行のなかにあっただろう。資料の収集やカードの作成は進んでいたと思う。そのことは、『マラッカ物語』以後の作品でも確認することができる。

『アジアはなぜ貧しいのか』(1982)では、「アヘンにみる植民地収奪の仕組み」(p.37)と「農民・宗教・アヘン戦争の性格も」(p.136)の2節がある。しかし、内容的には『マラッカ物語』と大差はない。書かれた時期と講演録が土台となった著作という性格にも関係している。

 仮想の本、鶴見良行「アヘン」の目次を作成しておく。

 鶴見良行著『アヘンの耳』
 【目次】
 はじめに(「阿片の匂い」(『アジア人と日本人』p.208-210)

 第一章 スズとアヘン(『マラッカ物語』「スズとアヘン」p.234-266)
      鉱山の発達
      華人労働者
      欧米資本と競争
      アヘンの役割
      アヘン神話批判
 補足 アヘンにみる植民地収奪の仕組み(『アジアはなぜ貧しいのか』p37-39)

 第二章 マルク圏のアヘン
(『海道の社会史』第2章「マルク圏」から第3節「小さな市と大きな市」、第4節「奴隷の値うち」を中心にアヘンに関する記述の再構成)
 補足『マングローブの沼地で』より「アヘン」(5ヶ所)と「アヘン戦争」(3ヶ所)が表れる部分の要約。

 第三章 遺された「カード」の内容整理(埼玉大学鶴見良行文庫所蔵)
 カードは文章として記されたものが多いので、そのまま並べても読める内容となる。

 あとがき
 (「バリ島観光」『アジアを知るために』p.138-153からアヘンにかんする記述の部分を引用)
 参考文献(『マラッカ物語』p.422-424掲載の16点の文献を元に補足。

                                     (おわり)

鶴見良行『ナマコの眼』
『ナマコの眼』
鶴見良行 著
ちくま学芸文庫
1993年

鶴見良行『マラッカ物語』
『マラッカ物語』
鶴見良行 著
時事通信社
1981年


『アジアはなぜ貧しいのか』
鶴見良行 著
朝日新聞出版
1982年

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