鶴見良行私論第2部「炉辺追憶」庄野護

 ◎アヘンの耳(2)

「なぜ華人だけが阿片吸引者だったか」(鶴見良行著作集3、p351)
 その最初の問いから3年後(1981年)、「アヘンを軸とした比較研究」(著作集4、p.334)を構想している。発表年では「3年後」だが、実際にはもっと短い期間であっただろう。
「アヘン=イギリスという世界史の神話があまり強固なために、アヘンを軸とした比較研究は私の知るかぎりまだ書かれていない」(著作集4『収奪の構図』p.334、初出『アジアを知るために』「生産と消費文化」p.151-152、筑摩書房、1981年)

『アジアを知るために』(1981年)は、フィリピン・バターン半島における多国籍企業が活躍する保税加工区の研究が中心である。その研究も「まだ書かれていない」「まだ知られていない」という問題意識のもとに書かれている。全6章の『アジアを知るために』の第5章に表れるアヘンの歴史に関する記述は、全体のなかでは「考察」の章のなかで語られている。
 注目すべきなのは、中国・広東のアヘン戦争以前に、アヘンにかかわる戦争が東南アジア各地であったことを知り、アヘン研究の可能性を確信する良行の姿がうかがえることだ。

 バリ島がヒッピー天国となり半ば自由にマリワナ(大麻)が吸えるような観光地となったのは、バリの港がアヘンの取引港だったことと関係するのではないか?(著作集4、p.335)という仮説も生まれている。アヘンについての研究はだいぶ蓄積されていたが、アヘンを研究の中心テーマとすることは時期尚早と判断していたようだ。しかし、以後の著作の中で、アヘンについての中身の濃い研究がちりばめられている。

 アヘンの取引が植民地経営の主要な仕組みであったことを文献上の統計から実証した論文として、「アヘンにみる植民地収奪の仕組み」(『アジアはなぜ貧しいか』朝日新聞出版、1982年)がある。短いものだが、それまでのアヘン研究が要約されている。
「植民地経営の財源と富の蓄積には三つのやり方があります。」として、第一に交易の独占、第二がプランテーション、第三がアヘンなどからの間接税徴収の仕組みにあると、簡潔に整理している(前掲書、p.40)。
 しかし、良行は「アヘン」について深追いしていない。アヘンによる収奪にたちむかった華人苦力の反乱を詳述するという(禁欲した)記述スタイルをとっている。しかし、この「禁欲」が結果として、良行の記述のスタイルを確立することにもつながったのではないだろうか。奴隷取引とともに国家犯罪と絡む歴史素材のアヘンについて、巧妙に直接的言及をさけ、その周辺から歴史を記述するという手法が選択されている。

『アジアはなぜ貧しいのか』の下書きとなったのは、1981年秋の東京・朝日カルチャーセンターでの9回の講義「比較南北史学の試み」である。あとがきには、「私は構想だけを生かして、講演のおこしをまったく捨てて新たに執筆しました」とある。「です・ます調」で書かれた著作だが、その内容は難しい。

 ところで、『アジアを知るために』では「アヘンを軸とした比較研究」(p.152)と注釈のなかで書かれた「比較研究」が、『アジアはなぜ貧しいのか』においては「比較南北史学の試み」(p.278)として書名のサブタイトルに近い場所まで浮上してきている。「比較研究」が「比較南北史学」となり、さらに「比較南北史学」において
は「比較東西史学」も意識されていたことだろう。その証拠となるのが、『海道の社会史』(1987年、p.4およびp.107)のスケールの大きな図表である。世界史のなかで東南アジア島嶼部を見直す試みが、図表として示されたものだ。これについては後述する。


『アジアを知るために』
鶴見良行 著
筑摩書房・1981年



『アジアはなぜ貧しいか』
鶴見良行 著
朝日新聞出版・1982年

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