旧著探訪(5)

 新村スケッチブック 
ソウルの学生街から ■日高由仁・新宿書房・1989年■

 【前口上】「拉致」が白日の下にさらされて以来、韓国・朝鮮をめぐる出版物が目白押しである。朝鮮半島をめぐる情報の氾濫は、かつて1988年のソウル・オリンピック以来の盛り上がりではないだろうか。
 むかし読んだ本をぺらぺらめくってみた。北朝鮮関係では内幕モノの嚆矢ともいえるであろう『凍土の共和国』(金元祚著・亜紀書房・1984年)。これは衝撃的な一冊でした。韓国関係では関川夏央氏の『ソウルの練習問題』(情報センター・1984年)がそれ以前の韓国モノとはひと味違ったアプローチで新鮮だった。なつかしい。以降、パルパルのオリンピックを契機に、大量のガイド風書籍が刊行され、さらには日本の若い女性向けにエステやファッション情報などもカバーするようになってすでに久しい。『凍土』の系統をくむ北朝鮮の内情をルポした出版は今日的課題でより加速され、いっぽう韓国ナショナリズムの解読や、日韓の史観をめぐる論争モノ、文化比較をテーマにした侃々諤々モノも相変わらずさかんだ。
 そして過日『「世界」とはいやなものである』(関川夏央著・日本放送出版協会・2003年)を読んだ。朝鮮半島ウオッチャーである著者の、ここ10年ほどのあいだに発表された評論をまとめたもの。『練習問題』から始まって『海峡を越えたホームラン』『東京からきたナグネ』などの一連の80年代作品は未来に対して楽観と期待があったのだが、このたびの内容はまことに陰鬱で、未来は悲観され、タイトルどおり「いやなものである」ことを確認させられた。20年の歳月に感慨をもつ。
 その「いやな」感じを取っ払ってくれるような本はないものかとごそごそ探し出した一冊、お口直しにというわけで『新村スケッチブック』を十数年ぶりに読みなおした。
 1981年から87年にかけて、延世(ヨンセ)大学に留学していた日本人女性の韓国滞在記である。韓国と書いたが、タイトルにあるように「新村(シンチョン)」滞在記だ。
「新村」とは延世大正門から地下鉄の駅までのおよそ500メートルのメインストリートを中心にして密集する店舗群一帯。その新村の下宿屋と大学を舞台に繰り広げられる記録であるから、たかだか数百メートル半径に絞られたスケッチである。範囲が狭いぶん、密度が高い。
 学生気質から市場のおばちゃん気質に大学先生気質、銭湯の作法に、魚の買い方、安酒の飲み方、男と女…、まさに一学生の生活感覚から新村周辺の人々の暮らしぶりや考え方がうかがえて楽しい。なによりも著者自身の、一日一日が楽しくて楽しくてしようがない気持ちが文章に横溢している。ああ、もう一度学生に戻って、このような時間を過ごしてみたい!
 学生の生活は毎日がお祭り騒ぎなのだが、当時の韓国は81年にオリンピックの開催地としてソウルが決定され、82年は日本の教科書問題、83年はミグ21の亡命騒ぎに、大韓航空機爆破事件、さらにはラングーンでの爆破テロ、84年は学生による民主化デモの激化、86年には中国空軍の亡命に、金浦空港爆破テロ…、87年には革命前夜ともいえる民主化要求闘争、そして一気に政府の方向転換、と激動の現代史でもあった。
 合い言葉は「過渡期だから」。どのような不条理があっても、それは途上国から先進国への脱皮過程の「過渡期」であるからして大目に見てねというのが韓国人の統一見解だった。
 ついこのあいだ買った電気ポットが壊れても、テレビが突然映らなくなっても、文句を言ってはいけない。それは我が儘というもの。輸出品は国の信用を確立しなくてはいけないので厳重な検査を実施しているが、国内向けは適度に壊れないと需要がのびない。つまりは国が豊かになるまでの「過渡期」だから文句を言ってはいけないのだ。オリンピック前の露店の強制撤去は市街美化の観点から「過渡期の必然」という見解だった。
「過渡期」ゆえのエネルギーに溢れていて、それが明るくて希望にあふれる未来を確信させてくれていた。
(か)2003.9.28
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