旧著探訪 (38)

『世にも奇妙なマラソン大会』■高野秀行 著/集英社文庫/2014年■
『サハラの歳月』      ■三毛(サンマウ)著/妹尾加代 訳/石風社/2019年■ 
世にも奇妙なマラソン大会

サハラの歳月
 第5回イスラーム映画祭(2020年)の上映作品のひとつ、西サハラを舞台にしたドキュメンタリー映画「銃か、落書きか」(スペイン、2016)を観た。
 19世紀末から20世紀初頭にかけて欧州列強はアフリカ地域を恣意的に分割し植民地化した。「アフリカ分割」といわれるものだ。その結果、西サハラ地域はスペイン領となった。そのスペイン本国で長期にわたって独裁体制を敷いてきたフランコ総統の病状悪化が伝えられると、スペイン恐るるに足らずとばかりにモロッコは35万人の自国民を西サハラへ一気に越境・入植させて、瞬く間に実効支配を確立してしまう。1975年のことだ。以来、西サハラはモロッコに不法占拠されたままの状態が続いている。アフリカ最後の植民地である。
 映画は、もともと西サハラの地に住むサハラウィと呼ばれる原住民たちによるモロッコ政府への抵抗運動の記録である。反モロッコをアピールする、サハラウィたちの集会やデモをモロッコの官憲(私服)が暴力的に取り締まっているシーンがいくつも流される。街のならず者による暴力沙汰かと見紛うばかりの荒っぽさである。すべて隠し撮りされたものだ。
 映画タイトルの「銃か、落書きか」は「武装闘争か、非暴力闘争(メッセージの発信)か」を意味している。1991年国連の仲介によって西サハラの民族自治権を認める和平案が採択されて、サハラウィたちは武装闘争を停止した。以降、銃や火器による戦闘はない。独立か、あるいはモロッコへの帰属かを決める住民投票の実施がそのとき約束されたのだが、投票権を持つ「住民」の定義をめぐって西サハラ側とモロッコ側の合意が見られず、なんの進展もないまますでに30年近くの時が流れてしまっている。いまのところ「非暴力(落書き)」の戦法をとっているが、独立へのわずかな展望さえ見いだせずいたずらに時間だけが過ぎていくこの現状に、若者たちのあいだでは、武装闘争(銃)への転換を望む声が日ごとに大きくなっていると映画は伝えている。
 2002年までインターネットはもちろん、国際電話さえなかったといわれる。サハラウィたちの抵抗運動は国外にほとんど知られないままであった。モロッコの徹底した監視と統制によるものであろうが、皮肉なことに「非暴力」ゆえにニュースとして取り上げられてこなかったことも一因であろう。いずれにせよ「西サハラ問題」はこれまで可視化されることはなかった。「忘れられた戦争」と呼ばれる所以である。
 最近でこそサハラウィたちはメディア班なるものを立ち上げてモロッコによる弾圧の実態をインターネットを使って積極的に発信している。抑圧された自分たちの存在や主張を映像で世界に訴える。この映画作品もそうした流れのなかで成立しえたのだろう。

 さて、わたしがそもそも「西サハラ問題」のことを知ったのは、高野秀行『世にも奇妙なマラソン大会』(集英社文庫・2014年)という一冊からだ。著者が深夜インターネットでたまたま見つけた「サハラ・マラソン大会」の案内ページ。ほろ酔い気分のままマラソンの経験なんてほとんどないにもかかわらずワン・クリックでエントリーしてしまう。「サハラでマラソン」に即座に反応できる人物はおそらく著者以外にはそうそういないと思う。主催者からは「費用は850ユーロ。マドリッド空港第4ターミナルに19日午後9時集合」とだけを伝えるおおざっぱなメールがあって、ともあれサハラ砂漠を目指して物語は始まるのだ。
 マラソンが実施されるのはアルジェリア国内。アルジェリアは唯一西サハラを支援している国である。西サハラの亡命政府(サハラ・アラブ民主共和国)もアルジェリア内にある。そのアルジェリア西端の国境近くに西サハラから逃れてきたサハラウィたちが住む難民キャンプがある。その難民たちがホストファミリーとなって、外国からのランナーたちの世話を焼く。マラソン大会への参加者は、外国人が500人以上、サハラウィが400人以上、アルジェリア人が80人以上ということらしいが、誰も正確な数字はわからない。主催は市民ボランティアの団体である。モロッコが占拠している西サハラ地域の窮状や、住民に対する人権侵害の実情をマラソン大会を通じて国際社会にアピールしていくことを目的とした活動であるが、どこか牧歌的でユーモラスな印象を受けてしまう。
 ……足は痙攣し、よろめきながら走っては歩き、歩いては走る。やっとたどり着いた給水所で若いサハラウィの女の子たちから声援を受ける。それが元気の素となって、初めてのフルマラソンなのに完走してしまう……。
そして著者は気づくのだった。
「頑張っている西サハラの人たちを応援しているつもりだったが、(略)私たち外国人がへろへろになり、西サハラ人が支援ボランティアに回っているのだ」。知らない間に立場は逆転して、書名どおり「世にも奇妙」なマラソン大会なのであった。
 著者ならではのエンタメ的サービス精神たっぷりの短編であるが、「西サハラ」問題が簡潔にわかりやすく解説されていて知らず知らずのうちにその社会・歴史が学べてしまう。これまた高野作品の魅力である。

 もう一冊。台湾の三毛(サンマウ)という女性作家による『サハラの歳月』(石風社、2019年)という作品にもふれておきたい。砂漠に魅せられた三毛が、スペイン人の夫とともに暮らした西サハラの生活記である。1975年以前のスペイン領西サハラを舞台にした作品群が本書前半部の「サハラの物語」である。14本の短編が収められている。原題は「撒哈拉的故事」。
 結婚したばかりの三毛と夫ホセは「墓場区」と地元で呼ばれる、原住民サハラウィが住むディープなエリアに家を借り、隣人たちからは「アイロン、貸して」「電球、貸して」「玉ねぎ、ちょうだい」「マッチ、貸して」と……傍若無人な客人に振り回されながらも親しく交わっていく。すこしでも渋ったりすると「あんたは私を拒絶して、私の誇りを傷つけたのよ」。サハラウィは誇り高き人々なのだ。毎日が振幅のはげしい喜怒哀楽のただ中で、輝かんばかりの命の躍動にあふれ、こちらまで青春の一コマに投げ込まれたような楽しい気分になってくる。
 ところが1975年をさかいに「砂漠の光と熱」と著者自らが称した前半部の物語から「砂漠の影と涙」と形容する悲痛な物語へと暗転する。「哀哭のラクダ」という後半部に収められている作品群だ。原題は「哭泣的駱駝」。
 スペインの勢いも風前の灯となって撤退がささやかれるようになってきた。国連の査察団がやって来てからは、民族自決のかけ声が澎湃として日ごとに大きくなってくる。武装闘争を目指すゲリラ活動も活発化してくる。「スペインを追い出せ」「独立万歳!」。駐留スペイン軍の兵士が殺されたり、時限爆弾が仕掛けられたり、不穏な空気が街中にみなぎっている。戦車があちらこちらに入り込み、夜間には戒厳令が敷かれた。その混乱に乗じて北からはモロッコの脅威がいよいよ現実化してくる。風雲急を告げるのだった。
「モロッコ国王ハッサンは、志願兵を募集した。明日より、スペイン領サハラに向かって平和行進を開始する」。テレビのアナウンサーの沈痛な声が流れると、状況は一変した。
 スペイン政府は、マイク放送で自国の婦人と児童の国外退去を呼びかけた。だれもが空港へと急いだ。航空会社のオフィスは外国人でごった返し、街はもぬけの殻となった。
 いっぽうサハラウィのあいだでは、早々にモロッコの国旗を掲げてモロッコ側に媚びを売ろうとする輩、モロッコ軍に戦いを挑もうとゲリラに入隊する者……、これまでの隣人同士が敵味方となって疑心暗鬼が吹き荒れる。そんなとき、三毛たち夫婦が親しくつきあってきた砂漠の一族にあまりに惨い悲劇が起こる。混乱に乗じて民衆裁判にかこつけて私怨を晴らそうとするごろつきに、かけがえのない親友が衆人環視のなか公然となぶり殺されるのだった……。物語は、三毛の声にならない、天を切り裂かんばかりの悲鳴の中で終わる。
 これらの作品群は、台湾はもちろん、香港、大陸中国、東南アジアの中国人社会などで熱狂的な支持を得た。西サハラのサハラウィの暮らしや社会を知るうえで貴重な民族誌になっているし、スペイン領からモロッコ支配への移行期の、激動する社会が活写され、今にいたる「西サハラ問題」前夜を扱った歴史的な記録にもなっている。
 ところで、映画「銃か、落書きか」の上映会場に本書『サハラの歳月』の訳者である妹尾加代氏が観客のひとりとしてお見えになっていた。映画祭の主催者から簡単な紹介がなされたが、すこし時間を取ってお話を聞く場を設けてもらえたらよかった。せっかくの機会だったのに残念。2020.10.13(か)
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