近著探訪(4)

 石斧と十字架 
パプアニューギニア・インボング年代記 ■塩田光喜著・彩流社・2006年■
 人類学者の書くエスノグラフィー(民族誌)を読んで「ああ、面白い」と思ったことがあまりない。学術世界の著述なので、観察・記述の正確さ、学問としての緻密さが徹底して問われる。リアリズムに徹し、著者の予断を排し、現地の一次データを提供する使命をもった著作ゆえに、学者でもない一般人には、よほどそのフィールドに知識や関心がないと、ちょっと取っつきが悪い。私はいつも途中で投げ出してしまう。
『死と病いの民族誌』(長島信弘・岩波書店・1987年)という本がある。これはアフリカを専門とする学者の手になるエスノグラフィー。ケニア西部のテソ族の呪術世界を調査したものだ。この本がきっかけで中島らも『ガダラの豚』(集英社文庫)が生まれた。これを知ったとき、感動した。まったくのアカデミズムの論文から壮大なエンターテイメントが紡ぎだされたことに「さすがに中島らもだ!」と唸ってしまったのだ。アフリカやあるいは呪術の専門家でもない私のような一般読者は、『ガダラの豚』を読んでから『死と病いの民族誌』にすすむというのがおそらく正しい読書であるだろう。げんに私はそうした。おかげで『死と病いの民族誌』も途中放棄せず最後まで読めたのだった(『ガダラの豚』の第3巻には当の人類学者、長島信弘氏との対談が収録されている)。
 さて、今回紹介する『石斧と十字架』は、パプアニューギニアをフィールドとする学者の、インボング族を調査したエスノグラフィーである。買うのに悩んだ。なんせ、A5判上製の500頁を超える大部な本、しかも税込4935円。これまでのエスノグラフィー読書体験からして、読み通せるだろうかという、費用対効果への危惧である。結論からいえば杞憂であった。
 それは、以前パプアニューギニア本を編集した経験から、彼の地について多少の予備知識があったこと。これがおそらくよかったのだろう。でなければ、なんの縁もゆかりもない土地の物語を楽しめるほどに酔狂ではない……。しかし、「パプアニューギニアって?」という彼の地に縁もゆかりもなく生きてきた人にも、この本は楽しめるのではないかという読後感をもった(だからここで紹介しているわけですね)。
 パプアニューギニアは20世紀半ばまで高地山岳地帯には石器時代そのままの暮らしがあった。本書に登場するインボング族もそうである。石器時代を生きる彼らのもとへ、突然に欧米から一発屋の山師や宣教師がやって来る。まさに未知との遭遇である。教会が出現し、コーヒー園や茶園が開拓され、真珠母貝の交換から貨幣経済へと突入していく。石器時代から現代まで、私たちが数千年以上の時間をかけてやってきたことを数十年で一気に体験してしまうのだ。石器時代に生きる人々の心性と行動、押し寄せる文明を併呑していくことから引き起こされる精神の変容……、興味は尽きない。著者がフィールドワークしたのは1980年代半ば。現代文明にいきなり接触した世代がまだ健在であった。そうした古老が語り部となって疾風怒濤の日々が回想される。
 著者自身が「はじめに」で断っているように、本書は「民族誌という枠組みを突き破った」手法で書かれている。現地に住み込んだ著者の日々のエピソードがエッセイ風に組み込まれ、著者の意図とは違うかもしれないが、この構成も一般読者にはありがたい配慮となった。
(か)2006.10.17
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