近著探訪(5)

 考古学・人類学・言語学との対話 
日本語はどこから来たのか
 
■大野晋・金関恕著・岩波書店・2006年■
「日本語はどこから来たのか」は諸説紛々、定説がない。だから、ちょうど邪馬台国論争のように、アカデミズムの世界だけでなく、一般の研究者がもの申すことができる分野になっている。在野の研究家の手になる「日本語の祖語はこれだ!」を宣言した数多くの出版物が流通している。私は一時この手の本にはまっていた。
 学問的に有力な説としてよく耳にするのは、アルタイ語族に日本語は属するというものだが、「だからモンゴルのお相撲さんは日本語がうまいんだ……」と素人考えを展開できるものの、まだまだ学問的には脆弱な枠組みでしかないようだ。
 アルタイ起源説や朝鮮語説などのように日本列島の北方に源流を求める説がある一方、南方系のオーストロネシア語族の影響を強く受けているとする説もある。文法的には前者が、音韻や語彙には後者が日本語と共通するところが多いという。
 さて、ここで登場いただくのは本書の著者、大野晋学習院大学名誉教授である。大野氏は、南方も南方、ずずーっとインドはドラヴィダ語族、そのタミル語に日本語との親密関係を主張した。語順の基本型はSOVなので日本語に共通する。よく似た単語も500以上にのぼるという。この「タミル語起源説」は週刊誌の記事にもなって目にされた人も多いだろう。祖語探しの火付け役となったともいえる。
 しかしながらこのタミル語起源説(のちにクレオール・タミル語説)は、比較言語学の専門家からは徹底的に黙殺されている。大野氏の専門が国文学ということから門外漢の手すさびというとらえ方なのだろうか。アカデミズムの偏狭さを感じて、気の毒になる。
 本書は、形質人類学、縄文学、考古学、言語学の各界の専門家を対談相手に持論の確証を得ようとしたものだ。
 しかし、これまた気の毒なほどに大野説を補強する言質が得られない。しかし大野氏は負けない。「されどタミル語なのだ!」と。
 この迫力に、大野氏の学者としての矜持、バイタリティー、直向きさを感じ、私はおおいに感動した。2004年に岩波書店から刊行された『弥生文明と南インド』の序説には「天駆ける空想としてしか受け取れないだろう。しかし、私はここに広汎な事実を証拠として提出し、その空想を地上のlogosの世界に引き降ろそうとしている」と力強いメッセージが記されている。
 そう、大野氏はいつも力強い。ここで紹介した『考古学・人類学・言語学との対話』にしたって、著者本人にとっては「不利」な展開になっている内容のはずなのだが、それでも本にまとめて上梓したところに、不撓不屈の精神とともに、学者の良心をもかいま見るのである。
(か)2007.2.06
近著探訪(4)へ 近著探訪(6)へ
Copyright(C) by Nansenhokubasha Publications. All rights reserved.■南船北馬舎
トップページ刊行物のご案内リンクと検索