近著探訪(33)

 富岡日記
     ■和田 英 著・ちくま文庫・2014年■
 カタールのドーハーで開催されていたユネスコ世界遺産委員会において、去る6月21日、群馬県の富岡製糸場が世界文化遺産に登録された。国内では18件目、近代産業遺産としては「初」ということらしい。
 明治5年に創建された明治政府による官営の絹紡績工場である。近代化路線を突っ走る維新政府がフランスから技術者を招聘し、これまで「座繰り」といわれる手工業から、大規模な器械式生産へと転換を図ったモデル事業であった。
 生糸といえば、繭を煮沸し、糸を繰る光景が目に浮かぶが、それは後年見た映画「ああ、野麦峠」の一場面であろう。そのすり込まれた記憶から、過酷な労働環境のもとで年端もいかぬ少女たちが働かされた「女工哀史」、ある意味「負の遺産」ではないのかと、うかつにも短絡した。
「(富岡の)女工は当時のエリートだった」「女工になるのは狭き門であった」という記事を目にするようになった。即座には理解しがたかったが、本書『富岡日記』を読んで、その「短絡」を反省した。
「富岡日記」は、明治6年から7年にかけて富岡製糸場で働いた、信州・松代出身の女性(当時17歳)の手になる日記である。「日記」は明治40年、著者が50歳になったとき、当時を振り返りながら記されたものであるから進行形ではない。
 工女たちは、全国の都道府県からそれぞれ十人程度が選抜されて工場に入っている。その多くは士族の娘であった。
 少し引用すると、
 ──静岡県の人は旧旗本の娘さん方でありまして、上品で東京風と申し実に好いたらしい人ばかり揃っておりました。上州も高崎・安中等の旧藩の方はやはり上品で意気な風でありました。(略)すべて城下の人は宜しいように見受けました──
 富岡で研修を終えて、将来、地元で計画されている民営工場に指導者的立場として勤務することが期待された。工女たちにおいても、その気概を強く抱き、武士の娘としての矜恃と克己の精神、「お国のため」のあつい思いが、まさに隔世の感として伝わってくる。
 一日の労働時間は7時間45分と決められ、日曜日は休み。夏期・冬期休暇がそれぞれ10日ずつ。構内には病院が設けられ、治療はすべて無料であった。寄宿生活での自己負担もなく、福利厚生面の充実度は画期的であったといえよう。「損益は暫くは論ぜず」(大隈重信)とし、採算は度外視した経営であった。
 ネット上では、「富岡製糸=ブラック企業」説が云々されているのを散見するが(かくいう私も女工哀史を連想したのだけれど)、ぜひとも本書に目を通してからもの申していただきたい。
 本書巻末に附された文芸評論家・斎藤美奈子氏による「解説」は、コンパクトにまとめられた「近代における女性労働史」になっており、たいへん勉強になった。富岡製糸場の創業から20数年後の日清戦争を契機にして、生糸の輸出が急増し、製糸業が国家の基幹産業としての地位を築いていくにつれ、「女工哀史」の世界へと突入していく。のちに三井に払い下げられ民営となってからは、労働環境はさらに劣悪化していく。この富岡創業時の恵まれた労働環境はまさに「短い春」であった。
 といって、富岡のよき時代をことさら強調するのは、女子労働史の全体像を無視した態度に他ならないと斎藤は警鐘を鳴らす。富岡が先鞭を付けた「寄宿制」やら「等級別賃金体系」などがのちに換骨奪胎され、悲惨な労働環境強化に逆に一役買うことになっていく。そうした文脈ななかで富岡を位置づけていく必要を説いている。
 さて、この富岡製糸場を補修・保存してきた、片倉工業の貢献を言祝ぎたい。遺産登録に関連した一連の記事の中でいちばん感動したものだ(朝日朝刊・2014・6・22)。富岡製糸場は三井に払い下げられたのち、昭和14年(1939)には片倉工業の経営に移る。1987年まで工場は稼働していたが、操業を停止してのち、当時の社長は「(誰にも)売らない、貸さない、壊さない」を社是とし、「遺物やら見せ物にもしない」方針で、社員3名を現地に常駐させ、毎年8000万円〜1億円前後の維持管理費をかけながら、建物を18年間にわたって守ってきた。しかし、世界遺産登録に向けた動きのなかで富岡市の打診を受け、「世界遺産なら仕方がない」と2005年無償譲渡するに至る。
 片倉工業は東証1部の上場会社ではあるが、直近の最終利益を見ると10億円前後であることからして、お金にあかして富岡にかかわってきたとはいえまい。医薬品、機械部品、不動産事業など多角化したとはいえ、斜陽といわれて久しい繊維業の占める割合は10%ほどある。苦労があったと思う。えらいゾ!と感動した次第です。 2014.7.6(か)
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