謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア ■高野秀行 著・本の雑誌社・2013年■ |
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著者の前作『イスラム飲酒紀行』(扶桑社・2011年)で「未確認国家ソマリランド」という言葉を目にしたとき、まだこの地球上に発見もされていない国家があったのか!と、まるでUFOに遭遇したかのように、正直驚いてしまった。もちろん、国土と、そこに暮らす国民が、だれからも気づかれず突然出現したのではなく、つまりは、国連の承認を受けておらず、かつ地球上に存在する国々の、ただの一国からも国家として承認されていない、そういう意味での「未確認国家」であった。しかし、うかつにも、ひょっこりひょうたん島のような国を思い浮かべてしまったのだ。
しかしながらその内実は、「国家」を自称・僭称したたぐいのものでもなく、だれからも認められてはいないけれど、れっきとした独立国家であった。独自の憲法があり、立法・司法・行政の組織や体制が具体的に存在し、しかも二院制の議会を持ち、民主主義を実現している平和国家であった。それが「未確認」という状態に国際的に放置されたままであるという事実のほうにこそ、今となっては衝撃を感じなくもない。 以来、気になっていたのだが、本書はその謎の国家ソマリランドを徹底的にルポした重厚な一冊になっている。文体を変えてエンタメ性を削げば、すぐにでも文化人類学の高度な民族誌になってしまうほど濃い内容である。 謎の国家・ソマリランドとは、ソマリアの北部一帯を領土とする。ソマリアは、1990年代から氏族間抗争が激化し、全土で内戦が繰り広げられ、無政府状態が続いた。95年には国連軍も撤退している。国土すべてがキリングフィールドと化してしまった印象である。2012年には21年ぶりに公式な「政府」が発足するものの、いまだテロ・暗殺が常態化しているといわれる。近年では海賊国家として話題になった。その近海に自衛隊の艦船が派遣されたこともあった。そうした戦国時代のソマリアから、北部地域が「ソマリランド」として分離独立したのが1991年。しかし、政権の求心力が弱くなると、氏族間抗争が再燃し、殺戮が繰り返された。それでも、最終的には氏族間の和平交渉が実現し、内戦の終結を見る。武装解除が実施され、2001年には新憲法が制定され、民主的な平和国家へと歩を進めていく(一連の行程が、国連や第三国の仲介によるものではなく、自らの手によるものであったことは大いに注目されるべきことである)。 この和平への手続きが、目を見張らんばかりのスマートさなのだ。 氏族間の抗争で人が殺される。その場合の「手打ち」は「数」に収束する。人が1人殺された場合、殺した側はラクダ100頭を被害者の遺族に差し出す。すべては、「数(おカネ)」で精算していく。「情緒ではなく計算で片がつく」のだ。これを「へール(掟)に則ってヘサーブ(精算)が行なわれた」と表現する。憎しみが憎しみを生んでエスカレートしていく悪循環をたくみに避けるこの知恵は、氏族システムの存在が前提となっている(氏族社会が壊滅してしまった南部地域ではもう機能しない)。「後進性」をとかく言挙げされる氏族・部族社会であるが、こうした理性的な交渉手法がこの伝統社会に「ルール」としてそもそも組み込まれていたことに感動を覚える。 もちろん、そう冷静に事が淡々と進むわけではない。血を血で争う抗争のあとは、その原因や正義のあり方で激しく紛糾する。しかし、最終的には、「事実関係だけをまず確認」する。何人殺されたかという数字を厳密にはじき出す。それをもとに、理由のいかんを問わず、殺された側がその人数に応じた賠償金を受け取る。それで手打ちとなる。情緒的な責任追及や、憎しみをもってねちねちと謝罪を要求するようなことは、ない。解決はすべて「数字」に収束させてしまう。 この数字への、有無を言わせぬ収束、これこそがマックス・ウェーバー『職業としての政治』でいうところの「戦争の道義的埋葬」ではないか!とひどく感動してしまったのである。永遠に解決不能な過去の倫理的な責任問題に拘泥せず、現在と未来の責任を担っていくことのみを信条とした、生産的な政治家像が、ソマリランドの長老たちにくっきりと見える。ウェーバーのいう「現実に即した態度と騎士道精神、とりわけ品位」(岩波文庫版・84頁)を兼ね備えた長老たちの政治家としての手腕が、平和国家ソマリランドを実現させたのだ。 ところで、何千もの人が殺されるとその賠償金は莫大となり支払い不能になる。こうした場合はどうだったのだろう。実際2回目の内戦時がそうだった。それはかれらにとって前例のないものだった。各氏族の長老たちが再び集まり、話し合いがもたれた。その結果が「賠償金の支払いはしない」だった。そのかわり「娘20人ずつを交換する」という方法を採った。 「加害者の一族から美しい娘を選び、被害者の家に嫁がせるんだ。嫁いだ娘は最初はものすごく辛い思いをする。(略)自分たちの家族を殺した奴の身内なんだから。でも子供が生まれると変わる。両方にとって孫になるからね」 これをソマリの格言で「殺人の血糊は分娩の羊水で洗い流す」というらしい。第一次大戦後、ドイツに課せられた天文学的な賠償金が、のちにヒトラーを産んでいくことになった歴史を振り返れば、伝統社会に生きるソマリランドの長老たちの見識は近代を超越してしまっている。 ともあれ戦いの後始末で、永久に解決できないのが道義的側面である。それを現在と未来の便宜のために、どう手打ちするか。その要諦としてウェーバーが述べる、「政治の品位」は、大量殺戮を繰り返し血塗られた歴史をくぐり抜けてきた、非近代性を色濃く残す氏族社会で実現されていたわけである。 2014.9.6(か) |
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