近著探訪(32)

 一神教と国家
イスラーム、キリスト教、ユダヤ教 ■内田樹/中田考 著・集英社新書・2014年■
 1890年(明治23)、オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本町の沖合で難破し、乗組員587人が犠牲となる大惨事があった。地元住民による献身的な救助活動がなされ、生存者69人が翌年日本の軍艦で祖国に送り届けられる。この遭難事故は、トルコが親日国になった一因として今も語り継がれる。その返礼であろうか、イラン・イラク戦争時の1985年、テヘラン在住の邦人救出にトルコ政府が航空機を差し向けて215人を救出したということもあった。さて、そのエルトゥールル号の事故後、義捐金を集めて犠牲者の遺族に寄付するためトルコに赴いた山田寅次郎という人物がいる。彼はイスタンブルで熱烈歓迎を受け、その後20数年間その地に留まることになった。士官学校の日本語教育を任されたり、貿易事業を営んだり、日土の親善外交に貢献する。この山田が日本人ムスリム第1号と伝わっている。「アブデュルハリル山田」がムスリム名だ。
 近年、ハラールであったり、イスラム金融であったり、ビジネスの文脈でイスラームが取り上げられることが目立つが、イスラームに入信した日本人というのはあまり聞かない。その数1万人以上といるといわれるが、その多くはイスラム圏の男性と結婚した女性であるようだ(神戸新聞・2012.11.29)。自らイスラームを選び取ってムスリムになった日本人はどのくらいいるのだろう。おそらくわずかであろうが、それでも、そうした日本人ムスリムの手になる本も近年、ちらほら目にするようになってきた。
 本書の著者の一人・中田考さんはムスリムである。内田樹さんが中田さんに「イスラーム」について教えを請うという体裁の対談本になっている。
 中田さんは、イスラームの法学・神学を専門とする学者であるのだが、カリフ制再興という大きな政治目標を掲げている人物である。カリフ制の復興!? 正直なところ面食らったが、そうした運動が世界的にあることをこの本ではじめて知った。2007年、インドネシア・ジャカルタで「カリフ会議」というものがあり、10万人が集まったそうである。
 カリフとは、イスラームの創始者ムハンマドの後継者として、ウンマ(イスラーム信仰共同体)を統括する指導者のこと。7世紀、正統4代カリフ時代というのがあったが、その後も脈々と引き継がれ、最後のカリフはオスマン帝国のアブデュルメジト2世。1924年、ムスタファ・ケマルがトルコ共和国の初代大統領に就任すると、欧化政策を進める中でカリフ制は廃止となる。
 なぜ今、カリフ復興なのか。領域国民国家を超える原理としてのカリフ制が考えられている。カリフを戴くことで、16億人のムスリムを連帯させ、国境で分断されてしまっていたウンマをクロスオーバーに浮かび上がらせる。その共同体内では「人間と資本とモノの移動の自由が保証され、真のグローバリゼーションが進行し、貧富の格差が縮まり経済的繁栄がもたらされる」。国境があるために、それぞれの国家体制があるために、同じイスラーム同士のあいだで搾取・被搾取の関係が生まれる。世界の4分の3を占める石油埋蔵量がもたらす利益を適切に配分すれば、一気に欧米に対抗する巨大な経済圏が生まれる。それはアメリカ主導のグローバリゼーションに歯止めをかけ、もう一つの世界のあり方を提示していくものになっていく──と。
「大川周明」を思い出した。ウルトラ右翼として戦後葬り去られた思想家であるが、元祖イスラーム学者であった。大川が構想したのは、ある意味、日本版カリフ制であったのではないだろうかと思うのである。近代を超克する論理として、カリフ制を天皇制に読み替え、ウンマを大東亜共栄圏に置き換えて、欧米に対抗する民族連合体を立ち上げようとしたのではなかったか。
 本書で、戦時中「大川周明」に代表される軍部のイスラームへの関心ををどう思うかという内田さんの問いがあって、その回答に大いに興味をそそられたのだが、それは、中国・東南アジア侵略のための後方支援として、ムスリムの力を利用しようとしたのではないかというものであった。すこしスルーされた印象である。急いで付け加えておくと、中田さんのカリフ復興論は、イスラーム圏に向けて「あなたたち、カリフ制を復活させたらどうですか」という呼びかけであって、そこに「日本」を介在させようとするものではない。近代国家(民族国家)を超越する原理として、イスラーム共同体が想念されているところに共通性を感じた次第であります。2014.4.5(か)
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