近著探訪(2)

 中村屋のボース 
インド独立運動と近代日本のアジア主義 ■中島岳志著・白水社・2005年■
 ラース・ビハーリー・ボース。インド独立運動の闘士である。英国官憲の手から逃れるべく、1915年、日露戦争に勝利し国際的地位を築きつつあった日本を亡命先に選ぶ。当時、彼を匿ったのが現在、「インドカリー」で有名な新宿・中村屋。
 ああ、それで中村屋の「カリー」なのかと不明を恥じる。ボースが中村屋で身を隠していたとき、それまでクリームパンが名物であった中村屋にインド風のカレーを伝授したというわけだ。といって本書はカレーライス誕生の物語ではない。
 アジア主義者の大川周明、頭山満などと交流し、日本政府の中枢にまで知遇を得、日本国内からインドの反英独立闘争を指導していく革命家の生涯だ。
 来日当初、日本のアジア主義者やナショナリストたちと共鳴し歩調をともにしたボースは、のちに帝国主義的侵略路線へと突き進んでいく日本にたいして不満を募らせる。彼が敵とする英国と同じ道をたどる日本への不信である。孫文が離日をまえに神戸で行なった演説、「(日本は)西洋の覇道の番犬となるか、東洋の王道の干城となるか」と警鐘を鳴らした、そうした時代であった。
 しかし、「まずインドの独立ありき」の熱い思いは日本の「アジア解放」のイデオロギーへと苦悩しながらも追認し同調していく。ボースの亡命生活と言論活動を軸に、戦前のアジア主義たちの言説も浮き彫りになってくる。
「物質文明に覆われた近代社会を打倒し、再び世界を多一論的なアジアの精神主義によって包み込んでいく」。このボースの主張する文明論的アジア主義は当時の日本のアジア主義的ナショナリストたちにも通底する部分があったと思う。しかしそのイデオロギーは現実主義的ポピュリズムに堕し、帝国主義的膨張主義へと回収されていった。
 著者の前書『ヒンドゥー・ナショナリズム』(中公新書)もナショナリストたちが「ヒンドゥー的なるものへの回帰」「ダルマの復興」を唱え西洋的近代を批判し、多一論的価値を担保しながらも、その国民統合への道が排他的なアイデンティティ・ポリティクスに回収されていく様が描かれている。そうしたナショナリズムの危うさが精細に検証されていて興味深い一書だ。
 戦後、アジア主義的ナショナリストは全面否定されてしまったわけであるが、竹内好の「<近代の超克>は思想としては終わっていない」ということばを引用し、著者はアジア主義の文明論的観点からの<近代の超克>はいまなお未決着の課題であると締めくくる。
 さて、蛇足ながらいまひとつの不明を恥ずかしながら記す。
 もうひとりのボースである。チャンドラ・ボース。本書の主人公ラース・ビハーリー・ボースのことをはじめチャンドラ・ボースと同一人物だと思っていた。ラース・ビハーリー?チャンドラじゃないの?と。
 病に倒れたラース・ビハーリー・ボースのあとを引き継いでインド国民軍を指揮したのがチャンドラ・ボース。1943年、ドイツに滞在していたチャンドラ・ボースはドイツ軍の潜水艦から日本の潜水艦へとマダガスカル島沖で隠密裏のうちに引き渡された。こののち日印共同のインパール作戦が決行され、日本は戦史上屈指の凄惨な敗北を喫する。(か)2006.3.15
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