近著探訪(1)

 働く過剰 
大人のための若者読本 ■玄田有史著・NTT出版・2005年■
 ニートと呼ばれる若者たちの非就労状況への話題をよく耳にする。そうした若者事情は、1989年を境にデフレへと突入した180度転換の経済環境激変の産物であると思うのだが、そしてそれが最大の要因であるといまも考えるのだが、ただそれだけでは片づけられない側面があるようだ。今後いくらかの経済成長が長期的に期待されたとして、それに比して彼らの未来が切り開かれていくものなのだろうか、いやどうももっと根が深いような思いがしている。本書を読んでの感想だ。
 社会が若者に対して求める仕事観・自立観、もっといえば人生観が、若者に「過剰」な負担を強いているのではないかというのが著者の分析だ。へんな書名であると思ったのだが、書名の「過剰」はそこに由来している。
「やりたいことを」「意味のあることを」「自分らしく」「個性を大切に」……が、若者が仕事を求めるさいのスタンスだ。そして大人(親)の側にもそうした期待があると本書は語る。「いやな仕事だったら、無理しなくていい」「あなたらしく生きていくことが大切なんだから」と。そうした個性尊重の物言いが若者にとっては「過剰」な価値の脅迫となり仕事に向かっての一歩を踏み出せなくしている。
「仕事なんてなんでもいい」「むつかしく考えずにまず飛び込んでみてそれから考えればいいじゃないか」と一昔前の大人の口吻が、大人の知恵が、いま必要とされている。
 90年代から2000年初頭において多くのサラリーマンがリストラされ、労働環境は冬の時代を送った。そんな大人たちを見て若者が「意味」を考える。「働く」ってなんだろう?
 著者は言う。「サラリーマンがすべて地獄絵図のような職場で生きているわけではない。多くは仕事にやりがいを感じながら生きている。……ひと仕事終えた後の、打ち上げで仲間と酌み交わす一杯の美味は、昔も今も変わらない」
 それは仕事に「意味」を求めることからの脱却だ。仕事にまず求められるのは「リズム」である。教育者の陰山英男さんの「早寝、早起き、朝ご飯」にならって、行動を内側から後押しする、生きるリズムである、と。頭でっかちな観念世界に仕事はあるのではなく、身体性に依拠するリズムであるのだ。ほんとにそうだなあと20年数年働いてきた中年の私は実感する。
 個性重視なんてことが90年代あたりから言われ続けているが、そろそろそうした呪縛から脱しよう。「自分らしさ」は自分が決めることではなく、他人が決めることなんだから。どんな職場でどんな職種であろうとも、あなたらしさはあなた自身が属する社会からあなたが承認されることではじめて確認できる。「書を捨てて街にでよう」である。
 前半は経済学者として統計データをていねいに読み解きながら巷間流布するニート批判の齟齬を指摘する。後半は学者の立場から離れて、示唆に富むさまざまな<大人の知恵>が披露されている。本書は「大人のための若者読本」と冠されているが、「終章・若者に未来はあるか」から「あとがき」はぜひ現役の若者たちに読んでほしいと思う。
(か)2006.2.14
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