旧著探訪 (25)

 風の王国     ■五木寛之著・新潮社・1985年■ 
海・呼吸・古代形象  近著探訪(31)で取り上げた柄谷行人著『遊動論 柳田国男と山人』がきっかけとなって、四半世紀ぶりに読み返した。「サンカ(山窩)」という存在を知ることになった懐かしい本であるが、ストーリーは全く記憶にない。なんとなく中国山地のどこかの物語だったかとうろ覚えで読み始めたのだが、奈良と大阪を隔てる金剛山地が舞台であった。河内と大和を結んでいた古代の国道1号線といわれる竹内街道、その街道を大和側へ抜けたところに位置する、二上山、葛城山が登場人物サンカたちの故郷として描かれる。現在は、南阪奈自動車道がその街道沿いを走っている。
「サンカ」が一般に知られるようになったのは、私もそうだが、この『風の王国』であったろう。それ以前は、三角寛が「山窩」ものを大量に著わして一世を風靡したようだが、昭和前期のことゆえ不案内である。ただ、本書『風の王国』がベストセラーになったあと、「三角寛」が回顧され話題になった。本棚をごそごそしていたら『マージナルVol.1』(現代書館)という雑誌が出てきた。特集は「サンカ[三角寛]Who?」というもの。発行は1988年。「わが父・三角寛を語る」という興味深い座談記事や、『風の王国』をテーマに五木寛之のインタビュー記事などが収録されている。2000年からは三角寛の著作集が再刊されているぐらいだから、「サンカ」に興味を抱く人もこの頃には増えていたのだろう。アカデミズムの世界からは、ちょっといかがわしく捉えられがちであった「異能の人」三角寛の復権ともいえる。
 ところで、サンカとは何者か。謎に包まれた漂泊民、日本のロマ(ジプシー)ともいわれる。「山野を栖家(すみか)と致し」「生来漂泊に安んじていて、農業などは好まない」。明治4年の公文書に記された文言である。定住農耕民(常民)ではない「非・常民」として、国家体制の枠から外れて、山に生き、川に暮らした。柳田国男の論じる「山人」なのか、「まつろわぬ民」「化外の民」「夷人雑類」、先住民、縄文人の末裔なのか。三角寛と並んで、いやそれ以上に奇人扱いされてきた八切止夫によれば、ベイルートやイランのヤスドでは「うろ覚えのサンカ語で日常会話は通用した」(ほんまかいな?と思うが)と、その起源を古代バビロニアにつなげる、壮大な、というか、トンデモ本ともいえそうな独特の「八切史観」というのもあった。いずれにせよ諸説紛々であったが、このあたりは近年、社会史家の沖浦和光氏がすっきりと解説している。
 天明・天保の大飢饉のあと、田畑を捨て、山に逃げ込んだ人が多くいた。逃散である。そうした人々が、宗門改制度から離れて、無籍無宿者になっていく。その後裔がサンカではないか──と。昭和30年代前半までサンカの存在が確認されていたそうである。
 日本人起源論をたどるまでもなく、18世紀後半から19世紀前半にその源流があった。すこし気落ちする結末ではあるが、そうした起源論そのものよりも、かれらの生き方や、かれらの持つ相互扶助的なネットワーク(講)に憧憬を覚えた人が多かったのではないだろうか。今ふうにいえば、ノマド的なものへの。柄谷行人ふうにいえば、遊動性が生み出すアソシエーション的な集団のあり方に。まさにそれが『風の王国』が描くところのテーマであったと思う。2014.3.15(か)
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