旧著探訪 (26)

 民族と国家 ─イスラム史の視角から─    ■山内昌之著・岩波新書・1993年■ 
「プラグマティズム」が注目を集めているらしい(「プラグマティズムに脚光」日経朝刊、2015.2.28)。プラグマティズムは、「立場の異なる人々が、互いの〈正義〉を主張し合うのではなく、継続的な話し合いを持つ重要性を説いているのが特徴」であるとし、現代においてますます過激化している「宗教的原理主義がもたらす紛争など、対立的な枠組みの広がりに対して歯止めをかける試みである」と記事は伝えている。
 絶対的な真理を追究する伝統的な西洋哲学とは一線を画した、その実用性が受け入れられているのだろう。記事で紹介されている宇野重規東大教授の「正解のない時代の生活実感にあった思想」という指摘は腑に落ちる。あなたの真理と、私の真理は違うけれど、今ここで依怙地になって主張しあっても非生産的なことだし、まあ難しいことはペンディングにして、このあたりで双方妥協したほうがお互いの利益になるでしょう。一致をみない部分についてはこれからも会話を継続していきましょうね。こんな感じか。
 これを国際政治用語にすると「戦略的互恵関係」という言葉になるのだろう。日本と某国は戦略的互恵関係を共通の認識としたという報道をひらたく換言すると、「お互い、主義も主張も違うし、価値観も正反対、気持ち的にもアンタのことなんて大っきらいだけど、でもこの部分に限っては協力したほうが双方の利益になるから一緒にやっていきましょうよ、それにこの関係を維持していたら、またいつか、いいことがあるかもしれないしね」ということだ。
 さて、今回取り上げる『民族と国家』は、13世紀末から第一次世界大戦後の1922年まで、600年以上続いたオスマン帝国に焦点を当てて「民族と国家」の関係を読み解いたもの。イスラームの純化をめざす、昨今の先鋭化したイスラーム過激主義集団における異教徒を処するやり方と、この多民族国家オスマン帝国における異教徒政策において、ともに同じムスリムながら、両者に存するあまりに大きい懸隔に戸惑いを覚えてしまった。
 本書冒頭に、オスマン帝国の政権中枢における人材登用の興味深いエピソードが記されている。すこし紹介すると──。
 レコンキスタ(失地回復運動)でイベリア半島がカトリックの土地に戻った1492年、ムスリムとユダヤ人が追放される。そのユダヤ人たちを受け入れて歓迎したのがオスマン帝国であった。当時の皇帝バヤジド二世は、スペイン国王の異教徒に対する、その偏狭な「宗教的狂信性」を嘲笑したという。「かれは依怙地にも自分に奉仕する最も有能かつ勤勉な臣民を自らの手で追放してしまったのだ」と。たしかにユダヤ人なきあとのスペインはやがて凋落していく。いっぽうオスマン帝国に移住してきたユダヤ人は、通商・医術・行政・金融などの分野で大いに活躍し、帝国を盛り上げながら、大きな勢力となっていく。
 もう一つ。19世紀後半、露土戦争後のベルリン会議の席上でドイツの宰相ビスマルクは衝撃を受ける。オスマン帝国の全権代表団の外交官二人が、あきらかにムスリム風情でなかった。実際、一人はギリシア正教徒、あと一人はドイツとフランスの混血児であった。講和会議で「トルコ」を代表する外交官は、当然トルコ民族であり、かつムスリムであるにちがいないといった思い込みが、あのビスマルクにしても、あった。当然だろう。しかし実際はオスマン帝国の高級官僚には非ムスリムが多かったのだ。
 デヴシルメといわれる少年狩りのような制度があった。帝国の支配下にあったバルカン半島をスカウトマンが駆けめぐり、身体・精神ともに健全で、将来を見込める有能なキリスト教徒の少年たちをかき集める。イスタンブルで彼らに最高水準の教育を施し、その頭脳明晰さにおいてさらに秀でた者は帝国の高級官僚への道を用意した(大宰相になる者もいた)。次点に連なる少年たちは帝国最強の軍隊といわれた親衛隊イェニチェリに加えられた。もちろん彼らにはその時代の最高レベルの贅沢な暮らしが保証されている。
 人さらい以外何ものでもない、まことに残酷な制度であるが、しかしそこには厄介なナショナリズムも、エスノセントリズムも、ない。トルコ系の王朝であっても、生粋のトルコ民族が帝国の要職を占める必要もないし、必要であるとの考えも、見事にない。もっといえば、そもそもトルコ人自身、「トルコ人」というアイデンティティも意識もなかったようだ。
 もちろんムスリムであることは、帝国で生きていく上で特恵的な要件である。しかし、非ムスリムであっても、二等市民的な位置づけではあるが、人頭税(ジズヤ)と土地税(ハラージュ)を納めることで、迫害されることなく、信仰の自由も認められ、生命財産の安全も保障された。つまりは、信仰の問題を互いにあげつらうようなヤボなことはせず、イスラームに従属し税金を納めてくれるのであれば、それでいいじゃないか、そのほうが双方の利益であるのなら、というわけだ。まことにプラグマティックである。
 近代の国民国家(民族国家)がときに惹起する、始末に負えないナショナリズムの呪縛から自由であり得た、この希有な国家の背景には、アラブ人とかトルコ人とかいった民族は違っていてもウンマ(イスラーム信仰共同体)への所属意識によって「脱民族化」し、「ムスリム」へと収斂してしまうことが、まずは一つ大きな成立要因であろうが、もう一つ、異教徒に対してのプラグマティズムも見逃せないだろう。
2015.4.20(か)
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