近著探訪(31)

 遊動論 
柳田国男と山人 ■柄谷行人 著・文春新書・2014年■
「〈落日の〉学への切実な問題提起」という見出しで、福田アジオ著『現代日本の民俗学』(吉川弘文堂)という著作が書評されていた(赤坂憲雄・日経朝刊・2014.2.9)。
 へえー、民俗学は〈落日〉だったのか……。門外漢である私にはそのへんの事情はよくわからない。記事には、民俗学の歴史は、その創始者である柳田国男の呪縛からいかに抜け出すかの50年であったと記されている(柳田国男は1962年逝去。この年『定本柳田国男集』の刊行が始まっている)。さらに、「柳田の命脈は尽きたはずだった。ところが、またしても思いも寄らぬ援軍が現れ、復権の兆しが見え始めている」と。
 なんのこっちゃと思うのであるが、つい最近読んだ本書『遊動論』は、これまで発表されてきた柳田国男論を批判し、柳田「民俗学」を読み替える、衝撃的な試みであった。
 一般に、柳田は、日本列島の先住民としての「山人」論を途中で放棄したとされ、常民(定住農耕民)に向かっていった姿勢を、国家的な枠組みに回収されてしまった変節者として批判されてきた。門外漢である私のような者にもそうした言説が耳に届いているから、通説なのだろう。
 著者は、柳田が「山人」を放棄したことなど一度もないと述べる。そもそも柳田が目指したものは、協同組合あるいは「協同自助」の問題であった。今風にいえば「アソシエーション論」であったのだ。
 農政学者であり、農商務省の官僚であった彼が、調査旅行で訪れた宮崎県椎葉村で見聞した焼畑と狩猟で暮らす山村に、「山人」の原像を見た。そこでは「冨の均分というが如き社会主義の理想」が実現されていた。つまり「ユートピア」を見出したのだ。そののちに、『後狩詞記(のちのかりのことばのき)』や『遠野物語』が生まれる。しかし、彼自身そうした著作群を「民俗学」としては捉えていなかった。
 すこし注意したいのは、椎葉村に暮らす人びとを、狩猟採集で暮らしてきた、日本列島の先住民である「山人」そのものとして捉えたのではないということ。異民族としての山人はもうどこにも存在しない。しかし山人は幻想ではない。山人の「思想」を発見したというわけだ。山人の思想を継承した「山民」の「遊動的生活」に、「共同所有・自治・相互扶助」の実現を見た。
「民俗学と見える彼の著作は、平地人、つまり、稲作農民に、かつてありえたものを想起させ、それが不可能でないと悟らせるために書かれた。彼が〈山人〉に見出したのは、〈協同自助〉をもたらす基礎条件としての遊動性であった」(80頁)
 柳田国男のベースが、フォークロアにあるのではなく、とことん農政学であったことが見えてくる。『遠野物語』の「序」に示された有名な一節、「願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」の「戦慄」すべき対象は、天狗や狐などの「怪異譚」ではなく、その社会システム(アソシエーション)そのものの可能性にあった──。
 そういうことだったのか。冒頭で引用した書評の一文に「〈経世済民〉という忘れかけた言葉が甦る」とあったが、柳田民俗学の神髄は文字どおりの「経世済民」であった。柳田国男の呪縛からいかに離脱するかの苦闘の50年がまた振り出しに戻ってしまった、ということなのだろうか。2014.2.16(か)
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