近著探訪(29)

 イスラームから考える 
■師岡カリーマ・エルサムニー 著・白水社・2008年■
 フランスの公立学校での「ヒジャーブの着用禁止」という措置に対して、イスラームに対する、欧米人の「不寛容と嫌悪感」を私はなじった(旧著探訪17)のだが、本書を読んで、どうもそれは浅薄な見方であったと反省している。
 フランスでは、ヒジャーブに限らず、キリスト教徒の十字架のネックレスや、ユダヤ教徒の男性が被るヤムルカ(帽子)も禁止されているらしい。
「宗教的帰属を示すものはすべて禁止された」のであった。世俗主義を貫くことで、信仰の自由が担保される。公的な場における政教分離を貫徹することで「共和国」の価値観を守っていく。世俗国家としての、フランス社会の文脈で捉えるべきであった。
 著者は、そうしたフランスに理解を示しながら、さらに進めて、ヒジャーブ禁止は、段階的に、時間をかけてすすめるべきであったと述べる。
 これまで髪の毛や肌を隠してきた女性が、ある日から突然、体の一部を人目にさらすことの難しさ、である。たとえば、日常的にロングスカートやパンツ姿で過ごしてきた女性に、明日から膝上20センチのミニスカート着用を命じたら……。ああ、言われてみれば、そうよね、たしかに、恥ずかしいだろうな。男には気づきにくい視点であった。ネックレスや帽子とは、訳が違うのだった。その羞恥の度合を忖度することはできる。
 さて、このヒジャーブ、サウジやイランとは違って着用が義務ではないエジプトで、若い女性を中心に着用する人が飛躍的に増えているらしい。「女性抑圧の象徴」として捉えられがちなヒジャーブを、女性たち自らがすすんで選び取っている。そこには「抑圧ではなく解放の近道」とする考え方がある。
 このことは『イスラームの日常世界』(旧著探訪16)で片倉もとこさんも指摘していた。「容姿の美醜が女性の価値基準といった、男性側の眼(商品化・付属品化)からの自由」を獲得するのだ、と。見られる女から見る女へ。著者も、ベールをまとうことによってはじめて「男性と対等に渡り合える」のだという現地の女性の声を紹介している。

 本書の著者は、父上がエジプト人である。東京生まれのエジプト育ち。カイロ大学卒業後、ロンドン大学で音楽を学ぶ。NHK「アラビア語講座」講師。ムスリマ(イスラム教徒)。欧米社会のことも日本のことも熟知した立ち位置から、イスラームを語る。
「私のように日常的に西洋人と接している人間が、彼らのメンタリティーに合った言葉でイスラーム社会の言い分を説明する機会が与えられたならば、無駄にしては単なる怠慢だ」という下りがあって、時事的な問題をイスラーム側からもの申すといった印象をあたえるかもしれないが、本書はそうした次元とは一線を画した、目配りの効いた文明批評として読める一冊である。ずいぶんと勉強になった。
2013.9.9(か)
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