近著探訪(20)

 
もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら ■工藤美代子著・メディアファクトリー・2011年■
 沢木耕太郎『あなたがいる場所』(新潮社)は、ノンフィクション作家が初めて書いた小説として、最近話題になった作品である。ノンフィクション作家の手になるものだけれど、「つくりもの」ですよということであるが、今回取り上げる作品は、書名が示すように、お化けの話だけれど、ノンフィクション作家の手になる「実際にあったこと」なんですよということである。長たらしい書名で、言い訳がましくも感じられるが、この手の事柄を語るには、語り手の素性が問われるということなのだろう。「トンデモ本」「オカルト本」とは一線を画し、「脚色なしの事実」であることの証明は、ややこしい手続きが必要なのである。
 といって本書の内容は、身の毛もよだつこわーいお話ではない。日常の中で出会ってきた、ちょっと怪異な現象・奇妙な符号、予知経験をたんたんとしるしている。いわば死者とのコミュニケーションの記録である。病院で出会った亡霊たち、庭の池に浮かぶ男の顔、引っ越し先の家に住んでいた女の霊が残した髪の毛、亡き母からの電話など。
 文章も抑制がきいていて、「こんな経験は、私だけでなく多くの人が持っているはず」「霊感は持ち合わせていない」「むしろ鈍感」と随所に繰り返されている。たまたま物書きだったからすこし不思議な体験を書いたまで、というスタンスである。ノンフィクション作家としての矜持を担保しながらお化けの話を書き進めていくというのも大変なのだ。
「かつて『怪談』を小泉八雲が書いた時代は、自分が遭遇した奇怪な体験を人々は平気で口にした。それを笑う人も馬鹿にする人もいなかった」(199頁)
 それが今はどうだろう、不用意にオカルティックな言挙げをすれば、非科学的な輩と烙印を押され、オツムの程度を疑われてしまう、「科学主義的」時代になった。
 ちなみに私は「あるよね、そういうことって」と思える、いわゆる「非科学的」なタイプの人間である(馬鹿にしないでね)。霊のふるまいに、礼節をもって、真摯な応接を心がけている著者の姿勢に共感を覚えたのである。こうありたいと思う。
 1990年代前半、時代は超常現象を受け入れるムードがあった。当時のベストセラー、青山圭秀『理性のゆらぎ』『アガスティアの葉』などを思い出す。先頃亡くなったインドの超能力者サイババを中心に神秘的な体験を紹介していた。無から有を生み出す奇跡の数々、一人ひとりの運命を克明に記した予言書の存在。著者の青山氏は、ノンフィクション作家ではないが、理学博士であり医学博士でもあり、生粋の科学者であったことが、レポートされる神秘現象にリアリティを与えた。
 しかし1995年、阪神淡路大震災が起こり、その後、オウム教団のテロ事件が明るみになると、一気にブームは鎮火してしまった。ほんとに見事に消え去った。
 ところが、15年の時を経て、ひさしぶりに青山圭秀さんの新刊本を見た。題して『神々の科学』(三五館)。時代が再び、こっちのほうに来たのかな。もう一冊、過日手に入れた内田樹『身体で考える。』(マキノ出版)という本も気になる。成瀬雅春さんというヨーガ行者との対談本であるが、そこに「空中浮揚」の話が出てくる。それもことさら怪異なこととしてではなく、そういうこともあるよねという文脈で述べられる。
 この本のまえがきで内田さんが「『そういう話は非科学的なたわごとである』と思っている人には、ご縁のない本です。でも、ある現象が『うまく説明できない』ということと、『存在しない』ということはレベルの違うことだと思える人には楽しくお読みいただけます」としるしている。
 こういったトーンからはじめるっていうのは、なかなかスマートなやり方ですね。
 
2011年6月27日(か)
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