都市を飼い慣らす アフリカの都市人類学 ■松本素二著・河出書房新社・1996年■ |
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超高層ビルが林立し、こぎれいなホテルやレストラン、美しくアレンジされた街路、まさにアフリカの大地に小ヨーロッパを再現させたかのような近代都市ナイロビ。その人口の圧倒的多数を占める農村からの貧しい出稼ぎ民を通して、「都市と農村」、「近代と伝統」、あるいは「開発と解放」といった二項対立を彼らがどのように咀嚼し、受容し、あるいは抵抗してきたかが考察される。 今月刊行された鶴見良行氏の対談集『歩きながら考える』(太田出版・2005年)を読んでいたら、見田宗介氏との対談で「近代化(工業化)と伝統的アイデンティティ」の相克の問題が取り上げられていた。外部からの強制的な第三世界の近代化は、住民の生活水準を少なくともレベルアップするわけで評価される部分もあるが、かたや文化的なアイデンティティは全く破壊しつくされる。だからといって私たちが、近代化は拒絶べきであると言を弄することじたい、これまた傍観者のエゴイズムではないかという問題を内包している。まったくもってトレードオフな命題。この対談が行われたのは1978年、いまもしばしば取り沙汰されるアポリアだ。 鶴見氏の発言に「向上志向を持っている文明は手もなく(近代化の波に)やられてしまうと思うんです。ただ、文明によってはそうではないものがある。実は大したことないんだと、初めから近代を呑んでかかっているようなものもありますからね」というのがある。 この鶴見氏のいう「近代を呑んでかかる」人たちが、本書に登場するナイロビの出稼ぎ民たちに当てはまるかもしれない。本のタイトルにもなっている「飼い慣らす」ということばが「呑んでかかる」に通じる。 出稼ぎ民たちが都市のまっただ中にムラ的共同体を、「都合よく」、したたかに忍び込ませて再構築し、都市のシステムを飼い慣らして(骨抜きにして)ゆく様が描かれる。ナイロビにトウモロコ畑を作り、農耕する都市生活を実践し、擬似的な親族関係(ほんとうは無縁の共同幻想でしかないのだが)を創造し、相互扶助の仕組みのなかに取り込んでいく。いっぽう、実際は貧しくその日の糧もままならないムラの生活なのだが、ムラ・イメージは極度に美化され、こころの拠り所として機能する。都市とムラの真っ二つに分断された世界を、徹底して生活の便宜を第一義に生き抜いてきた。ときには、神話や伝説、そしてお互いが了解済みの虚構的言説をも利用しながら。 こうしたナイロビ・モデル(戦略)はODAやNGOの「開発」や「援助」にかかわる現場に有効な指標を与えるに違いない。多くの示唆に富む本であるが、残念ながらいまは絶版。私は2年越しの古書ネット検索でようやく入手した。苦労しました。 (か)2005.7.24 |
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