旧著探訪(8)

 ミステリで知る世界120ヵ国   
■渡邊博史著・早川書房・1993年■
 はじめての土地へ旅行の計画を立てる。出発までの準備期間が楽しい。ガイドブックをぱらぱらめくり、地図を眺めたり、挨拶程度のかんたんな現地の言葉を覚えたり……、そして関連本を読む。
 さて、その本の選び方なのだが、概説書だとちょっとしんどい。そんなとき、この『ミステリで知る世界120ヵ国』を重宝した。ある特定の国や地域を舞台にしたミステリーの数々を紹介した本である。ミステリーに没頭しているうちに知らず知らず現地の情報も学べるという「一石二鳥の読書術」というわけ。
 このように旅先の情報を読みやすい物語で確認しておこうというタイプの人はけっこういるにちがいない。毎年、作家部門の長者番付に顔を出している西村京太郎の著作に「××殺人事件」と題し、ペケの部分に地名が入るシリーズがあるが、おそらく読者の多くは手っ取り早くその土地のことを知る一種のガイドブックとしても読んでいるのだろう。
 しかし、この本の「まえがき」にも書いてあるように、「受け売り」「先入観」「ステレオタイプ」などなど、記述が100%正しいという保証はない。そうしたことを織り込みで読むのが正しいつきあい方。あくまで「とっかかり」としてミステリーを手にする。とりあえず知識が増えれば、かための本でも読みやすくなるわけです。
 以前、『スリランカ学の冒険』という本を編集していたとき、せっせとこの本で紹介されているスリランカがらみの本を現地在住の著者庄野氏に送っていた。そこからまとまったのが「日本文学のなかのスリランカ」という章なのだが、ある作品で登場人物にやたらとインド人が出てくるのを不思議に思った庄野氏は、「作者はどうもインド人とスリランカ人の区別がわかっていないようだ」と書いている。たしかに外見だけでスリランカ人とインド人を識別するなんてできないだろうな。
 スリランカというフィールドに限っていえば、『ミステリで知る』に紹介されている岡村隆著『泥河の果てまで』(講談社・1988年)という作品は、ミステリーとしてはもちろん、現地情報の精度・確度も、ずば抜けた傑作であった。なんせ、著者の岡村氏は法政大学探検部時代、セイロン島密林仏跡調査のリーダーとして5年の歳月を費やしている。ミステリーを書ける人が、現地滞在歴が豊かで、かつ観察力がたしかでその地の民俗・風習に明るいというケースはまれだが、この岡村氏はそうした稀有な作家のひとりであろう。
 しかし、作家によっては持ち前の想像力と描写力で、「経験」をかんたんにクリアしてしまう凄腕の人もいる。宮本輝『愉楽の園』(文藝春秋・1989年)がそうだった。ミステリーではなく、恋愛小説であるが、バンコクを舞台に物語は展開する。その細部にいたる観察と描写は、読者を、バンコクの喧噪のまっただ中に引きづり込み、汗とほこりと排ガスをたっぷり吸収した熱帯独特のよどんだ空気のなかに閉じこめてしまう、臨場感たっぷりの作品だ。少なくとも数カ月を現地取材に費やしたのだろうと思っていた。しかし、である。刊行後のインタビュー記事によると、現地取材はたしか4泊5日の短期旅行(その記事が掲載されていた雑誌を探したのだが見つからず。正確ではないかも知れないが、いずれにせよ、驚くほど短期だった)。それもあまりに暑いのでほとんどホテルから出なかったという。感動的な職人技である。
(か)2005.2.12
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