村上春樹にご用心 ■内田 樹 アルテスパブリッシング・2007年■ |
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正確な引用ではないが、本書「村上春樹論」の骨子である。 やっぱり私には「文学」はわからないのだということがよーくわかった。そんなことが書かれていたとは、つゆ知らず、馬齢を重ねてしまった。何を読んできたのだろう。 村上文学では、こういった仕事をもくもくとこなしていく人物として「雪かき男」が登場する。村上訳で話題になった「キャッチャー・イン・ザ・ライ」では、崖から落ちそうになる子どもたちをかたっぱしからつかまえる「キャッチャー」がそうした存在だ。 しかし、文学はわからなくても、著者の指摘はすとんと腑に落ちる。 生活の基本を支える仕事をないがしろにしたところに、「邪悪なもの」の浸潤が、たしかにありそうな気がするのだ。それも外在する「邪悪」ではなく、自身に内在する「邪悪」が。恥ずかしながら私は部屋の片づけができない人間ではありますが、それでも半年に一度ほど、えいやっと取りかかることがある。狂ったように掃除機をかけ、マイペットを希釈した水でぞうきんを絞り、ごしごし一心不乱に床を磨き、ついでに窓もキュキュキュ。混乱極めた机上の書類はゴミ箱へポイする。明窓浄机。すると、「つつましく、ただしく生きていこう」と、決意新たになるのです。 知人の長男(反抗期まっただ中の中学生)がカナダでのホームステイを希望した。向学心のあらわれと解し、夫婦喜び勇んで、早速じいちゃん・ばあちゃんからの資金援助も取り付けた。親子そろって旅行会社の説明会に参加したところ……。 代理店の担当者曰く、 英語がしゃべれるとかしゃべれないとかは問題ではありません。 大切なのは……。 ひとりで朝起きられますか。 脱いだ服はきちんと自分でたためますか。 朝、笑顔で元気よく挨拶できますか。 食べた後は食器を自分で片づけられますか。 部屋の掃除はできますか。 …… なにひとつとしてできていなかった。申込書は長男の机の上に数週間放置されたまま、結局受付期限は過ぎてしまったらしい。 なるほど。 こんな話も思い出す。 街の金融業者(いわゆる昨今の街金ではなく、ひと昔前の質屋さん風情)が与信を判断するのに融資申込者の家の様子を見に行く。その家の困窮度合いやら資産価値がどの程度なのかといったことを見るのではなく、整理整頓がきちんとなされているかどうかがポイントなのだそうだ。貧しくても、家の中やその周辺の掃除が行き届いておれば、借りたものは返すという当たり前のモラルは担保されていると考える。ほとんどはずれなしのチェックポイントらしい。 世の中には「誰かがやらなくてはならないのなら、私がやる」というふうに考える人と、「誰かがやらなくてはならないんだから、だれかがやるだろう」というふうに考える人の二種類いる――と著者は言う。 「誰かがやるだろう」とうっちゃってしまう仕事には、感謝や栄誉や評価は、たいてい、ない。それを「私がやる」と自然に引き受ける人がいないことにはこの世の秩序は保たれない。こうした心意気を「涼しい使命感」と表現している。 「涼しい使命感」。素敵な言葉です。 2008年1月1日(か) |
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