昼も夜も彷徨え マイモニデス物語 ■中村小夜 著・中公文庫・2018年■ |
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「アシュハド・アン・ラー・イラーハ・イッラッラー」 「アシュハド・アンナ・ムハンマダン・ラスールッラー」 イスラームの五行の一つ、信仰告白(シャハーダ)の一節(アラビア語)である。「アッラーのほかに神はなしと私は証言する」「ムハンマドはアッラーの使徒なりと私は証言する」の意。ムスリムにとってもっとも大切なフレーズとされる。二人以上のムスリムの前でこれを唱えれば(もちろんアラビア語で)イスラームに入信したことになる。私はこれを空で言えるよう何度も練習した。 バングラデシュの首都ダッカにある高級レストランをイスラーム過激派のテロリストが襲撃した事件があった(2016年7月1日)。イタリア人9人、日本人7人ほか計22人が犠牲となった。親日国として名高いバングラデシュでの惨事だったので大きな衝撃をもたらした。「日本人だから撃たないで」と懇願するもテロリストたちは問答無用とばかりに殺害した。彼らはイスラーム教徒には危害を加えなかった。むしろ礼を尽くして接したといわれる。イスラーム教徒であるか否かが生死を分けたのだ。その判断にクルアーンの一節を唱えさせたという。 現代イスラム研究センターの宮田律氏は、この「信仰告白」のフレーズだけでも、かの地を旅するのであればアラビア語で言えるようにしておくことを勧めている。──ということで、当面そちら方面へ行く予定は残念ながらないのだけれど、とりあえず私は暗記に努めたのだ。「方便として」のにわかムスリムである。少々うしろめたさを覚えるが。 ところで「方便」ついでに加えると、「方便として」の信仰隠しというものが、イスラーム(シーア派)では容認されている(タキーヤという)。信仰により危害を加えられる恐れのある場合は、わが身を守るためにその信仰を隠したり、反イスラーム的な行為をしても許される。心の中にアッラーへの揺るぎない信仰がありさえすればアッラーはすべてをお見通しなのだからという理屈である。 さて、このたび取り上げる『昼も夜も彷徨え』は、12世紀の、アンダルス(スペイン)から北アフリカの地中海沿岸をへてエジプト、シリアにかけてのイスラーム圏を舞台に、波瀾万丈の生涯を送ったユダヤ教の大学者マイモニデスを主人公にした、ちょっとめずらしい歴史小説である。現在のモロッコあたりから興ったムワッヒド朝によるイスラーム改革運動に社会が揺れていた時代である。 「誰かが、あれは堕落したイスラーム世界を預言者ムハンマドの御代に戻そうとする救世主だ、と熱く訴えたかと思うと、別の誰かが、いや、あんなものは真のイスラームの姿ではない、しょせんあいつらは砂漠の奥地から出てきた神学生じゃないか、頭でばっかりものを考えるから、極端な理想に走るのだ、と言い返した」(64頁) 7世紀のイスラーム勃興期を理想とする、ムワッヒド(唯一神の徒)の復古主義は、今でいうパキスタンやアフガニスタンで活動しているターリバーンと似てなくもない。 こうした時代背景にあって、教会やシナゴーグは破壊され、キリスト教徒やユダヤ教徒は迫害され、イスラームへの改宗か、さもなくば死を迫られる。あくまで改宗を拒み、命を落としたものは殉教者として同胞たちから讃えられた。しかし、イスラームの「信仰告白」を口にしてしまったら最後、共同体からは排除され、周りからは蔑まれ、その後は背教者、裏切者として世を忍んで生きていくしかない。 「信仰告白した者は、もはやユダヤ教徒ではない。たとえ、公私ともにユダヤ教の戒律を守っていようとも」(126頁) 「迫害によって改宗した者は、祈っても何の報いもなく、それどころか、祈るたびにますます罪を重ねている罪人なのだ」(127頁) こうした見解が、バビロニア律法学院の学院長というユダヤ教界の最高権威から公開書簡で回答されていた。つまり「方便として」の信仰告白をしたものは背信者として永遠に救いはないものとされた。これに決死の覚悟で異を唱えたのが本書の主人公である。 「くだらない、間違いだらけの、無分別な回答」「剣を恐れてやむをえず戒律を破ってしまった人間と、自ら望んで戒律を破る人間の区別すらついていないのだ」(134-135頁)と痛罵し、「方便として」の信仰告白が許されることを聖書やタルムードから具体的に論拠を次々とあげて、「最高権威」を完膚なきまでに論破しつくす。 そして「信仰告白して生き延びよ」と「改宗」せざるを得なかった同胞たちに激励のメッセージを送るのだった。 この主人公のマイモニデスという呼称はラテン名だそうで、本書ではヘブライ語のモーセ・ベン・マイモンと記される。「モーセからモーセの間に、モーセのごとき者、一人としてなし」といわれるそうだ。最初のモーセは出エジプトを主導し十戒を授かった、あの有名なモーセのこと。二人目のモーセがこのマイモニデスである。父親はコルドバ出身の高名なラビ(ユダヤ教の宗教的指導者)であり裁判官。7代にもわたる賢者の系譜をもつ家柄である。本来であればその家系からしてラビか律法学院の教授あたりにおさまるのが順当であるが、長じてさまざまな迫害に耐えながら、野においてユダヤ哲学、法学、神学、医学、思想などの分野で後世に大きな影響を与えた。晩年は英雄サラディンの右腕ともいわれる法官ファーディルの懇請でアイユーブ朝の宮廷侍医にもなった。 ユダヤ世界では知らない人がいないほど誰もが知る大哲学者であるそうだが、私はこの本で初めて知った。「あとがき」によると、「出版社をあたってもマイモニデスを知る人がいない」「マイナーな題材」と、やはり反応は悪かったようだ。 それにしても「シオニストでもアラビストでもなく」「学生でも研究者でもなく」「会社を辞めて身ひとつでエジプトに渡った風来坊だった」という著者のもつ筆力のすごさに圧倒された。イスラームの中世を、学術的な目配りをきかせながらこのような冒険活劇に仕上げて物語れる、新しい書き手の登場をうれしく思う。 2018.4.1(か) |
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