近著探訪(28)

 蟠桃の夢 
天下は天下の天下なり     ■木村剛久 著・トランスビュー・2013年■
 山片蟠桃。大阪堂島の蔵元・升屋の番頭役をつとめていたことから自身を「蟠桃(ばんとう)」と称した。江戸時代後期の町人学者である。播磨国の生まれ。懐徳堂に学び、当時、流布していた言説の多くを「虚妄」と断じ、その論考は、現代の自然科学的・社会科学的な知見をも内包したものであった。天文から、宗教・歴史・経済など、さまざまな事象を実証的・合理的なアプローチで独創的に解釈。その論策をまとめたものが、代表的な著作『夢の代』である。
 と、まあ、以上のようにいわれているわけであるが、蟠桃そのものの全体像をうかがい知ることはむずかしい。じつはこの『蟠桃の夢』を手にするまで、主著『夢の代』の「代」を「シロ」なのか「ダイ」なのか、読み方からして不案内であった(「シロ」です。念のため)。バントウさんの語呂合わせばかりが印象的で、何を語り、何をした人なのか……。じつは何も知らなかった。私自身、蟠桃と同じ播磨生まれで、蟠桃を顕彰した碑もよく目にしているんだけど、ね。
 さて、まずはなによりも凄腕の経済人であった。コメを商い、そのコメを担保に大名貸しをしていた、金融の世界の人でもあった。升屋の最大の取引先は、借金棒引き癖のある、財政難の仙台藩。ピーク時には今のおカネにして300億円を超える額を貸し付け、いつ貸し倒れになってもおかしくない、薄氷の上の経営であった。
 そうした明日をも知れぬ、綱渡りの世界から、蟠桃は世間を冷徹に見つめ、その成り立ちを実践的に学び、体系立てていったのであろう。
「経済の本質は拡張にではなく、循環にこそある」という発想は、当時としてはとてつもなく斬新な発見であったにちがいない。貨幣と市場を媒介とする循環構造にこそ、経済の要があると見た。現代でいう、マネタリストといえるだろうか。
 時あたかも、田沼意次のバブル時代から、松平定信の質素倹約を旨とする「寛政の改革」により、急激なデフレに突入している。デフレ進行下での緊縮財政だから「循環」は起こりようがない。まさに現代の「失われた20年」に通じるところがある。蟠桃は、仙台藩の財政危機を乗り切るため、「升屋札」という、一種の銀行券まで発行している。声高に日銀に「輪転機を廻せ」なんて、ヤボなことはいわない。自分のところで刷ってしまうのだ。おカネを循環させる。くるくる回すことがデフレ脱却の要諦。これまた、最近何かと話題のアベノミクスのようにも見えてくる。
 しかし、「天下は天下の天下なり」からすると、レッセ・フェール。市場のことは市場に任せよ、である。ケインジアンではなさそうだ。幕府が米市場に介入することを戒めている。極端に走りすぎる松平定信に対しても献策している。
 いずれにせよ、蟠桃の経済を捉える目は、昨今の経済学の手法を先取りしていることに驚かされる。しかし、これほどに近代的な思索がなされたにもかかわらずに、儒教思想が随所にみられ、そこが蟠桃の「思想的限界」とする見方があるらしい。「あとがき」にそうあった。
「思想的限界」。はたしてそうだろうか。儒教=封建性といった単純な図式を信ずる浅薄な見方であると私は思う。成熟した、あるいは成熟しすぎてほぼ末期状態ともいえるかもしれない、現代資本主義体制に生きるわれわれにおいてでさえ、考え方・ものの見方・身の振る舞い方などに儒教的な残滓は見られる。だからといって非近代性(限界)を言挙げされてはちょっと待ってよ、となるだろう。これはこれ、あれはあれ、の処世術は、時代を超えて普遍である。
 幕府の正学であった朱子学の、観念的・形而上的イデオロギー性に異を唱える風潮は、仁斎、徂徠に遡って、すでに始まっていた。「論語」「孟子」の原点へ帰ろうとする古典回帰の動きは至る所で巻き起こっていた時代である。そう、時代はルネサンスだったのだ。そうした文脈で蟠桃をとらえたほうがわかりいい。懐徳堂そのものが朱子学の立場を鮮明にすることを目指していたにもかかわらず、朱子学を換骨奪胎して時世に合わせていく、プラグマティズムが躍動していた。そう見立てたるとすっきりしてくる。
 著者の次の一文が腑に落ちる。
「蟠桃はたとえてみれば、朱子学をオーソライズならぬオオサカナイズする。言い換えると、大坂での経験をもとに、朱子学が組み替えられ、さらに西洋科学が接続された」と。


 司馬遼太郎氏の提唱によって設けられた、 大阪府主催による第24回「山片蟠桃賞」は今年6月24日に開催されます。ご参考まで。
2013.4.3(か)
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