近著探訪(27)

 女ノマド、一人砂漠に生きる 
   ■常見藤代 著・集英社新書・2012年■
 この年末年始の1週間は、これまでにないくらい家に閉じこもり状態であった。出かけることもせず、数時間は仕事らしきことをしようと机に向かうがすぐに虚脱して、ぼーっと過ごしているうちにあっという間に日が暮れる。夜はメシを食って酒を飲んで10時には寝る。翌朝8時には起き出して、また前日と同じ繰り返し。睡眠たっぷりで、健康的で、規則正しい生活ではあるが、からだがひとところに居着いてしまっている。非生産的である。罪悪感を感じないでもない。でも動きたくない。これって引きこもりですね。外が寒いってことがいちばんの原因なんですが……。あかんたれ!
 こういう暮らしぶりを徹底的に嫌う「遊牧の民(ノマド)」をルポした本が『女ノマド、一人砂漠に生きる』である。
 著者が密着取材したのが、7頭のラクダを引き連れてたった一人で砂漠を移動しながら生きる、56歳のサイードというおばちゃんだ。炭で熱した地面で粗末なパンを焼き、サソリや毒蛇を警戒しながら、夜は満天の星のもと、砂の上で眠りに就く。書名の迫力からすると、何か特別な訳あって、こんな生活を強いられているんだろうか、なんて思ってしまうがそうじゃない。身寄りがないわけでもない。夫もあり、息子もいるし、大勢の孫にも恵まれている。言ってみれば、好きでやっているのである。こういう言い方をすればみもふたもないけれどね。「定住・定着」を人生の堕落としてとらえるのが、遊牧の民なのだ。彼らは「動くこと」「移動すること」に人生最大の価値を置く。イスラム圏をフィールドとする人類学者・片倉もとこ氏は、「移動哲学」と称している。
「人間が一つの場所にじっとしているのは頽廃を意味すると感じている」。人の心は、ひとところに居着いてしまうことで汚れてくるのだ。動くことで浄化されると考える。夫の不甲斐なさを「一カ所に居すわりすぎたんだわ」と嘆く妻の言葉が紹介されている。(『アラビア・ノート』片倉もとこ著・NHKブックス・1979年)。
 しかし、近年では、若い人たちは砂漠の厳しい生活を嫌って、町に住もうとする傾向があるようだ。サイードの息子夫婦も町に定住している。遊牧を生業とする生活から、都市化するにつれ、職業の選択の幅が増えてきたわけであるが、そうした元遊牧民にしても、「移動している連中を羨ましがったり、心の底では移動への希求は失っていない」と片倉氏は前出の本の中で述べている。
 ともあれ、まったく私たちとは正反対の哲学である。「落ち着きがない」とはネガティブな表現。私なんか「ちょかちょかしなさんな」と怒られて育った。人はいずれ「落ち着いていく」のが正しいありようと考えるのは私たち定着型社会の観念である。「石の上にも三年」なのだ。
「A rolling stone gathers no moss(転がる石に苔はむさない)」とは、「苔もむさないほど、転職や引っ越しを繰り返していては何も得られるものはない」と英国では捉えられている。しかし、アメリカでは逆の意味になるそうだ。「苔など生える暇もなく活発に動くこと」「積極的・行動的でないと苔が生えてしまうぞ」と、「じっとしていること」を戒める諺になる。2013.1.12(か)
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