●ななまる通信(巻2):No.2●平七丸
 ●開眼する●
「無趣味が趣味」というほどに私は趣味というものをもたない人間である。が、あえて趣味っぽいものをあげろといわれれば「カメラ」と答えている。誤解されるといけないので、急いで付け加えるが、頻繁に写真を撮っているわけではない。子供の運動会や誕生会、家族で出かけた旅行のスナップなど、事がなければまったくカメラをいじることがない。36枚撮りを使い切るのに数カ月を要する。取り残しのフィルムが半年ぶりに現像されるということも珍しくない。ごこごく平均的な、ふだんカメラを意識しない人たちと変わるところがない。いや、携帯電話に付属したカメラを日常茶飯時に利用する最近の風潮からすれば、この程度のつきあいであれば、わたしなどは、カメラという代物とは無縁の人間に分類されるのかもしれない。だけど、カメラが好きなのです。
 カメラや写真にかんする本はたくさん読んだ。ハウツー本から評論まで。とくにプロが使っている機材が云々されている文章はこまかくチェックした。ニコンなのか、キャノンなのか、はたまたライカなのか。レンズはなにか、露出の設定は、フィルムは……。
 これほどに学習したというのにわたしの力量はといえば、はっきりヘタなのです。アームチェアー・カメラマンですね。オートフォーカスなのにピンぼけしてしまう。露出がオーバーであったりアンダーであったり、まともに仕上がらない。子供のかけっこを撮るとフレームからはずれてしまう。悲しい。
 理屈はわかっているのだけれど、瞬時に的確な行動がとれないのだ。頭の回転もからだの瞬発力も衰えている。なのに、理屈っぽくなっているぶん、力量以上の撮り方にこだわっているバカであったのだ。それがつい最近わかった。
 自分にとってはながく禁じ手であったプログラムオートで撮ってみた。カメラ自身がコンピュータ制御によりちゃあんとシャッター速度から露出まで適正に決めてくれる。むつかしいことは考えない。むつかしいことはカメラが考えてくれている。静かにシャッターを押すだけ。これは堕落である。機械任せの人生がしあわせなのか? カッコわるいじゃないか。わずかに残るわたしの美学であったのです。
 しかし、写真の仕上がりはみるみるよくなった。ずいぶんシャキッとした写真が撮れるようになった。まさに我執を捨てて、開眼した!わけです。美しい写真を見るのはうれしい。

 最後に買ったカメラ本、1冊。『プロの撮り方』(ナショナルジオグラフィック社)。今後カメラの本を買うことはおそらくないであろう。
ななまる通信(巻2):No.1
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