補遺:鶴見的情熱「ナマコの眼」■■庄野 護
『ナマコの眼(まなこ)』。鶴見良行は生前周りの親しい人たちに、書名の正しい読み方を説くことがあった。海底のナマコの眼(まなこ)を通して世界を見る作業をしたのだ、といいたかったのだろう。「鶴見良行のメラネシア紀行(もうひとつの「ナマコの眼」)」のアップ後、鶴見良行の著作『ナマコの眼』について友人から次のような手紙をもらった。
「『ナマコの眼』は結局、私、読んでおりません。『ちくま』のPR誌に連載の頃、何度かトライしたのですが、読み通せませんでした。徹底したリアリズムの積み重ねという手法は、資料性は高いのですが、<読み物>としてはしんどいものです。
 リアリズムの処理の仕方。リアリズムと著者の演繹手法のからみが読み手へのサービスだと私は考えております。データをえんえんと投げ出されても一般読者はつらいです。多くの読み手は、手っ取り早く全体をばくっとつかんで一般化・テーマ化する手法を求めています。そうでなければ、読み手は満足しません。データは多ければ多いほどいいですが、それを思い切って捨象して、象徴的な事例におしとどめ、大づかみのテーマを提示すると、「つかみ」がよくなります。元となるデータはすべて読者に開示する必要はないように思います。(さまざまな批判・批評にたいしての隠し球でいいでしょう)。」
 この手紙は、鶴見良行の本の書き手としての欠点と長所を明示していると思う。鶴見は本を書きながら、事実の探求に夢中になった。それが、そのまま活字になったのが鶴見の著作である。夢中になる鶴見の情熱に付き合いきれる読者は、少数だと思う。鶴見の著作は、どの本も売れた部数ほど本当の読者を獲得していない。「買ったけど、読んでない」という読者は、多い。しかし、鶴見の本に「買わせる力」があったことは、事実である。それは、やはり、書き手としての鶴見が著作の中に残した鶴見的情熱であったのではないかと思う。
南船北馬舎

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