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「ポテトはよろしかったですか?」(3)
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《過去形と丁寧表現》補遺
賀陽 捷(かや・しょう)
前回、過去形表現が丁寧さを表すという英語文法を日本語に適用してみました。そこから「よろしかったですか?」を文法的に正しいと援護する解釈を書き連ねました。素人考えの強引さを反省しながらも、私自身が「よろしかったですか」に違和を覚えない理由を自分なりに腑に落としてみたいと思ったのです。
過日、面白い記事に出会いました。<「よろしかったでしょうか」は「文法的にはよろしいのでは」>と題する大阪外大の小矢野哲夫教授(日本語学)の解釈です(2006年12月12日神戸新聞)。「よろしかったでしょうか」は誤用ではなく「適切な用法」であると、断言されているのです。
先生の説明によると、「叙想的テンス」と呼ばれる過去形の用法とされ、例えば捜し物を見つけたときの「あった!」と思わず口にするフレーズや、
「そうだ、会議があったんだ」やら、「お名前、何でしたっけ」というのは時間的過去を表現しているのではなく、期待の実現、思い出し、儀礼などを表現しているのだそうです。「よろしかったでしょうか」もその範疇の用法で、叙想的テンスの「確認の要求」に当たると説明されています。
さらに私も前回、北海道の方言「煎餅、よかったですかあ」を紹介しましたが、この記事にも北海道の例が引用されていました。北海道では電話に出た人がいきなり「山田でした」と名乗るのだそうです。これ、「丁寧な表現」なんですね。
専門家の解釈を読みながら、大筋では私の解釈も「よろしかったのでは…」と自画自賛しております。
では、このへんで。
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