旧著探訪 (23)

 食と文化の謎 Good to eatの人類学  ■マーヴィン・ハリス著・岩波書店・1988年■ 
海・呼吸・古代形象
 国連の食糧農業機関(FAO)が「昆虫食のススメ」という報告書をまとめたという報道を目にした(2013.5.13)。
「昆虫を食べる量を増やせば、世界の健康と富の増進や環境改善に役立つ」「昆虫は、肉や魚に比べてタンパク質の含有量や質が高く、食物繊維や銅、鉄分、マグネシウム、リン、セレン、亜鉛などの栄養分も豊富に含まれる」だとか。
 記者会見でタイの専門家は「特に蛾の幼虫は味が良く、ハーブを添えて油で揚げるとおいしい」と力説したとある。
 蛾のフライ……、か。うーん。
 ずいぶん前に出した、馬場章夫さんの『地球道中膝栗毛 バンちゃんの旅のおもしろ珍類学』(1991年)という本の中で、タイの昆虫市場をルポした一節がある。ゴキブリとよく似た大タガメ(メンダー)の話。一般にはペースト状にして調味料として利用されるらしい。「たまらんほど臭い」そうだが、ともかく1匹をむしゃむしゃ食べて、頭のところについている堅いハサミの部分を爪楊枝代わりにした……とバンちゃんらしいホラ話で終わっている。……正直、私はちょっと苦手である。というか、かなり苦手である。
 テレビ番組で若いタレントの女の子が、辺境の地を旅し、そこで食されている料理をごちそうになる。その食材がヘビであったり、虫であったりすると、ぎゃーぎゃー騒ぎ回り、あからさまにそんなものは食えないと狂態をさらす。私はテレビのこちら側で「失礼だろっ!」と苦虫を噛んでいる。が、じつのところは、私もその女の子と同じで、心中穏やかではいられない。そんな料理を目の前にしたら卒倒してしまうかもしれない。ゴキブリだって、嫁さんに殺してもらうほどなんだから。あたまでは「文化の多様性」とやらはわかっちゃあいるんだけれど。
 私のような、虫を口に入れると考えただけで怖じ気づいてしまうタイプと、かたや昆虫を積極的に好んで食べる人たちがいる。現在、世界でおよそ20億人がすでに1900種類の昆虫を食べているらしい。本書『食と文化の謎』は、何がそのような食文化の差異を生み出したのか、このあたりの謎を解き明かしてくれている。
 ハリスの主張は、生態学者が唱える「最善採餌理論」(optimal foraging theory)というものに依拠している。昆虫食の問題だけでなく、ヒンドゥー教徒はなぜ牛を食べないのか、ムスリムはなぜ豚をタブー視するのか、人は飼っているペットをなぜ食用としないのか、食人行為はどうなのか。こういった一見、恣意的な文化的・宗教的価値に基づくとされる固有の風習や規範を、徹底した唯物論的アプローチで解き明かしていく。
 つまりは、私たちの手持ちの食物リストは、コストとベネフィットの比較考量の結果である、と考える。その食材を獲得するために費やされる経済的・政治的・人的エネルギー(コスト)と、その食材から摂取できる栄養カロリー(ベネフィット)。これらコストとベネフィットのパフォーマンスが最適になるよう人類は目指してきたと。すべてが損得勘定の問題に収束する。そして長い時間のなかで最適化された結果が、現在それぞれの民族が有する食物リストというわけである。
 昆虫食でいえば、「昆虫はつかまえやすく、重量あたりのカロリーと蛋白質の収益率は高いかもしれないが、大型哺乳類や魚にくらべて、(略)それをつかまえ、料理して得られる益は非常に小さい。それゆえ、大型脊椎動物を手に入れる機会が少ない社会ほど、(略)昆虫類をたくさん食べるのではないか」という仮説にたどり着く。
 人肉に関してはこうだ。戦争で捕獲した捕虜や奴隷を食べるかどうか、の問題。食べてしまったほうが動物性食物を手っ取り早くコストパフォーマンスにすぐれて摂取できるとする社会なのか、あるいは、捕虜を生かしておいて、彼らを動物性食物の生産に従事させたほうが、損得勘定からすれば有利となる社会なのか。南米アステカ人の戦争カニバリズムをそうしたロジックで説明している。
 人類学という学問が確立してきた「文化の多様性・価値観の多様性」を真っ向から否定してきたハリスは、学会では「考えただけで吐き気をもよおす、(略)人類学者の部類に入れるなど身の毛のよだつ、いかがわしく、うさんくさく、おぞましい存在」なのだそうだ(あとがきより)。ここまで邪悪視される学者というのもめずらしい。
 ハリスに従えば、冒頭の「昆虫食のススメ」もいくら国連が音頭をとっても、いくら素敵なレシピが開発されたとしても、非昆虫食社会では今のところ受け入れられないだろう....。いずれ、最善採餌理論が導くところに行き着くはずである。2013.6.10(か)
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