旧著探訪 (21)

 女が学者になるとき    ■倉沢愛子・草思社・1998年■ 

 小舎刊『南方特別留学生ラザクの「戦後」』を編集しているとき、関連書として手にした倉沢愛子『南方特別留学生が見た戦時下の日本人』(草思社・1997年)がきっかけとなって知った本だ。「女が学者になるとき」なんて、趣味わるっ!とタイトルだけでは興味をもたなかったかもしれない。
 1960年代後半、学生だった著者が「日本占領下のインドネシア」を研究テーマとして選び、インドネシアに留学。さらにアメリカの東南アジア研究のメッカ・コーネル大学で学び、その後、かつての宗主国オランダで関連文献にあたる。ふたたびインドネシアに戻ってフィールドでの聞き取り調査に没頭。30代半ば、10年ぶりに日本に戻り、大学教員の職を得る。学生時代に結婚していた夫との長い別居生活にようやく終止符かと思いきや、ほどなく離婚。あれれ。しかし電撃的に再婚して「マル高」(高齢出産)をやり遂げ、今度は夫婦そろってアメリカへ。そこで15年に及ぶ研究成果が博士論文として結実する──。
 公私にわたるエピソードが私小説風に描かれていて、めっぽう面白い。学者というより手練れの作家の「半生記」のよう。もちろん作家ではなく学者であるから、研究作業の詳細がずいしょに書き込まれていて、その学問的知見もこれまた興味深い。
 ネットで「倉沢愛子」と検索すると、彼女を「売国奴」扱いにするブログがやたら目立つ。従軍慰安婦についての彼女の見解やら主張が問題らしい。私はそうした言説に接していないので、なんともいえないが、本書で示されるフィールド(聞き取り)と文献を行きつ戻りつしながら、一方の評価だけで結論を急ぐではなく、留保を加えながら進められた研究過程には多くを教えられた。
 とある村での日本軍への米供出率の実態を一例に挙げる。
 農家が収穫した籾のうち、1943年にはその7%を、翌44年には10%を、日本軍へ安い価格で売り渡すよう求められていたのだが、実際には50%を超えるものとなり、食糧不足になって多くの農民が苦しむこととなった。文献だけでは「日本軍の要求は1割ほどなんだからたいしたことはない」となり、村の人の証言では「日本軍はひどいことをした」となる。
 実態は、日本軍からの命令が、州から県へ、そして郡へと、地方レベルに下ろされていくにつれて、各段階で割当量が水増しされていく。与えられた目標が達成されなかった場合を想定してのことである。そして供出された籾は、下から上へ吸い上げられていく過程で、そこに介在するさまざまな人が不正をおこない、また運搬・保管上の不備もあったりして、どんどん目減りしていき、日本軍の元に届くころになると、ほぼ7〜10%に収まる、といった仕組みであった。
「制度」と「その運用」と、その渦中にある生身の人間のふるまい。それぞれを丹念に積み重ねていくことで、いわゆる「認識」のちがいといったものの発生メカニズムがみえてきた。
2012.9.22(か)
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