近著探訪(54)

言語が違えば、世界も違って見えるわけ ■ガイ・ドイッチャー著(椋田直子訳)・早川書房・2022年■

「言語が違えば、世界も違って見えるわけ」

 ガイ・ドイッチャー『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』(椋田直子訳、ハヤカワ文庫、2022年)を目にしたときは、今さら感を覚えなくもなかった。言語と世界の関係は、東洋哲学の知見からはもうとっくの昔に結論が出ている。私たちがふだん目にしているこの経験的な現象界に立ち現われている「存在」は、私たちが恣意的に言葉でもって区切った結果、生まれてきたのだということに尽きるのだった。だから、言語が違えば、言い換えれば区切り方が違えば、この世界(経験的現象界)は違って生まれてくるし、当然見え方も変わってくる。違って見える「わけ」は、区切り方にある。
 哲学者・井筒俊彦はこうした区切りを「分節」と呼んだ。原初の無分節状態の絶対的存在を恣意的に言葉でもって区切る。するとその一区切りがひとつの「もの」や「意味」として表象されるのだ。このようにいくつにも区切りがなされて分節化がすすんでいって、私たちを取り巻いている森羅万象が現前しているというわけである。イスラームのスーフィズム(神秘主義)の立場からは、リアリティをもって「存在」しているのはその宇宙に遍在する、絶対無分節の形而上的実在のみとされる。なにも区切りをもたない。分節以前のたった一つの絶対的存在。それが一つ一つ言葉でもって区切られてこの世の万物が生まれてきた。それらはただ単に言葉で区切られただけに過ぎず、それぞれの分節内に固有の本質があるわけではない。ひとつがすべて。すべてがひとつ。だから「花が存在する」のではなく、「存在が花する」という表現が可能になるのだった(井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』岩波新書、1980)。たまたまに「存在」が「花」に分節されただけで、花という、独自の固定的な本質が顕現したというのではない。「花」であっても「石」であっても「存在」そのものは偶有性に過ぎない。
 こうしたことを仏教の「空」の哲学からアプローチすれば、私たちの目に映るこの世界を空(くう)じて、空じて、空じつくしたその先に、言い換えれば幾千万にも分節された私たちの世界を無分節状態の根源へと遡行していけば、最後は「無」にいきつくのだった。色即是空。個々の「存在」は縁起によって全体的な関連性の中で表象されたイメージに過ぎず、個々の実体はない。イスラームの神秘主義において遡行的極限の一点が唯一の絶対的存在リアリティに収斂するのに対して、仏教における遡行的極限は雲散霧消して「無」に帰する。究極のかたちは違えども世界は分節されることによって個々の「存在」があたかも実在するかのようにふるまうのだった。
 ……ってなふうにわかったようなことを書いてしまったが、生半可な知識で本書の第一章を読みかけていきなり一撃を食らった。
 古代には色がなかったか?というテーマであった。ここでいう色は色即是空の「色」ではなく、文字通り即物的にカラー(色彩)そのもののことである。7色の虹がお国によって5色になったりすることはよく耳にする。しかしこれだって色名(言葉)で5つに区切るか、7つに区切るかにつきるわけであるけれど、ただ本書のアプローチは言語哲学的に読み解いていくのではなく、実証科学的手法で検証していくやり方なのだった。ちょっと勝手が違う。
 そもそもは、英国の著名な政治家であり、かつホメロスの叙事詩(『イリアス』『オデュッセイア』)の研究家でもあったグラッドストン(1809-98)の手になる『ホメロスおよびホメロスの時代研究』(1858)という大部の著作に始まる。その第3巻に収められた「ホメロスの色彩感覚と色の使い方」という章で、ホメロスの作品には、色の描写においてどこか奇妙なところがあることを指摘しているのだった。「ホメロスと同時代人たちは世界を総天然色というより、白黒に近いものとして知覚していた」というのである。『イリアス』や『オデュッセイア』のなかでの表現に、海は「葡萄酒(すみれ)色」と形容され、羊は「厚いすみれ色の毛に覆われて」おり、同様に鉄も「すみれ色」であり、蜂蜜は緑色になる。総じてホメロスの作品内の描写にはきわめて色彩に乏しい特徴があることを指摘するのだった。古代ギリシャ人は全体的に色弱だったのか!?
 当時、グラッドストンの発見にたいして同時代人たちは十把一絡げに「詩的許容」として、あるいはホメロスが盲目であったという伝説的解釈でもって一蹴した。
 グラッドストンの解釈はこうだ。
「色彩の秩序ある体系に目が慣れて」いってはじめて様々な色彩が知覚できるとする。「色彩知覚の訓練」「目の教育」を受けず「自然の色に行き当たりばったりに接するだけでは」世界は天然色として立ち現われてこないというのであった。
 幼少時、24色のクレヨンを与えられて、そこから世界を24色に区切る(分節する)ことを学び、その後漸進的に色覚が向上していって、ついには天然色の世界が意識されてくるという理屈であろうか。
 であれば〈「異境に住む未開の人々」が謎を解く鍵を握っているかもしれない〉と考えられた。ベルリン人類学会の創設者であるウイルヒョーが1878年、ヌビア人を調査したところ、かれらは〈「青」を表す言葉を持たず、青い毛糸をある者は「黒」、ある者は「緑」と呼んだ。黄色、緑、灰色を区別せず、この三つを同じひとつの単語で呼ぶ者もいた〉。
 区別しないだけで、色の違いが見て取れないわけではない。様々な「未開」とされる種族を対象に色とりどりの毛糸の束から同じ色を選別させるという色覚検査を実施したところ、誰もが正しく選ぶことができた。つまり、どれほどに「未開」であっても、「目の教育」を受けておらずとも、すべての種族が間違うことなく多様な色彩を識別できるということだ。ナミビアのオヴァヘレロ族は緑と青を見分けられるが「同じ色の濃さが違うだけなのに違う名前をつけるのは馬鹿げている」と考えるらしい。必要があれば分節するが、必要がなければ分節するまでもないということだ。
 ホメロスの叙事詩に戻ると、あれほどの詩人でありながら色彩描写がほとんどない、その不思議がきっかけで始まった問題提起であった。〈詩人を自負しながら「緑の草地とかなたの紺碧の空」に詩想をかきたてられたことのない者がいるだろうか〉〈「ヒナギクの青いスミレ」「銀白色のタネツケバナ」「黄色いキンポウゲ」が「牧草地を喜びで染め上げる」季節の歓喜を歌ったことのない詩人がいるだろうか〉〈ゲーテは、可視の自然全体に広がるさまざまな色彩の魅力には、誰も無感覚ではいられないと書いた〉。
 しかし、こうした発想そのものが「近代」に引き寄せた物言いなってしまっているのではないか。古代人において自然の豊かな色彩を叙景する精神なんてそもそもなかったのだ。それは、初期万葉の時代には「叙景歌」というものはなかったと、あの碩学白川静が喝破したのではなかったか。古代には景色がなかった。景色を愛でるという発想がなかった。
「叙景詩は社会詩や政治詩など、現実的なものを遙かに超えたところに成立する」(白川静『初期万葉論』中公文庫、2002)。
 叙景が成立しない限り、色彩を細かに表現する必要などない。必要がなければ、自然の描写は単純かつ貧弱でありつづける。そう考えられないだろうか。
「西洋ではアリストテレス以来文芸のジャンルとして叙事詩(Epik)抒情詩(Lyrik)劇詩(Dramatik)の三概念を区別するが、叙景詩という概念はない」(瀧内槇雄「叙景論」/『文芸言語研究15巻』所収、筑波大学、1989)のだそうだ。
 白川静によれば、西洋において「叙景」が生まれるのは、ほとんど近代にはいってからのことであったらしい(『初期万葉論』)。
 つまりは、叙景の精神を得たことで、私たちはこの世界を色彩豊かに分節しはじめたということではないかしら。
2022.6.28 (か)
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