近著探訪(38)

 世界の辺境とハードボイルド室町時代  
■高野秀行/清水克行 著・集英社・2015年■
「異種格闘」といえば、アントニオ猪木(新日本プロレス)と、モハメド・アリ(WBA・WBC世界ヘビー級チャンピオン)の、プロレスラーとプロボクサーとのあいだでおこなわれた格闘技世界一決定戦を思い出す。1976年のことだ。「世紀の一戦」との前評判であったが、結果は「世紀の茶番」となって散々な酷評が吹き荒れた。たしかに、試合では、アリの足下に寝ころび、寝技に持ち込もうとする猪木と、スタンディング・ポーズでなすすべもなく、口八丁の挑発を繰り返すだけのアリ……。なんのドラマも起こりそうにない退屈なテレビ画面をうんざりしながら眺めていた。試合にならなかった。双方決定打のないまま3分15ラウンドを終えて引き分け。観客はリンク上の二人に、物を投げつけ、罵声を浴びせかけ、大いに荒れた。そもそもは試合ルールの立て方(猪木にとって一方的に不利なものであった)に問題があったときく。
 本書は、世界の辺境の地に分け入ってエンタメ系ノンフィクション作品を著す、作家の高野秀行氏と、日本中世史を専門とする明治大学教授の清水克行氏のあいだで繰り広げられた、いわば「異種格闘」の対談本である。武闘の世界ではなく、知の世界での格闘はかみ合えばまったく予想もしなかった奇想天外な知見や、新たな世界観を提示してくれる。室町時代の日本と、東アフリカのソマリアという、一見なんの関わりもないと思われる二つの社会から、意外な共通点がいくつもあぶり出され、興味は尽きない。
 そもそもこの異色の対談は、『謎の独立国家ソマリランド』(高野秀行著)を読んだ映画評論家の柳下毅一郎氏が「ソマリ氏族の庇護と報復のシステムは『喧嘩両成敗の誕生』(清水克行著)で描かれている室町時代の日本社会と同じ」とツイッターでつぶやいたことがきっかけとなったらしい。本書で取り上げられている驚きの類似点をここで一つ一つ種明かししてしまうのは無粋なので書かないが、ソマリアと室町社会の大前提となっている共通の時代背景だけは記しておきたい。まずは公権力による法の支配が世に広まりつつありながらも、土俗的・因習的な掟の世界がしっかりと存在し、重層的な法秩序のなかに人々が生きている点。それと、都市を舞台に勃発した大規模な内戦の存在。いまもって収束のめども立たないソマリア内戦(首都モガディショは無政府状態)と、現代京都人が「先の大戦」と称する、京の都を焼尽させた応仁の乱である。

 本書「はじめに」で高野氏が記している。「アジアやアフリカの人々の行動や習慣は、(略)日本史を通して考えれば、『あ、そういうことか』と腑に落ちる瞬間がある」。「要するに、『世界の辺境』と『昔の日本』はともに現代の我々にとって異文化世界であり、二つを比較照合することで、両者を立体的に浮かび上がらせることが可能になるのだ」と。
 ただここであえて強調しておきたいのは、「日本史」「昔の日本」といった漠としたものではなく、「室町時代の日本」という点がポイントだと思う。
 かつて内藤虎次郎(湖南)はその著『日本文化史研究』でこう述べている。「大體今日の日本を知る為に日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆どありませぬ、應仁の亂以後の歴史を知って居ったらそれで澤山です。それ以前の事は外國の歴史と同じ位にしか感ぜられませぬ」。
 本書でも、「日本の伝統社会を形づくってきた『ムラ』が初めて明確に姿を現したのは、応仁の乱前後のことです」(清水)とある。1970年代あたりまでの日本を特徴づけてきた文化的基層をなす「ムラ」社会は、この室町時代に始まった。地縁でつながった村落共同体の中で日本人のエートスが醸成されてきた。応仁の乱以前に現代につながる日本はなく、応仁の乱以後になって、今を生きる私たちの心性にまっすぐにつながってくる。
 つまり「室町時代」というルール(時代設定)が立てられたことで、「異種格闘」ではありながらも、学問的に有意で、スリリングな対話になったのだと思う。
2015.12.10(か)

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