近著探訪(37)

 イスラーム 生と死と聖戦 
 ■中田 考 著・集英社新書・2015年■
 フランスのシャルリー・エブド事件で幕開けした2015年は、事件を総括する間もなく、「イスラム国」による2人の日本人人質殺害事件へと流れ込み、報道される海外関連のニュースは完全にイスラーム一色となってしまった。昨年の夏あたりから「イスラム国」を取り上げたニュースをちらほら目にするようになって、イスラームをテーマにした出版物はすでに目立ってきてはいたが、ここになって堰を切ったようにあふれ出し、留まるところを知らない。おかげで、あれもこれもと何冊も買い求め、早く読まなきゃと焦りはするが、遅々として進まず、あげくに積ん読状態が続き、ストレスフルな日々を送っている。しかも現実世界はどんどんと突き進み、リビアでコプト教徒のエジプト人21人が殺害されたニュースが駆けめぐったかと思うと、今度はチュニジアで邦人3名を含む観光客20人以上が犠牲となるテロ事件があった。そして、一昨日(3月20日)、イエメンの首都サヌアでシーア派モスクを狙った自爆テロが決行され、死者140人超と報道されている。
 イラク・シリア地域から遠く離れたところで引き起こされている、いずれの事件もイスラム国が犯行声明を出しているが、イスラム国から直接的な指令がなされていたわけではなく、おそらくは、「世界に拡散する勝手連」(『イスラム国とは何か』常岡浩介著・旬報社)現象というものであろう。事を起こした組織がイスラム国への連帯を世界に表明することで、イスラム国が事後にお墨付きを与えるといった流れである。「勝手にさまざまなところからぼこぼこ出てきて、ゆるい連携で統制がとれないかたち」をとり、「こういう動きは、これからも続くであろうし、勝手連を押さえ込むのは不可能」……。著者の常岡氏の見立てによれば、こうした事態はますます悪化の一途であろうと悲観されている。
 さて今回は、ここ最近、イスラム国がらみで話題になった数ある書籍のうちからすこし毛色の変わった内容の新書を取り上げたい。イスラム国そのものを直接的に扱ったものでなく、イスラーム法(シャリーア)の視点から、イスラームの死生観や、行動原理を解き明かしてくれる、日本人向けシャリーア入門の書『イスラーム 生と死と聖戦』(中田考著・集英社新書)である。
 著者の中田考さんは昨年10月、「イスラム国」への参加を希望する北大生を仲介しようとしたことで、「私戦予備・陰謀」罪の容疑者となり、世間から好奇の的となった人物である。以後、中田氏自身の、イスラームの神髄から演繹されたさまざまなコメントが新聞やテレビで流れ出すにつれ、その内容が日本社会の通念からずいぶんと違和を感じさせるものであったため、中田氏に対して、得体の知れなさ・不気味さを多くの人が感じたようである。たとえば朝日新聞のインタビューで「人生は面白く生きて面白く死ねばいい。死にたいという人には『いいところがある』と伝える」(2014年10月9日朝刊)といった内容などは、不謹慎であるという誹りを受けそうであるし、実際、中田氏のことを「怪しい奴」「イスラム国のリクルーター」などと中傷する内容のものがネット空間ではおおく見受けられた。
 中田氏のイスラーム法学者としての、国内最高峰の、比類なき学知は、イスラームの専門家である内藤正典氏や池内恵氏などがことあるごとに言及しているので少しずつ理解されてきてはいるが、それでも池内氏は本書「解説」で、「カルト」と片付けられ、「漠然とした悪印象のみを日本社会に残し」、「中田さんのイスラーム法に基づいた論理や主張は誰からも理解されることがない」ままに、「最悪の結果に終わる」のではないかという危惧を記している。そうした危うい状況下にある中田氏(ご本人はそれほどの危機感を感じておられるようではなさそうではある)が、一般読者向けにイスラーム法を平易に解説した本書を上梓されたことは、著者自身にとっても、また多くの非ムスリムである日本人にとっても、タイムリーであり、慶賀の至りであったと、愛読者の一人としてつよく感じた次第である。
 私個人としては、イスラーム世界に対してこれまで漠然と感じていた疑問が本書を通していくつも解決できた。そのひとつ、「イスラム国」とはまったく関係のない話題であるが、もっとも衝撃をもって読んだトピックを紹介しておこう。
 いわく「イスラームの世界観の基本はアニミズムです」というもの。「イスラーム=八百万の神々」って!? 実は正直に話すと、「クルアーン」に出てくる天使ジブリールやジン(幽精)に、人間でもなく、神でもない、幽霊のような、魔法使いのような人間以外の存在に、不思議を感じていた。一神教の世界における神と人間以外に、意識を持つ存在とは何なのだろう? 神々の一種とも思えるような変な存在……。唯一神の世界における八百万の神とはいったい何なんだ!?と。
 ムスリムの「信仰告白(シャハーダ)」の大切なフレーズである「ラー・イラーハ・イッラ・ラー」は英語にすると、No god but Allah(アッラー/以外に/神は/なし)となるらしい。「ラー」は「ない」「イラーハ」が「神」、「イッララー」は「イッラー」(「以外に」)と「アッラー(God)」がリエゾンしたものだそうだ。このイラーハ(一般名詞のgod)が、日本でいうところの八百万の神とイコールではないと腑に落としておくことが勘所であった。
「神という言葉を自然界と人間界を貫く普遍的な原理と置き換えてみたらどうでしょうか」とは、著者からのアドバイス。なるほど! 日本ではお馴染みの、受験の神様やトイレの神様、台所の神様のような神々が、世界を貫く普遍的な原理を担保しているというわけでは、たしかに、ない。「普遍的な原理が複数あったら、おかしなことになります。ある原理が普遍であったら、それ以外の原理は普遍とはいえません」。「日本の神々は、たとえばアラビア語で『ルーフ』と呼ばれる霊や、『ジン』と呼ばれるものに似ています」との解説であった。
 アニミズムは、「物に霊が宿るという考え方」。霊それ自体は普遍的な原理でも何でもない。イスラームの世界では、森羅万象すべてが霊的存在であり、それらがそれぞれの言葉でアッラーを讃えているのだそうだ。だからイスラームの世界観はアニミズムに通じるのだった。
2015.3.22(か)
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