|
|
『村田エフェンディ滞土録』 ■梨木香歩 著/角川文庫/2007年■ |
|
|
1890年、オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が紀伊半島の沖合で悪天候の中、岩礁に衝突し難破するという海難事故があった。地元の警察隊や住民たちによる懸命の救助活動がなされたが、乗員650名中587名が死亡するという大惨事となった。義心に駆られた山田寅次郎という、当時24歳の一熱血青年がその犠牲者への義捐金を自ら募り、はるばるオスマン政府まで届ける。山田は熱烈に歓迎され、時の皇帝アブドゥル・ハミト2世から士官向けに日本語教育を要請され、国賓待遇でかの地に滞在することとなる。その後、皇帝から様々な便宜を図られ、イスタンブールを拠点に日土貿易の事業にも乗り出し、結局第1次世界大戦の勃発まで通算して約20年にもおよぶ滞在となった。この山田が、梨木香歩『村田エフェンディ滞土録』(角川文庫、2007年)に登場する。舞台は19世紀末のイスタンブールである。
当時のオスマン帝国は「瀕死の病人」と形容されるほどに、「飢えたハゲタカのような欧羅巴列強の餌食」となって断末魔の苦しみにあった。だから、明治維新を経て近代化に邁進し、列強に伍して国力をつけつつある、遠く極東の日本に対して「尊敬の念と親近感」を多くのトルコ人は抱いていた。山田ら現地に滞在する日本人にとってはいい時代であったわけだ。皇帝が両国の友好をさらに深めんがため日本人学者1名をトルコ文化研究(考古学)に招聘することなる。そこで選抜されたのがこの物語の主人公、村田エフェンディ(エフェンディはトルコ語で「先生」の意)という舞台設定である。物語の背景は史実にのっとったものであるけれど小説(フィクション)である。念のため。 おもな登場人物を紹介しておくと──。 村田先生が下宿する屋敷のオーナーは英国人のディクソン夫人。娘一家に付いてこの国へやって来た。娘夫婦が英国へ戻ったあとも夫人だけがこの地にとどまり、下宿屋を営みながら、ムスリマの婦人たちに英語仏語を教えている。信心深いクリスチャン。多様な文化のあり方をバランスよく受け止め、宗教・民族の違いを乗り越えて互いを尊重し合おうと心がける博愛主義者。ときに西洋的価値観からの優越的・啓蒙的な押し付けがましさを感じさせないでもないが、悪気はない。明治男の村田がとても喉を通せそうにない、異国の料理を前にとまどっていると小さな声で「文化ですから」と村田にささやく。知的で面倒見のいい女主人である。 村田のほかに下宿人として若い考古学者が二人いる。ひとりはドイツ人のオットー。すべてに理が先行する、合理精神の権化である。神は古代イスラエルの部族神から「出発した」もので、人間社会のありように応じて変容し、社会が滅びたとき、その神も滅びる。「つまり(神とは)関係性の産物ですから」とあっけらかんと発言し、ディクソン夫人を陰鬱にさせてしまうことも。 もう一人の学者はギリシャ人のディミィトリス。ギリシャ正教徒。滅びゆくビザンツの悲劇性に耽溺するロマンチスト。哲学的で箴言めいた、含蓄のあるフレーズをぽつりと口にしたりする。考古学談義に夢中になる学者3人に「何がそんなに楽しいのか」とあきれる夫人に、「人は過去なくして存在することは出来ない」と誰に言うともなく呟いて、村田先生を大いに感動させてしまうことも……。 そしていま一人に、料理人兼雑用係のトルコ人のムハンマドがいる。誇り高き回教徒。にわか仏教徒である村田はこのムハンマドから仏教の教えは何かと問われ、大いにうろたえてとりあえず「慈悲」と答えを絞り出したところ「異教徒にしては悪くない」とほめられる。すぐさま夫人からは「口を慎みなさい、ムハンマド」と叱責が飛んだ。図らずも多神教的なふるまいをみせてしまう村田にムハンマドはどこか上から目線である。 このムハンマドが通りで拾ってきた1羽の鸚鵡がいる。物語では実に重要な役回りを担う。人間たちの会話に間合いを計って天才的なひと言を大音声で叫ぶのだ。ディミィトリスの気の利いた哲学的な物言いには「悪いものを喰っただろう」とがさつな声色で皮肉を飛ばし、憤怒に満たされるともううんざりとばかり「It's enough!(もういいだろう)」とドスをきかす。機嫌がいいと「友よ!」と甲高く、不穏さを感じると「いよいよ革命だ!」と騒ぐ。ときにはラテン語で「ディスケ・ガウデーレ(楽しむことを学べ)」なんてセネカの言葉を発する。人間嫌いの学者の家に飼われていたのだろうというのがムハンマドの見立てである。かなりのインテリ鸚鵡である。 物語は、これら女主人と3人の下宿人に下男、そして1羽の鸚鵡を中心に展開する。宗教や伝統、因習の違いを超えた、村田とその周辺の面々との交流が清々しい。ディミィトリスの名台詞を借用すると、「私は人間だ。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない」(ちなみにこのフレーズは古代ローマの劇作家テレンティウスの言葉だそう)という、コスモポリタンな関係性で成り立っている、若き仲間たちの物語である。青春時代特有の屈託のない、うらやましいばかりの日々が描かれる。 さて、村田が帰国して7〜8年後のこと、ディクソン夫人から手紙でディミィトリスが(ギリシャ人であるにもかかわらず!?)青年トルコ人革命に身を投じて命を落としたという知らせを受ける。 さらに時を経て数年後──。村田は大学内の派閥やら政治力学に翻弄され、生活と世俗に倦み、「疲弊し孤独」な日々にある。「スタンブールがどんどん遠ざかって行く。私は焦った」「出来たらもう一度、(略)彼の地へ行きたい」「オットーと遺物を間において、心底語り合いたい」。そんな思いに駆られている最中に、ディクソン夫人からこんどはムハンマドとオットーの戦死を知らせる便りが届く。第一次世界大戦である。世界は変わってしまっていた。それは村田に青春の終わりを告げるのだった──。 そしてその数カ月後、若き日々を共にした今は亡き仲間たちと、唯一のつながりを証明してくれる、あの鸚鵡がディクソン夫人から船便で送り届けられる。「どうか、この鸚鵡を貴方の懐かしいスタンブールだと思って受け取ってください」と。 鳥籠に被された布を取り払うと、中には鄙びた工芸品のような、生彩を欠いた物体が、止まり木に身じろぎもせず乗っていた。「いや、やはりこれがあの鸚鵡なのだ」「歳を取ったのだ」 そして、鸚鵡はゆっくりと目を開けて村田を認めるや、突然甲高く叫ぶのだった。 何を? それは読んでのお楽しみに。私はこの下りが好きで何度も読み返しては反芻した。素敵なエンディングだ。 この小説にはいろんな小さな物語の断片が散りばめられている。それらが最終的にすべて回収されることなく、言い方は悪いがとっちらかったままに、不思議な余韻を残したままに終わる。何十年もの時が経ってから、当時の様々な欠片がパズルのように組み合わさって、おぼろげに事の顛末がわかってくることがある。わからないままのことも、気づかないままのことも、当然ある。いかようにでも展開を想像することも可能だ。これこそが「青春」というものの胚胎する時代感性なのだろう。物語の構成上、このあたりの塩梅がほんとうに見事に散りばめられていて得心させられる。 本書は「永遠の名作青春文学」と紹介されているが、私のなかでもこの村田先生の物語は最強の「青春文学」のひとつ。お気に入りの一冊である。 (か)2022.1.23 |
|