旧著探訪 (24)

 ずばり東京     ■開高 健著・文春文庫・1982年■ 
海・呼吸・古代形象  7年後の「東京オリンピック2020」。未来のイベントを心待ちにする気はいまのところ起こりそうもなく、ただただそのとき60代にすっかり突入してしまっている自身の年齢を憂う。こういう場合は、過去を振り返るほうが精神衛生上よろしい。1964年の東京オリンピックである。
「東洋の魔女」と恐れられた日本女子バレーボールチームの金メダル、マラソン銅の円谷選手、女子体操の個人総合金メダル・チェコのチャスラフスカ選手、そうそう、マラソン金メダルのアベベ選手……。
 エチオピアのアベベなんてね、裸足で駈けていってぶっちぎりの金メダルだったな、なんて若い人にしたり顔で話していたが、はて、ほんとに裸足だったのかな。さきほど『64東京オリンピック』(朝日新聞社・1964)という写真集で確認したら、ワンポイント・マークが入った白いソックスにランニングシューズ姿であった(オニツカ製のシューズだそう)。当時6歳の私の記憶なんてあやふたなもの。裸足で走ったのはその前の1960年ローマオリンピックでのことであったらしい。「裸足のアベベ」の呼び名が、記憶をドラマチックに塗り替えてしまっている。そういえば、河の堤防を走っているランナーたちの向こうに沈む大きな、真っ赤な夕日が印象的だったな、と思い起こしながら、いや、それは、後年見た、市川崑監督「東京オリンピック」のワンシーンではなかったのか。そもそも当時、わが家のテレビはカラーだったのだろうか。半世紀前の記憶なんてとんと当てにならないことを痛感する。
 というわけで、当時の諸相を活写したルポ『ずばり東京』を再読した。オリンピック前後の東京の狂騒が読み手の五感にぐいぐいと訴えてくる、ルポルタージュのお手本として誉れ高い作品。変幻自在の文体を駆使し、開高特有の秀麗なレトリックに酔っぱらってしまう名品である。
 あらためて気づかされたのは、数字への徹底した取材ぶりである。
「あとがき」で「ファクト・ファインディング」の困難さを自嘲気味に、「いささか乱暴に」こう述べている。
「ノン・フィクションといっても、目撃したり感知したりしたすべてのイメージを言葉におきかえることはできないのだから、それはイメージや言葉の選択行為であるという一点、根本的な一点で、フィクションとまったく異なるところがない」「〈私ハ見タノダ〉とか、〈コレガ事実ナノダ〉という信仰くらい仰々しくて騒々しくてうつろな迷妄は類がない」と。であれば、数字のみが「事実」として残るのだろうか。
 飯場をルポした一篇からは、労働者の日給が1200円で手取りが約1000円、宿舎のフトンの賃料が1枚1日7円、3枚借りて21円、食費は三食で200円と示される。「労災病院」のルポからは、労災補償額が列挙されている。目玉2コが24万円、顎ガクガク舌レロレロが92万円、片腕ぶらぶらは79万円、キンタマ2コが56万円、鼻欠け35万円……。「銀座の裏方」からは、タコ焼き3コで25円、靴磨きは1人50円で1日に30〜50人の来客。似顔絵描きは200円、精密画を希望すると300円、手相見は見料300〜500円、一晩の客は7〜8人。ケツネウドンは1杯80円……。「なんぼ?」への執着は半端じゃない。
 興味深い数字があった。「遺失物収容所」をルポした作品に、東京の警察に落とし物として届けられた現金が2億8000万円と記されている。先日、東京オリンピック招致委員の滝川クリステルさんはプレゼンで「2012年落とし物として届けられた現金は3000万ドル以上」と日本人の善意をアピールした。1964年当時の物価と現在のものを比較して、ざっくり10倍になっているとすると、その金額がほぼ変わっていないことに驚く。ずいぶん劣化したといわれる私たち日本人であるが、まだまだ捨てたものじゃないのかな。
 同じスピーチのなかで一躍、今年の流行語大賞にノミネートされそうな「お・も・て・な・し」は、64年当時も健在だったようだが、著者の弁は痛いところを突く。
「責任をもたなくていいやつに対してだけ人間は寛容になるんだ。外人に対してこれだけ親切な国民は日本のほかにいないが、日本人同士は知らぬ顔だ。(略)責任がなければ愛想よくなれるのだ」
 ほんとに、そのとおり。
 2013.10.20(か)
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