旧著探訪 (20)

 日本人のためのイスラム原論    ■小室直樹・集英社インターナショナル・2002年■ 

 久しぶりに「小室直樹」を読み返した。この著者の本を読むと、頭の中がすっきりして気持ちいい。学問的原理主義の真骨頂でぐいぐい迫ってきてくれるところが快感なのだ。
 本書初見のときもそうだったのだが、「なぜ日本にイスラムが入ってこなかったのか」というくだりでいつも思い出す。ああ、あのときこれを知っていたらと。
 もう四半世紀以上も前のこと。酒席でこの質問を受けたのだ。出版社を立ち上げた直後のことだった。一癖もふた癖もある先輩連中に囲まれて、「ナンセン……って、南朝鮮の、どんなもん出してますのん?」「南鮮ちゃいます。南と船ですわ」「なんや、それ」。今どき「南鮮」はないやろ!とこっちがつっこみを入れる間もなく、次の質問がこれだった。「アジアやってるんやったら、なんでイスラム教徒が日本に少ないか、説明してみぃ」
 あのころの、一回りほど上の人っていうのは、酒が入ると戦闘的だったなあ。しどろもどろに屁理屈をこねていると、その日初対面なのに「そらあ、ちゃうやろ!」。ご本人、回答を用意しているわけでもなく、まあずけずけと全人格を否定する勢いで口角泡を飛ばす。酒を飲むのも、気合いじゅうぶんでないと、ずたずたにされてしまいそうな、80年代だった(おもしろかったなあ)。
 あれ以来ずうっとこの質問がなんとなく気になっていたのだが、この本に出会って、つまり出版年からすると今世紀に入って、氷解した次第である。
 比較宗教学的に、仏教、ユダヤ教、キリスト教を語ることで、イスラムをくっきりと浮き上がらせる手法は、ウェーバーを渉猟した著者ならではで力業。目から鱗がぽろぽろ、であった。物覚えの悪い私には、再読したこのたびも、ふたたび目から鱗がたっぷり落ちた。
 さて、「なぜ日本にイスラムが入ってこなかったのか」は、「日本人ほど戒律を嫌う民族はいない」が著者の見解。天台本覚論から、いかに私たちが仏教を、ある意味、骨抜きに、言い方を変えれば「日本人好み」に変容させて受け入れてきたかをおさえると、なるほど、イスラムとの親和性の低さが見えてくる。
2012.7.8(か)
Copyright(C) by Nansenhokubasha Publications. All rights reserved.■南船北馬舎
■旧著探訪(19)へ トップページ刊行物のご案内リンクと検索
■旧著探訪(21)へ