近著探訪(25)

 イラン人は面白すぎる!
  ■エマミ・シュン・サラミ著・光文社新書・2012年■
「核開発疑惑」が取りざたされ、西側諸国からは、いまや「もうひとつの北朝鮮」と位置づけられてしまった、四面楚歌のイランである。これまでの一連の報道を眺めると、いつしか「開発疑惑」から「疑惑」の文言が消えて、核開発が既定事実のように取り扱われるようにもなっている。が、しかし、ひょっとしたら「イラクの大量破壊兵器」の二番煎じではないのか……、ふたたびアメリカ主導の駆け引きに翻弄されているんじゃないか……と、私は少しイランに対して同情的である。
 いずれにせよ、きな臭い話題がつきまとうイランである。悲しいかな、ネガティブな文脈でしか語られなくなって久しい。かくいう私も学生時代に見聞した1979年の革命以来、原理主義的な「神の国」として、たぶんに当時最高指導者であったホメイニ師の、あの厳格な風貌のインパクトゆえのことなのだが、なんとなく恐ろしい国といったイメージを今も拭えていない。1989年にはイスラームを冒涜したとされる書『悪魔の詩』の著者サルマン・ラシュディの暗殺指令がホメイニ師より発せられたというニュースも怖いイメージを増幅させたものだ。翌90年には日本語版訳者の筑波大学・五十嵐一助教授が何者かに殺害さるという事件もあった。
 本書は、そんな陰鬱な評判を吹き飛ばしてくれる「快書」であったと思う。著者は吉本興業のお笑いタレントであるので、ウケねらいが過ぎるともとれる、眉唾もののエピソードもあるが、イランの人たちの、ノリのいい陽気な側面をかいま見られたことは、いい勉強になった。いくら「神の国」とはいえ、皆が皆そろってアッラーの絶対的・敬虔なしもべとして己を厳しく律して暮らしているなんてことはありえない……。当たり前のことではあるが、この現代において厚いヴェールに覆われた神聖国家というもののありようがうまく想像できない私たちにとっては、その当たり前になかなか思いが至らない。
 著者は1980年生まれ。革命後に生まれた世代である。革命以前の西側流の近代化路線をひた走っていた時代を経験していない若者の手になる著書であることは重要である。著者は10歳までしかイランに暮らしていないようではあるが、あの革命を経ても、世俗主義的ノリのよさが親から子へと脈々と受け継がれていた事実は、イランの社会やら国民性を考える上で示唆するところは大きいと思うのだ。 (か)2012.5.23
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