ブータン流。

井出英美代

 

■江戸時代末期から明治初めに日本を訪れた欧米人が、一様に当時の日本の庶民文化に目を見張り、その独自に発達した豊かな暮しぶりに驚嘆していますが、わたしも何か、そのような無垢な民族文化を見たくて出掛けていったような気がします。時差もほとんどなく、祭り見物ということで一ケ所に連泊し、終日、ゾン(寺院と行政施設を合わせたもの)の中庭に座っているだけ。というわけで、楽ちんで疲れもせずに元気に帰ってきました。
 
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  ■ブータンは日本文化のルーツを云々されることも多いところ。ですが、懐かしさにつながる類似点にかっての日本を見ようというのではなくて、オリジナルがオリジナルのままに、過不足なく自足して存在できる可能性やその希有な姿に触れられたら、いいな、と考えていました。
 西洋化、近代化から自由だった土地の、「素」の状態。それはアジア的、仏教的なあり方ということにもなるのかな。仏教美術にさして関心はないけれど、そしてあえて先入観を持たないように、専門書は読まずに行きました。
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■経文を書いた五色の幟状のものが、あちらこちらに立てられて、真っ青な空にはためいている様子は、美しくて、哀しくて、気高くて、時に無気味で、と、見る場所や時間帯、こちらの感情のありかたでも様々に見えて、これだけでもいつまでも見ていたかったくらい。あのごちゃごちゃしてる曼陀羅も、実際に描いている所を見学し、古い寺院の壁の色が退色しかかったものを見ると、長い時間、祈りの声を聞いてきたんだろうな、とじんとくる。
 その地に立って、祈りを捧げている人々の中に身を置くと、肌に滲みてくるように感じるものがありました。宗教心がないわたしでもこうだから、チベット密教に関心がある人なら、もっともっと深遠な世界観が読み取れることでしょう。
 
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  ■広場に終日座って、お弁当を広げたり、子供をあやしたり、木陰で昼寝したりする人々の姿を眺めて、一日があっという間に過ぎる。太陽の動きにつれて、広場の中央に聳える菩提樹の影が広場を横切っていく様をはじめてじっくり見ました。いやいや、よかった。葉ずれの音もね。
 法要や奉納される音楽、舞踊、衣装も素晴らしいけれど、本当の価値はこのような場に満ちてくるやはり「幸福」としか言いようのない温かい感じを分けてもらえたことかもしれません。
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■仏教哲学なんてこ難しくてわからん、と思ってきましたが、与えられた命を受け止めて、淡々と生きてみせること。なんか、そんな気がしました。
 煩悩の多い身、なかなかそうはいきませんが…。
 

                                       
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