スリランカ・レポート  庄野 護
電話のはなし
「スリランカに携帯電話はあるのですか」
 そんな質問をしてくる日本人がいる。そのたびに、「日本にもチョコレートはあるのか」と真顔でたずねたスリランカ人を思い出す。
 スリランカでも九〇年代に入って、急速に携帯電話が普及してきた。普及速度は、日本より速い。一般的に途上国の首都では、(全てではないが)先進国よりも携帯電話やビデオの普及速度が速いようだ。FAXの普及に関しては、アジアの都市でバンコクがずば抜けている。理由は、バンコクの交通渋滞である。移動時間がやたらとかかるバンコクでは、FAXや携帯電話で用件を済ませなければビジネスが進まない。
 スリランカでの携帯電話の普及の背後に、有線電話の新規開設に時間がかかりすぎるという事情がある。電話の申込みから設置にまで何年もかかる。一〇年待っている人さえ珍しくない。申込み書類が動かなくなっているのだ。あとから申し込んだ政治的コネのある人が優先されるともいう。待ちきれなくなった市民は仕方なく、家庭用に携帯電話を購入することになる。携帯電話だと申し込んだその日から使える。しかし、携帯電話は、経費が高すぎるのが難点。一般電話の数倍以上かかる。そこで、経費の安いポケベルの登場となる。ポケベルで呼び出されたビジネスマンが、公衆電話で会社や顧客に連絡するシステムだ。

映画のはなし
 ビデオや衛星放送テレビが世界に普及した今も、南アジアでは映画が娯楽の王様としてある。映画界は芸術の才能に秀でた若者たちがめざす世界としてある。世界最大の映画生産国は、インド。インド全土の映画館総数は、約一万二千。隣国スリランカでもインド同様に映画産業は健在である。
 インド映画の映倫規定IFSでは、女性の手・腕・胴体の一部・足の膝から下以外は露出が許されない。そのために性行為は、歌や踊りで暗示される。
 スリランカ映画の映倫規定は、インドよりも少し緩やかである。「ジャングルの村」や「パーラマ・ヤタ(橋の下)」では、インド映画では許されない乳房露出すれすれのシーンなども見られた。
 スリランカ映画といえば、一般にシンハラ語映画をさす。シンハラ語映画は、シンハラ民族運動との関連で成長してきた。
 たとえば、レスター・ジェームズ・ピーリス監督。彼の初期の代表作品「運命の糸」(レーカーワ)は、映画史上はじめて伝統的シンハラ村落を描いて、映画界にルネッサンスをもたらした。
「運命の糸」が発表された五六年は、のちに内戦の火種となるシンハラ民族優先政策が開始された年である。大学入試や政府職員の採用試験が英語からシンハラ語に変わった。それは、シンハラ語のできないタミル人の排斥運動でもあった。
 ピーリス監督自身に政治的意図はなかったかもしれない。しかし、ピーリス監督らのシンハラ映画の興隆はシンハラ民族主義の政治運動と一体であった。
 のちのピーリス監督の代表作「ジャングルの村」は、別の意味で政治と連動していた。
「ジャングルの村」は八二年、東京アジア映画祭で上映され好評を得た作品である。シンハラ文学研究者、野口忠司さんによる字幕でNHKテレビでも放映された。この映画の主演男優は、ウィジャヤ・クマラートゥンガである。表現力豊かなこの天才俳優は、同時に政治家でもあった。八七年のインド軍のスリランカへの進駐を支持したこの政治家は、翌八八年に劇的に暗殺された。
 スリランカの映画文化は、シンハラ語映画へのこだわりを捨てきれなかった。映画と政治が連動してきた。その歴史ゆえに、シンハラ映画は苦悩すべき運命を背負っている。 スリランカで上映されるタミル語の映画は、インドのタミル・ナド州で制作された作品の直輸入である。インドからの衛星放送をスリランカの国内電波に移し替えて流される番組には、歌と踊りのヒンディー語映画が多い。ヒンディー語のわからないスリランカ在住の外国人にもヒンディー語映画は人気がある。スピーディーでリズミカルな音と映像は、時間を忘れて見ていられる作品になっている。さすが世界一の映画生産国と思えるような作品が(すべてではないにしても)多いのである。 コロンボ市にある映画館の興行はふつう、上映時間二時間半くらいの作品が一本だけ上映される。一日三回の上映が一般的。一〇時、二時、六時の上映開始が標準である。二時間を超える長編では、途中で一〇分から一五分の休憩が入る。この時、アイス・クリームなどの販売員が観客席にまわってくる。トイレに立ったり、禁煙の客席からロビーに出て煙草を吸う観客など、人の動きがにぎやかである。
 売店でのコーラなど清涼飲料水の販売では瓶代の保証金を要求される。これは、あなたが外国人だからではない。だれにも同じ一〇ルピー程度の保証金である。瓶を返却すれば、この保証金は返却される。暗い映画館内で空き瓶を転がして壊してしまう人がいる。そのための保証金。
 映画の入場券は、一階のスクリーンに近い席が最も安い。約一〇ルピー、日本円で二〇円くらい。次に、一階の後ろの席。一番高いのが、二階の席となる。前よりも後ろ。一階よりも二階が高価ということになる。この論理に従えば、二階の最後列が最も価値のある座席ということになる。事実、二階の最後列の席を買うために青年たちは努力している。
 最も安い入場券と最も高価な入場券は、約五倍の格差になっている。それでも一〇〇円程度で最上級の席で映画を見ることが可能なのだ。
 二階の最後列の席は、恋人たちの座席でもある。ラブ・ホテルや同伴喫茶などほとんどないコロンボ市では、映画館がデートの場所となる。がらがらの映画館でも、二階の最後列の席だけは人が並んでいることが多い。土・日曜日ならば、なおさらである。彼らが映画を見ているかどうかは不明だ。座席は全席指定制。一人で映画鑑賞するときは、最後列の座席の券は避けよう。 スリランカ人の女性が一人で映画を見にいくことは、ふつうない。映画館は、ある意味でいかがわしい場所であるからだ。女性一人で映画を見に行く場合、通路側に席をとるなど身を守る工夫が必要なときもある。痴漢を避けるためである。心配ならば、二人分のチケットを買って入場すればよい。隣の席をあけておけば、そこに座ろうとする人物は危険人物ということになる。不審者がいれば、懐中電灯を持ってドアの近くにいる座席案内の係員に来てもらおう。声を出して呼べばよい。
 八〇年代後半にJVP内戦で治安が緊張してから、九時を過ぎて終わるような映画の上映がなくなった。治安の悪化で夜おそいバスの運行がなくなったのが原因だ。治安が良くなると夜の映画上映が復活しはじめる。そこで、また爆弾事件が起きて、夜のバスが極端に減り映画の上映も減少する。八〇年代からそんなことの繰り返しが続いて、スリランカの映画産業を弱めてきた。それでも、映画館の興行成績は良くて、映画産業は利益率の高い産業としてある。新しい作品を制作しても、上映の順番待ちに半年以上かかるといわれている。

恋人たちのはなし
 コロンボ市第四区のバンバラピティアの住宅街には「ご休憩」用ラブホテルがいくつかある。マウントラヴェニア方面にかけての海沿いにもそれらしきホテルはある。しかし、派手な看板はないのでよく見ないとわからない。このような「あるけれどない」ふりをする文化は、南アジアの特徴でもある。
 回教文化の厳しい戒律にしたがっているはずのバングラデシュには、世界最大級の売春の街がある。闇酒売りや豚肉を売る肉屋さえ首都で多数、営業している。しかし、表通りからそれらの店は見えない。
 スリランカでは酒屋も大通りに面して堂々と営業している。飲食や性のタブーにおいてスリランカは、インドやバングラデシュに較べても緩やかになっている。コロンボ市には売春婦たちが昼間から闊歩する公道がある。彼女たちが表通りを堂々と歩いているのがスリランカの特徴でもある。
 コロンボ市では、九〇年代になってホモ・セクチュアルな男性が堂々と街を歩くようになった。これまで「あるけれどない」とされてきた文化が、表層に突出してきたのだ。欧米のレズビアン運動なども影響があるのかもしれない。 ふつうの恋人たちはどうしているか。彼らは傘をもって日曜日の動物園に出かける。自然の豊かな動物園には、恋人たちが落ちつきたいような森の木陰があちこちにある。木陰に座り、傘を開いて二人の後ろ姿を隠せば、すべての視線を排除できるというわけだ。たとえ、三メートル後ろを大勢の人たちが歩いていてもである。同じように日曜日の海岸線も恋人たちの空間となっている。「海沿いに恋人公園を造ろう」
 ある国会議員が真顔で提案したことがあった。彼の提案は、国会での正式な議論とはならなかった。しかし、社会が必要としているのは、彼の提案したような恋人公園かもしれない。スリランカには、安全に愛を語れる場所が必要なのだ。平和の実現のためにも。

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