自宅でヨーガ 大麻 豊
泥棒としてのヨーガ
インドのロナウラというところにヨーガのアシュラム(道場)があって、そこにはヨーガ・ホスピタルが併設されている。ホスピタルといっても、ヨーガ式治療を希望する患者だけではなく、一般の健康な人も一定期間そこに入所してヨーガ体位法(アーサナ)や呼吸法(プラーナヤーマ)を実修することができる。 たまたまふたりの日本人男女がそこで鉢合わせになった。男性の方は、筋骨たくましいスポーツマン・タイプの青年である。一応ヨガ君としておこう。もう一方の女性、ヨーガ嬢は少々とうが立っているが、痩身で姿勢がすこぶるよい。ふたりに共通しているのは、英語がほとんどできないこと、日本でヨーガ実修の体験があるということである。ヨガ君の日課の特徴は、早朝に起床し日本式水行のあと、ダムまでの坂道をジョギングすることである。ヨーガ嬢のそれは、日本式ヨーガ体操を実修し、夕方には丘の中腹にある小さな洞窟に籠もって瞑想すること、アシュラム内が禁煙のため近くの喫茶店でタバコを喫うことである。ふたりは同じ日本人ということと、インド人との会話が不自由ということもあり、けっこう仲良くしていたのだが、時を経るにしたがってだんだん雲行きが怪しくなってきた。
決定的な争いは、ヨーガ論についてである。ヨーガ論といっても、深遠なインド哲学を基礎にした議論ではなく、極めて日本的なセクト主義の仲違いなのである。ふたりはヨガ派とヨーガ派の別々のセクトに属していて、そこからくるヨーガの認識の違いから、感情のズレが生じてきたのだ。ヨガ君とヨーガ嬢のいずれが正統なのか、どちらのグル(指導者)がより優れているのかの判定はわたしにはできない。
それよりもふたりに苦言を呈したいことは、せっかくインドまで来て入所許可を得て滞在しているのだから、そこのルールに従うことが礼儀というものではないだろうか、ということだ。
ヨガ君については、インド人は毎朝水浴するのを習慣としているので水行することはなんら問題ではない。だが、ヨガ君が学んだヨガではジョギングをするようだが、体位法の前後にはジョギングのような激しい運動はしてはならないことになっている。
ヨーガ嬢については、瞑想もけっこうなことだが、女性が人気のないところでひとりになる危険性を考えてみたほうがよい。そこは日本ではないのだ。またアシュラムは宗教的施設であり禁酒禁煙だ。たとえ外部といえどもおおぴらな行為はさしひかえたほうがよい。このふたりはともに、アシュラムのヨーガ実修法を軽視している。
本場のヨーガをと勇んでやってきたが、そこで体験したインド・ヨーガは大雑把なもので、取り入れるべき「技術」がないことに気がついた。そこで自分たちの実修法でアシュラムという場をかりて日々を過ごしていた。なるほど日本式ヨーガの指導法は懇切丁寧である。インド・ヨーガが細部にわたって分解改良されていて、なにもインドくんだりまできて学ぶべきものはない、かもしれない。発明や発見の能力はないが、改良の能力だけには秀でているといえば、なにやらトランジスター・ラジオを思い出すが、日本式ヨーガもそれに似ているかもしれない。
「ヨガ」か「ヨーガ」か
ヨーガの語根ユジュは「結びつける」という意味で、そこから名詞ヨーガは「心」と「身体」をつなぐ、心身統一などの意味に用いられる。 仏教にもこの語はあって、「瑜伽」と表記されている。「ヨガは誤りでヨーガという表記が正しいのよ」と少々ヨーガを齧った女性がご丁寧にも教えてくれた。表記の誤りを指摘しただけではなく、ヨガ派の実修法まで否定したような響きが言外にあった。
マスコミの表記は一定ではなく、ヨガとヨーガの両方が併用されている。NHK教育テレビの『ヨーガ健康法』という番組では、読売・毎日新聞が「ヨーガ」という表記をしているが、朝日新聞は同じ番組でも週によって「ヨガ」としたり「ヨーガ」としたりしていて一定ではない。新聞社が主催する健康講座では、セクトによって両者が併用されている。
Yogaが長母音であるから、「ヨーガ」と表記されるのが学問上の通例である。しかし実際のインド人との会話では、どちらでも通じるのでとりたてて正誤をいうほどのことでもない。
笑えるヨーガ
ぜんじろうというローカルなお笑いタレントがいて、『テレビのつぼ』という深夜番組に出演している。各番組をとりあげて笑いのネタにしていくのだが、NHK教育テレビのまじめな番組『ヨーガ健康法』を俎上に、「笑えまっせ」と揶揄しながら、若者に次週はぜひ見るように勧めていた。たかだか芸人のとるにたらない戯れ言、無視するにこしたことがない、と誰しも思う。ところが、インドで二十五年間の仏道修業に励んだ僧が、帰国二日目にして偶然その番組を目にするや笑い転げてしまった。 ポーズを終えるたびに「してやったり」といった表情がなんとも滑稽に見えたのだという。
出演者にはずいぶん失礼な話かもしれない 体位法呼吸法に関しても屈指のインストラクターであり、その著作もそれなりの評価を受けている。にもかかわらず、不快感に耐えられない人がいる。ある女性インストラクターは、自分のヨーガ実修の参考にとチャンネルをまわしたが、俳優杉良太郎の媚態を思い出し、背筋が寒くなったという。
「人格は顔にあらわれる」といったのは、マルチン・ブーバーであったが、「貌」は人格の窓口ではないか。
三十年近く実修しつづけて、笑いを誘うヨーガとはなにを意味しているのであろうか。それとも、ヨーガは仮面の哲学なのか。自在に曲がる肉体は心のバロメーターで、その輝きは「貌」から発する、とは素人の幻想なのか。出演者の名誉を重んずれば、「貫祿がついてきた」との評もあったと付記しておかねばならない。
インストラクターは偉くない
ブームにのって雨後の竹の子のようにインストラクターが輩出し、「せんせい」と呼ばれだした。多くはふつうの主婦でありOLである。それが、やがて生活の糧になる。茶道や華道のお師匠さんも「せんせい」だが、なまじ精神の領域にかかわるため「先生」になろうとする。でも、所詮はメシのタネ。
なにも女性だけではない。男性についても同じことがいえる。男性インストラクターは、彼を取り囲む主婦OLのカリスマ性をつくりあげようとする毒気に煽られる。「せんせい」と呼ばれだすと風邪もひけなくなる。健康を売り物にすれば医者にも行けない。
ヨーガで脊椎を痛めた、神経系統が傷ついた、胃潰瘍になった、そんなインストラクターたちを、このあたりで解放してあげよう。
インストラクターは偉くない、と。
ささやかなヨーガを自宅で
ヨーガに幻想をもつのはやめよう。
ヨーガは病気に対して万能ではない。グルたちが驚くほどの長寿を全うしているわけではない。エゴイスティック、傲慢、ヒステリックなインストラクターを見ると、精神の効用まで疑いたくなる。しかし、時代はヨーガを必要としている。幻想を払拭すれば、わたしたちにも恩恵がまわってきそうだ。特に体位法と呼吸法だ。
ささやかなヨーガで、疲労や肩凝り便秘が解消されれば、これほどの恩恵はない。それ以上を求めるから、ヨーガの迷い道に入ってしまう。
齢を重ねれば、医者や鍼灸師にかかりながら健康のためにささやかなヨーガを実修すればよい。
ささやかなヨーガとは、自分の身体が必要としている体位法のことである。実修してみればもっとも心地よいものがあるはずだ。十も二十もの体位法は必要ではない。呼吸法にいたっては、ひとつで充分だ。頭脳に清涼感がある呼吸法がわたしの場合は好きだ。
朝に三〜五種類の体位法と夜に五分間ほどの呼吸法で忙しい日常生活には充分だ。夜の瞑想にいたっては、神さま仏さまキリストさまに目を閉じて合掌するだけでよい。つまり、ささやかなヨーガとは怠け者のヨーガのことなのです。
はじめの一歩は、とにかく教室でヨーガを学ばなければならない。そして早く基礎的な知識と実修法をマスターすることだ。自分の身体が必要としている体位法と呼吸法を見つけ出すことである。それがわかるとさっさとやめて自宅で実修するのがよい。本やVTRでマスターする方法もあるが、体感できないマイナス面がある。コツが掴めない
し、独学にはそれなりの努力が必要となる。教室で学ぶにあたって心しなければならないことがある。
わたしは「インストラクターは偉くない」と述べたが、だからといって侮ってはいけない。それは「せんせい」を擁護するためではなく、自身の実修の妨げになるからだ。
ヨーガにはヒプノティク(自己暗示)な要素がある。「せんせい」を小馬鹿にしていたのでは、自己を沈潜することができない。基礎的な知識さえも素通りしていくかもしれない。謙虚さを得ようとしているのに、指導に謙虚でなければ、そもそも謙虚になりえない。
さて、教室を離れる時がくるのだが、本来怠け者のわたしなどなかなか自修できるものではない。ひとりでは寂しいもので、同胞がいないと身体の操作ができない。ところが鏡を前にするとたちまち相棒ができてしまう。ふやけた身体でもじっと鏡の中の自分を見つめていると、愛着が出てきて、けっこう自分の身体も捨てたものではない、などと自己陶酔してしまう。もっともそれが高じると、杉良太郎風の「貌」になり、笑いを誘ってしまうのが様にならない。これも自宅で自修しているかぎりはなんの罪お咎めもない。
ヨーガはナルシシズムの要素をもっているようだ。それも身体の操作に限ってのことで、精神の階梯において依然ナルシシズムであるならばほとんど「病気」といわざるをえない。
ナルシシズムには美酒の香りがしてヨーガの階梯を上がるのに役立つかもしれないが、足を踏み外すこともあるので、夜には神さま仏さまキリストさまを仰ぎ見て酔いを冷ましたほうがよいかもしれない。
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